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20190513「撮れすぎる」

昨日分の日記にも書いたが、Google Pixel3が撮れすぎる。本当に綺麗に撮れすぎるので「撮るの上手くないか?」と勘違いしてくる。

最近廉価版のPixel3aが出て、写真のPhone Xとの比較広告が話題にもなったが、夜景モードがすごい。

ちなみにこれらの写真は無加工だ。

ポートレートモードもすごい。

奥の靴にピントを合わせて、あとはカメラ側が勝手にボカす。ボケ足も、なんとフォーカス位置も後から変えられる。サムネの桜もポートレートモードで撮った。

インカメも勝手にいい感じの美肌になるし、レンズの歪みを直してくれて、めちゃんこ凄い。手元には恥ずかしい写真しかないので載せないけれど。

めっちゃ宣伝みたいになってきてしまったが、全然そういう意図は無く「撮れすぎる」ことの話を記しておこうと思っただけだ。以下は雑感で、正しい歴史ではない部分も多分にある。

日本ではmixi以降いろいろな主流の変遷がありながら、SNSが情報やコミュニケーションの主軸にまでなってきたのは、今さら自分が言うまでもないほどみんな知っている。SNS出自のスターとかも出てきた。これは、スマホの普及や通信技術の発展ももちろんだが、カメラとその周辺技術の進化と切っても切り離せないと思っている。

スマホ以前、SNSはPCからで、基本文字情報でのやり取りが主だった。いわゆるガラケーでも写真は撮れたが、画質もサイズもコンパクトデジカメとの差は歴然で、パケット問題もあって、あまりやり取りされてこなかったように思う。iPhoneが登場した時も、発売日に仕事の合間で喜び勇んで買いに行ったが「誰がこんなデカくて充電の持たないの使う?」と言われまくった。しかしiPhone 2Gが日本で発売されない悔しさから、初代iPod touchをお祭り価格で購入した自分は意にも介さない。「UIの素晴らしさ、このサイズでインターネットできる」との良さをiPod touchを買った直後の飲み会で8人くらいに説いたら、翌週飲み会参加者ほぼ全員がiPod touchを買っていた。iPhoneの良さはもう分かっていたのだ。

話が逸れた。確かに日本での初代iPhone 3Gはコピペも出来ず酷かった(当時のiPhone OSが酷かった)が、カメラには本当に感動した。ガラケーでもiPhone以上に綺麗に撮れるのはあったが、確認する画面が良くないのだ。小さいし。iPhoneはでかかった。画像のサイズも。そして綺麗に写った。撮りがいを感じた。

その一年後、iPhone 3GS登場くらいから完全に潮目が変わった。スマホが普及しだした。それからAppleだけじゃなくAndroid勢各社も、カメラの技術を売りの1つに、スマホを売ってきた。通信技術も向上。スマホのスペックも向上。いよいよPCをあまり使わない世代が出てきた。

カメラ技術の向上で、みんながより写真を撮りはじめた。撮れる写真に満足できるようになったのだと思う。端末技術やソフトウェア技術の向上で、加工がスマホだけで簡単にできるようになった。AI技術の向上で、それらがより簡単になった。カメラ周辺技術の発展と共に、通信技術の向上で、みんながその「よく撮れた」写真を気軽にシェアするようになった。SNSでのコミュニケーションの主軸が、テキスト中心から、画像とテキスト、もしくは画像が主の場合もある。みんながSNSで発信して、みんながその発信から情報を得ている。情報発信のベクトルは完全に変わった。

業界によっては「よい写真、引き合いのある写真」という概念自体が変わってきているところもある。コミュニケーションの質すら変わってきた。よりビジュアル表現が重視されている。テキスト記事ですら「読んでもらいやすいためにサムネイルのビジュアルが重要」と。

発達しすぎて、カメラの加工映えするメイクも産み出されたりしている。一周回って、技術に振り回されはじめてる。

撮れすぎなのだ。撮れすぎて、世界がこの10年くらいでガラリと変わった。みんな撮れるし、加工もできる。デザインまでできる。この界隈を仕事にしてきた人たちは、何とも割り切れない気持ちでこの状況を見ているはずだ。

でもありがたいことに、ネタはいっぱい転がってるし、可愛い子もいっぱいみれる。なんだ最高やん?

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