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日常生活における意識の持ち方は、必ず仕事に通ずる

私の会社では、半年に1回、会社全体の食事会(社内コンパ)が行われます。それとは別に毎月の終わりに私が主催する自由参加の食事会(社内コンパ)が開催されます。

半年に1回のものは、基本的には全員参加、部門を超えて全員で食事をしてお話もしましょう!という懇親の場であり、社員親睦会の皆さんが主となり開催され、私や会長もゲストとして招かれることになります。

それとは異なり、毎月月末に行われる食事会は、基本は誰と来ても何人で来ても問題なしの飲み会であり、少し変わった形式で行われます。まず社長である私から全員に通知が入ります。今月末の●日●時から□□□というお店で開宴です!たったこれだけです。それを見て、従業員御方々は、各々で行く行かないを決めるのです。しかもお店に入ると後は自由、挨拶だけはしましょう!というルールはありますが、それ以外は、私の近くでなく席も自由、個室で飲もうが食べようが、何を頼もうがOK!そして・・・帰る前には伝票だけ社長である私に持ってくるというシステムです。

会社の気心しれた方と給料日前に一カ月の労いをする!これだけです。少しずつ参加人数も増えて、皆さん遠慮も無いので、なかなかにぎやかに楽しんでおり、職場を離れて人間関係の構築がされていることに嬉しく感じております。

そんな和やかな雰囲気とは逆で、今回のお話は、先日行われた懇親会にひもづき起こった少し厳しいお話をしたいと思います。

先日、コロナが一応の収束(まだ患者は増えつつありますが5類への移行・・・)を迎え、数年ぶりに社員親睦会の皆さんが主催し懇親会が開催されました。新しい方々にとっては、初めての懇親会ということもありますし、長く勤めていただいている方々にとっても、久々の従業員同士の懇親の場として、大変盛り上がったと報告を受けました。懇親会のメンバーの皆様は、企画や準備、そして当日の運営まで大変だったと思いますが、皆さんのために打ち合わせを何度も行い開催してくださり、本当にご苦労様でした。

ただ、私は東京に出張で出ており、今回の懇親会には参加が出来ませんでした。ですので、皆さんが楽しむ様子を懇親会の皆さんにお願いし、広報を担当する従業員さんにも改めてお願いをしました。また、全従業員に配信する社内メールにも、事前に2度、「社内報作成のための写真撮影をしておくように」という業務指示として通知しました。

それにも関わらず、担当者から届いた写真は2枚のみだったのです。さて、ここで私は、まず担当者に話を聞くことにしました。すると「楽し過ぎて忘れてしまいました、以後気を付けます」と笑顔で答えたのです。懇親会のメンバーは撮影をしていたのか?を確認すると、「忘れていました」「●●さんが撮ってくれていると思っていました。」と答えたのです。

私は全員に確認しました。「写真は何のために必要なのか?」と聞くと「社内報に掲載するためです。」と全員が認識しているのです。

確かにその通りであり、「お客様や社会の皆様、従業員の家族に向けて会社のことをより理解していただき、会社のファンになっていただくために情報発信をする社内報の作成に欠かせない大切な業務の一つとして、写真撮影をお願いした」というのが私の認識でした。念のために「2度は出来ないから写真、必ず忘れずにしっかりと撮っておいてね」という念押しをしてから東京へ出張に行きました。しかし、それらは実行されなかったのです。

ここでもう一つ考えなくてはならないことがあります。私が配信する社内メールマガジンは、全員が読んでいるはずなのです。なぜなら、しっかりと読んでください、必ず部門長から全員にリンクを送り、社内メルマガを共有してください、とお願いしているからです。にも関わらず、1人を除いて誰からも「社長からお願いされていた写真は撮ったの?」という声がなかったことが驚きでしかありませんでした。少し気に留めて、誰も撮っていないのであれば自分が撮っておこう、と少し利他の想いで行動すればよいのではないでしょうか?そうした少しの気遣いをするだけで、人として評価されることも分かっていないのです。誰も気をまわしていなかった中で、ほんの一人だけ気にして「写真撮ったの?」と聞いてくれた方がいました。その方は役職者で、さすがだなと感じました。しかし、自ら撮影までは至らなかったのです。そこまで行けば満点でしたが少し足りませんでした。

部門長という立場にいるリーダーの方々こそ、今回の件については反省しなくてはならないと思います。そういう大切な業務であるという意識が欠落していたからです。この件について、役職者も集め、担当者や懇親会の責任者を呼び、こんこんと話をしました。「たかが写真ごときで」と感じた方もいたかもしれません。しかし、たかが写真で、なぜこのような厳しいこと言うのかというと、日常の意識の持ち方は仕事に通ずるからです。

今回、誰も写真のことを気にしていなかったのであれば、日常の仕事上においても気遣いが出来ていないのだと思います。もし写真のことを覚えていたとしても、声を掛けられなかったのであれば、仕事においても間違いや改善点に気づいていたとしても、きっと声に出して言えない方なのだと思います。また、気づいていて声はかけたが行動できなかった人は、仕事においても声を掛けることは出来ても、自分も手伝うよ!と言えないのかもしれません。写真を2枚だけ撮った担当者は、その写真が、社長が満足する写真かどうかも考えず、言われた通り撮影したと自分で判断をして簡単に終わらせてしまったので、仕事においても自分勝手に判断し、ある程度の形を繕うだけの仕事になってしまいます。

部門長の方は、そういう意識の指導もしなくてはならない立場であるにも関わらず、出来ていなかったということは、現場においてもそうした意識が欠落しており、周囲に対する思いやりや配慮は個人任せにしているのだと感じ取れました。

日常生活の意識の持ち方や生き方は、そのまま仕事に直結していると思うのです。今回の件は少しの気配りや、思いやりがあれば済んだことなのです。そうした点に配慮が至らなかったのは、視野の狭さと思いやりのなさが根本にあるからだと思うのです。今回の件を受けて、自分自身の従業員教育の足りなさを改めて感じたと共に、自分がやってきたことの結果がこれか・・・と徹底できていなかった自分に腹が立ちました。もっと語り合って、何を大切にするのか?を徹底した意識付けをしていかなくてはならないなと・・・改めて反省させられた一件でした・・・

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