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【無料記事】農を考えている

※この記事は無料で読めます。お金は払っても払わなくてもいいです。

こんにちは。青ちゃんです。
「のう」と変換したら「脳」と出てきてそのまま投稿しそうになりました。
#脳を考えている


今日は農に対する考えを書こうかなぁと思います。

私は元々母子家庭で母と弟だけの三人家族でした。母も色々と仕事を掛け持ちなどしながら兄弟二人を育ててくれました。住居は集合住宅の中の県営住宅で周りは自然の中というよりは人、人、人の中で生きてきました。

そんな環境で過ごす中、合気道仲間の友人夫婦と話していた時のこと。奥さんからアナスタシアというロシアのある女性の話を聞きました。
その方の過ごし方は今の社会のあり方とは隔絶されているような生活で、森の中で全てが手に入る。という話でした。人が食べるためのものを工場で作るのではなくて畑から森から手に入れるという。動物や虫は人のために生きるようになっている。
難しげな話でしたがなんだかワクワクし、そうならいいなぁと楽しくお話をしました。

それから祖父が亡くなり祖母一人になったのを機に生活の拠点が街から田舎へと変わりました。
それが23歳のことです。多分。
祖母の畑や田んぼがあり、ここで自然農の野菜など作ってみようと元々の職業である介護福祉士をしながらあれやこれやしました。
慣れないクワ捌きで畑を耕したり、草の中にリンゴの木を植えて近所の方に親切で「草また刈っておいたで」と一緒に伐採されてしまったり(後でめっちゃ謝られて恐縮しました)。

そうしていると、本業?というか介護のお仕事が忙しくなりユニットリーダーというお仕事も任されるようになり休日も出たりしながらあれやこれや忙しくなってきました。
大好きだった畑に出て行く回数が減ってきました。友達と飲むのも楽しいしゲームしたりも増えたしそれも楽しかった。でも畑に出る回数は減っていきました。

28歳くらいかな、介護の仕事中心になってしばらくした頃、すぐそこに畑があるのに出られない今の状況(心境?)を変えたいと思い一旦仕事を辞めたいと思いました。一旦、です。介護は好きでした。周りのお年寄りとお話しするのも楽しかったしそれも自分の人生の一部で大切なものにもなってました。

結果、職場でもまだおって欲しいとの声もあり退職したのが31歳の頃。その頃あの合気道仲間の夫婦から聞くようになっていたパーマカルチャー という言葉。なんやらわからんので退職後すぐにその講習を受けに千葉県に行きました。そこでの経験や出会いがとても自分にとっては転換期となりました。色々とノウハウ的なことも教えてももらいましたが自分との向き合い方、自然との向き合い方、あとはテクノロジーとの向き合い方、そして人、社会との向き合い方を学んだ気がしてます。その中で出会った仲間ともそんなに多く会話したかはわからんけども魂で繋がったようなそんな感じを抱きました。今でも発信してる人たちのは気になってみてたりしてます。それ以外の人たちには思いを馳せたり少し忘れてたり。関東圏で結構自然を大切にするのは重要だよね、という意識が高めなのもあると思いますが皆さん熱意も凄かった。
パーマカルチャー 仲間のことも色々書きたいなぁ、またの機会にします。

後もう少しです、お付き合いください。

我が向原町(田舎ね)に戻り、さぁ畑やら田んぼやら再出発となってからやりたくなったのがアナスタシア式種の植え方。ひたすら自分の土地でタネを取り続ける、タネを買うのではなく代を重ねて行くこと。田んぼをより自然のエネルギーを使って効率よく運用していくこと。などなどです。まだやりたいことあったかもですが今意識しているのがこれです。
アナスタシアについては書籍で今勉強中。ウラジーミル・メグレさんという方が書いているのを翻訳して日本語で読めるようになってます。
読みたい方は教えて。読んだ端からならあげれるから。全部で8巻!1800円くらい。あとは検索してね。

ここで投稿し始めた田んぼを中心に今後書いて行く予定です。

ちなみに有料の記事にするけどお金は払っても払わなくてもいいです。青ちゃんにビール一本奢っちゃるかくらいの気持ちでもらえると嬉しいです😃
#ビール一本500円

終わり

〜紹介〜
パーマカルチャーデザイン講座で出会ったあっくん(松本篤英さん)のnote
https://note.com/pinemem808

パーマカルチャー デザイン講座で出会ったこうへいくんのブログ
https://kagarin.work

パーマカルチャー デザインコース
https://tokyourbanpermaculture.com/2020/02/03/パーマカルチャーデザインコース2020/

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