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「慣れない」喜び  438

台風も気づけば通り過ぎていて、もわっとする外気と共にうっすら青い空が戻ってきた8月最後の日。

学生だったら「うぁぁぁ!」(←いろんな意味で)みたいな気持ちだったんだろうけど、なんせ今では月をまたいでも年をまたいでも「え?地続きでしょ?」みたいなもんで、せいぜい「来月の引き落とし額、口座残高だけはしっかり確認」みたいなことだけチラッと頭の隅っこに存在させているような感じだったりする。


学校に行きだしたり、新しい何かを始めたりして生活の「間取り」というか「形」、タイムスケジュールが変わるのはよくあることなのだけど。
その時の自分自身が、暮らしがそこに向けて形作られていく時間っていうのも改めて考えてみると面白いなぁと思う。

慣れないことの「できる限りベスト」を手探りで探し、見直し、何度も試しながら馴染ませる時間。

言えば時間の形状の変化だし、習慣の変化だったり、感情のパターンの変化だって起きてくるだろう。

たとえばそれが自分の体だったら…どんな感じだろう?


今月始めた骨の動かし方について学ぶクラスが、頭にも体にも面白くて日常のいろんなタイミングでも「こうか?ああか?」と試しているのだけど。

それを毎日やっていると、思わぬタイミングで「これって…」と気づく時がある。


たとえば、わたしは自分のことを「平べったい人間」だと思っていた。
内面はさておき、体の形が肩幅が広く薄べったい。
「ぬりかべ」か「いったんもめん」みたいな…ってどっちも妖怪だ。

それは自分の個性だと思っていたし、ある意味仕方のないことだと受け入れるようなあきらめるような心だったし、その形での「快適」「素敵」を探していたけれど、まさか不調や性格さえもそれが形作ることになるものだということは最近になって知った。


体調不良を軽くしたい思いから始めたいろんな養生から宅トレ。
色々やってきた間でも自分の体の変化は体験できた。
体温が上がるとか、体が動きやすくなるとか、肋骨の形が変わるとか…。

肋骨の形が変わるのは、別にレントゲンを撮って確認したわけじゃないけれど、触ってみた感じ、息のしやすさなどからも「なるほど、こんなに違うんだ…」と肋骨を両脇から掴んだ自分の手の形から確認していた。


それが今回、仰向けで寝た状態で膝を立て、お尻をあげてみたり…とか色々するのだけれど、その動作の後に立って歩いてみたら…

「えーと…わたしはメンズの股上が深ーいズボンを履いていますか?」
と思うほど、骨盤の後ろの部分と背中の肋骨が近づいていて驚いた。
感覚としては背中の骨盤がグーンと上に長く伸びた感じ。
歩いている間の感覚も「体の真ん中部分」と「その周りをくるりと囲む層」みたいに歩くことで受け取る振動というか、軸のように感じるそれが想像していたよりも「太いんだな、これ…」と感じるほど、いつもの体感覚と違っていた。

そう、本当に「え?体の間取りってこんな風に変わるの?」と気づいた時には正直、鼻息が荒くなっていた。

「こんな風に」というのは、わたしの頭では肋骨と骨盤が近く感じられる日が今後やってくるなんて思ったこともなかったので「こんな骨の動きもあったのか!」とか「こんな短時間で骨が近づくみたいなことが起こるのか!」みたいな予想外のことへの驚きを含んでいるのだけれど。

骨盤の変化の過程も、肋骨のそれから想像して「平べったい」が「立体」に近くなるみたいなことはぼんやり想像していたけれど、実際、骨盤が立体に(本来の形に)なっていく動きはわたしの想像やぼんやりした知識からはかけ離れたものだったし、スピードだった。

その変化した骨盤の手触りたるや…もはや知らない人の腰である。
「なるほど…不二子ちゃんの腰はこうやって作られていたのか…」なんて勝手に妄想したりして…。


でも、これが「本来の形」なら、やっと認知できたってことでもあるし、また会えたということでもあるわけで。

確かに、今のわたしが思う「今まで」とは違う形、違う手触りではあるだろうし、それが生み出すわたしの体感や人生はおそらく「今まで」のわたしの知らない、もしくは想像もつかないものになったりするんだろうと思うと、この「慣れない」があることにとてもよろこびを感じたりする。

こうやって自分を、身体を、この感覚を面白がっていきたいなーと改めて思う8月の終わりだった。




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