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和本に見る能楽 小瀬甫庵『信長記』4 幸若舞「敦盛」人間五十年・・・敦盛は十六で討たれたのに、なぜ人間五十年なのか。

織田信長と言えば「人間五十年」が頭に浮かぶ人が多いのではないだろうか。本能寺の燃え盛る炎の中で舞っているイメージがある。
しかし、いったい誰がその舞を見ながらも生き残り、後世に伝えたのだろうか。

小瀬甫庵『信長記』にも太田牛一『信長公記』には、そのような記述は見られない。
しかし、「人間五十年」こそ信長の生き方、信念を表すものはないような気がする。そこでドラマや映画のクライマックスシーンの演出として用いられたのではないだろうか。

実は、この「人間五十年」は、もっと早い時期に『信長記』・『信長公記』のどちらにも登場する。

今川義元との合戦前のことである。少し長いが、甫庵『信長記』から抜粋する。この舞に込めた信長の思いが伝わるのではないかと思う。
読みやすいように現代新潮社の『古典古典文庫 信長記 上』から抜粋したので、画像の本文と見比べていただきたい。

-今朝義元、智多郡まで出張の由、|飛脚到来の条、明日|逆寄サカヨセに押寄せ合戦すべしと思ふは如何にとありければ、林佐渡守進み出でゝ、義元は四万五千の著到と聞えたり、味方の勢は僅三千には過ぐべからず、来鋭なれば一応是を避けて後、此の城の接所ヘ引き請け、合戦に及び候はゞ宜しかりなんと、言を憚らず申しければ、信長卿、前車の覆へすを見て後車の戒とするといふ如く、他を以て計るに、さしもの名将といはるゝ者も、己が名城に自慢し、合戦すべき節を失ひ、或は死すべき処を逃れなどすれば、多く自滅するぞかし。先考言置かれし条数にも、他邦より自国に犯し来れば、大将の心も臆し、士卒の気も替り、案の外に成り行く物なり。必ず国の境を踏み越え合戦すべしと宣ひし。父の遺言空しうせば、天命も恐し。所詮信長は明日合戦を遂ぐべし。同志の者は其の功を励まし、計策を|廻めぐらし候へと云ふもあへず酒出ださせ一種一瓶にて祝ふべしと仰せければ、猪武者に与みし、一命を捨てん事、前世の宿業なるべしと、各一途に思ひ切って酒を食べけるに、信長卿、人間五十年下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を受け滅せぬ者のあるべきかとて、舞わせ給へば、皆一きは興に入りて、酒宴数刻に及びければ、宮福太夫、兵の交り頼みある中の酒宴哉と、謡ひ立ちければ、大に御感あって、黄金廿両引かれけり。-

小瀬甫庵『信長記』巻第一 三十六丁裏~三十七丁表 義元合戦の事 筆者蔵

少し脱線するが、宮福太夫の謡は、謡曲「羅生門」と思われる。大江山の鬼神を退治した後に、源頼光が参加した四天王をはじめとする武士を集めて酒宴を開いたシーンである。

『謡曲 大観』から関係部分を抜粋する。
-頼光「いかに面々(とワキへ向きワキ頼光に辞儀)。さしたる興も候はねども。この春雨の昨日今日。晴れ間も見えぬつれづれに。『今日も暮れぬと告げ渡る。聲も寂しき入相の鐘
地上歌『つくづくと。春のながめの寂しきは。春のながめの寂しきは(ワキ右の方へ向き)。しのぶに傳ふ(と見やり)。軒の玉水音すごく。ひとりながむる夕まぐれ(扇を開き)。伴い語らふ諸人に(酒を酌みて立ち)。神酒を勧めて盃を(頼光へ酌をし)。とりどりなれや梓弓(保昌に酌をし)。やたけ心の一つなる(名乗座へ歸り)。つはものの交はり頼みある中の酒宴かな(と下に居て扇をたゝむ)-

「羅生門」では、大江山での戦いの後の酒宴ではあるが、この酒宴では、負け戦になる可能性が高そうな今川義元との合戦を前にして武勇誉れ高い頼光とその家来たちにあやかって勝ち戦にしたいという縁起担ぎの意味もあったのではないだろうか。

さて、話を戻そう。
ここでサブタイトルとした「敦盛は十六で討たれたのに、なぜ人間五十年なのか。」について考えたい。

能の演目である「敦盛」について公益社団法人能楽協会の曲目データベースの解説を引用させていただく。

-我が手にかけた敦盛の菩提を弔う蓮生法師(熊谷次郎直実)が須磨を訪れ、草刈男達に出会うと、中の一人が平敦盛の亡霊であるとほのめかして消える。その夜甲冑姿の敦盛が現れ、一ノ谷の合戦の有様を物語る。十六歳で戦死した若武者の可憐な情趣が窺える修羅能。-

敦盛は、五十年も生を全うすることなどできなかったのだ。そこで、能の「敦盛」や平家物語を知る人ならなぜ?という疑問が沸くはずである。

しかし、この「人間五十年」は能ではなく幸若舞「敦盛」の一部である。
「幸若舞は、能・平曲と並んで中世庶民の耳目を楽しませた芸能である」(『舞の本』新日本古典文学大系 岩波書店より)。

