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折り目をつけてあげること  439

予想されていたような台風ではなかったとはいえ、台風は台風だったようで…。
青空で日中暑かったけれど、風や空気にはしっかり「秋」の存在を感じられた1日となり、台風の「秋を連れてくる」お仕事は成されたようだった。

最近聞いた身体の話に「折り目をつけてあげる」という言葉があった。
別に身体を折りたたむとかそういう話じゃなくて。

本当はそういう機能があるのに長い間うまく使えていなかったり、その存在を忘れていたり(わたしの尾骨のように…)した時、「またその機能を使うことに決めたから!」とこっちが言ったって、今まで動かしてこなかったんだから、即スムーズにMAXの機能が発露されるなんてことは…まぁない。

そんな時、その部分に働きかけていく動作のことをそう呼んでいた。

いい言い方だなぁと思ったし、自分にも身体にも「これからこっち方面に向かおうと思っている」みたいな「ガイド」だよね…とか、神経のような「何度も通せば太くなる」ものなんかはこれだよね…なんて色々思い巡らせていた。


そんなことをしていたら、学生の頃の友人が英語圏の人に折り紙を教える時「prepare」という言葉を使っていたのを思い出した。

「なんでさっき折ったところをわざわざ元に戻すの?」と尋ねられたときに彼女は迷わずその言葉を使って説明していて、隣にいたわたしも「なるほどなー」と教わっていた方々と一緒にうんうんうなずいていた。

「紙を折るのにわざわざ準備するなんて!」みたいな反応もあったけれど、「そのひと手間が実は『近道』になったり『きれいさ(確実さ)』に繋がったりするんだよねー」なんて説明はその場には必要ない感じだったけれど、自分の頭の中で巡ったその言葉は今でも「なるほどホントだよね」と思う。


こうして書いていると、今目の前でやっていることってほぼ「折り目付け」だったり「prepare」だったりじゃないのか?なんて思えてくる。

何かを目指して…何かに間に合わせるために…とやっている道中はもちろん「それ」なんだけど、いざ「完成!」「(結果のようなものを)受け取った!」そのものすら次への「折り目付け」だったりして…。


人によってはこういうの「がっかり」と思う人もいるかもしれないけれど(たとえばひとつの「成功」も通過点ではあっても成果は成果として受け取ればいいと思うのだけど)、わたしはこういうの嫌いじゃない方で。
「みちみちと折って折ってクッキリさせちゃえ!」とか「じわじわ広い道にしたろ…」とかそんなことを思ってニヤける方かもしれない。
まぁ、そっちに夢中になってゴールを忘れがちという問題点はあるけれど…。

いずれにしても、わたしがたくさん意識を向けたところが広く、大きく、濃くなっていくのなら…しっかり選んで「折り目をつけて」今日も明日も進むのだ、とちょっと涼しくなった夜に改めて思ったのでした。





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