そこで、「室町後期から江戸初期にかけて流行した幸若舞(曲舞)という中世芸能の語り台本を読み物用に転用した」(上記『舞の本』より)舞の本を見てみよう。

-梗概
一の谷の合戦に敗れ、逃げ遅れた敦盛が、ただ一騎で沖の舟に向かう。功名を焦る熊谷直実は、呼び止めて勝負をいどむ。忽ちに組敷いた熊谷は、名乗らせる。我が子と同年と知って助けようとするが、囲む源氏勢に涙をのんで討ち取る。熊谷は、屍を屋島の平家方に送り状を添えて届ける。平家方は、悲しみつつ、感謝状を返す。菩提心を起こした熊谷は、黒谷の法然の許で出家し蓮生房と名乗る。やがて高野に登って行いすまし往生を遂げる。-

-素材・特色
題名は「敦盛」とするが、内容は敦盛を討って菩提心を起こした、荒武者熊谷直実の発心遁世を物語るもの。同盟の世阿弥の謡曲「敦盛」が、笛をめぐってその風流貴公子像を描くのに対して、本話は敦盛のそうした風流貴公子ぶりに感動する人間味豊かな情の人直実像を描き、直実の文武両道の達人ぶりを形見送りの送り状を通して強調する。-以下略-

能も幸若舞も熊谷直実が敦盛を討つシーンがあるが、菩提心を起こす様子を描くのは、能では描かれていない。

幸若舞「敦盛」より、平経盛(敦盛の父)からの形見送りに対する感謝状を受け取った後の詞章の一部を抜粋する。

-去る程に、熊谷、よくよく見てあれば、菩提の心ぞ起こりける。「今月十六日に、讃岐の八島を攻めらるべしと、聞てあり。我も人も、憂き世に長らへて、かゝる物憂き目にも、又、直実や遭わずらめ。思へば此世は常の住処にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月より猶あやし。金谷に花を詠じ、栄花は先立て、無常の風に誘わるゝ。南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先立って、有為の雲に隠れり。人間五十年、化天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け、滅せぬ物のあるべきか。これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ。」と思い定め、急ぎ都に上りつゝ、敦盛の御首を見れば、もの憂さに、獄門よりも盗み取り、我が宿に帰り、御僧を供養し、無常の煙となし申。-

ここまで読んでようやく得心した。

新板絵入 平家物語 巻第九 四十六丁裏~四十七丁表 敦盛最期の事 筆者蔵


新板絵入 平家物語 巻第九 四十七丁裏~四十八丁表 敦盛最期の事 筆者蔵


新板絵入 平家物語 巻第九 四十八丁裏~四十九丁表 敦盛最期の事 筆者蔵

右ページ6行目から笛に関する記述がある。
『平家物語評講 下』佐々木八郎著 明治書院 より抜粋する。画像の文言と一部異なるが、参考にしていただきたい。

-鎧直垂を取って頸をつつまんとしけるに、錦の袋に入れたる笛をぞ腰にさされたる。「あないとほし、この暁じゃうの内にて管絃くわんげんし給いつるは、この人々にはおはしけり。當時御方みかたに東國の勢何萬騎なんまんきかあるらめども、いくさの陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈じゃうらふはなほもやさしかりけり。」とて、九郎御曹司の見参げんざんに入れたりければ、これを見る人涙を流さずといふことなし。のちに聞けば、修理大夫しゅりのだいぶ経盛つねもりの子息に大夫たいふ敦盛あつもりとて、生年しょうねん十七にぞなられける。それよりしてこそ、熊谷が發心ほっしんの思ひはすすみけれ。-

いかがだろうか。何十万騎が何万騎だったり、生年十七という点はよく分からないが、平家物語も多くの系統が存在するので、大筋が分かれば良いだろうと思う。
(画像の新板絵入平家物語は、寶永七年庚寅九月の刊)
能と幸若舞では着目点を変えているが、この文章でそれぞれの素材が見えてくる。

熊谷直実くまがいなおざねは、実は埼玉県熊谷くまがや市と関りがある。市のウェブサイトに「平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて活躍した熊谷郷の武士」と紹介されている。
熊谷市立江南文化財センターの熊谷デジタルミュージアムに熊谷直実の年表やエピソード、文献などたくさんの情報が掲載されているので、調べたい方は、ぜひサイトを訪問して欲しい。

自分は、すでに人生五十年を通り越しているが、戦の経験がないからか、熊谷直実の境地には程遠い。皆さんはいかがだろうか。

最後に、映画やドラマで観た「人間五十年」の舞についてお伝えしたい。
これは、幸若舞ではなく、能バージョンである。私は、観世栄夫(1927~2007年)による節付「人間五十年」の仕舞を観世流能楽師長山桂三師にご指導いただいた。オンライン稽古のメニューもあるので遠隔地の方も稽古をご希望の方は、先生に相談されると良いだろう。

さて、今後は、テーマを前もって決めずにランダムに和本と能を取り上げていきたい。様々な和本を行きつ戻りつしながらアップしようと思う。

■公演情報
確認できた直近の公演予定を記載(敬称略)
〇敦盛
・2023年10月8日(日) 第24回和歌の浦万葉薪能
和歌の浦片男波公園野外ステージ
第2部 観世流能「敦盛(あつもり)」 片山 九郎右衛門 他
大蔵流狂言「太刀奪(たちうばい)」 茂山 千五郎 他

・2023年11月6日(月) Tokyo Ginza能
銀座能楽堂
能「敦盛」観世三郎太&ワークショップ


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