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小説を書くときの基礎知識、人称と視点

■人称を統一しましょう。

人称というのは、goo辞書によると、
人称(にんしょう)の意味 - goo国語辞書
>動作の主体が話し手・聞き手・第三者のいずれであるかの区別。
なんだそうです。
なんだか難しそうですね。ですが、みなさん普通に使っていらっしゃるんですよ。

一人称……私は、俺は、僕は、あたしはで書かれた文章
二人称 ……君は、みなさんは、諸君は、おまえはで書かれた文章
三人称……山本は、剛田社長は、玲子は、ごんは、メロスはで書かれた文章

 ライトノベルでよく使われているのは一人称です。一般小説は三人称が多いですね。二人称小説はほとんどありません。芥川賞受賞作の「爪と目」が二人称小説でしたが、芥川賞に挑戦するのでもなければやめておいたほうがいいでしょう。

 人称は、小説中に一人称と三人称が混ざり合ってはいけないというルールがあります。

NG例文
 俺は、いらだちのあまり空き缶を蹴り上げた。放物線を描いて飛んだ缶は、意外にもゴミ箱に吸い込まれて、ガコンと安っぽい音を立てた。「ナイスシュート!」
 なんかいいことあるかもね。勝俊はガッツポーズをした。

 俺と勝俊と二人いるように見えて混乱します。一人称で書くなら一人称で書く。三人称で書くなら三人称で書く。統一しましょう。

■視点について

 漢字の通りです。視る点です。小説を書くとき、視点を統一してほしいのです。
 視る点には二つあります。

一元視点…… 登場人物のひとりにカメラを固定する方法(私は、俺は、で書く書き方。ウエブ小説は一人称一元視点ですね。

神視点……さながら神様が見下ろすように、登場人物全員の思いを書く方法。明治の文豪が好んで書いていた書き方です。太宰治は神視点で書いています。
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【太宰治著「走れメロス」から引用はじめ】
「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑(ほくそえ)んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。(引用終わり)

そうしてください。」までがメロス視点。それを聞いて王は、からは王の視点です。
 メロスも王も、両方から視た光景を書くのが神視点です。
 」の前の。も現代小説では省略していますね。

 ですがこれは、現代小説ではすたれてしまった書き方です。今では、神視点で執筆した小説は古めかしく見えてしまいます。太宰治がライトノベルに投稿したら、選考委員は文章をぱらぱらと見ただけで「古い」「レーベルカラーに合わない」「つまらん小説送ってきやがって」と怒って、不採用の箱に入れるでしょうね。

■視点 例文

【三人称神視点】

「お別れだね」
 明夫は、恋人の靖子に言った。
 明夫の父が倒れ、田舎に帰ってあとを継がなくてはならなくなった。明夫は同棲している靖子に結婚を申し込んだのだが、靖子は会社を辞められないと言った。
 実はそれは言い訳で、靖子は、家事を一切しない明夫にあきれ果てていたので、この別れ話を喜んでいたのである。
「そうね。元気でね」
 明夫は、靖子はきっと追いかけてくると確信して出て行った。

 さながら神様が見下ろしているように、明夫の心の中も、靖子の思いも書いてあります。

【一人称一元視点、男から】

「お別れだね」
 僕は、せつなさを噛みしめながら、靖子に言った。
 父が倒れた。田舎に帰り、あとを継がなくてはならない。靖子は恋人だ。結婚するつもりで同棲していた。結婚を申し込んだが、会社は辞められないそうだ。
「そうね。元気でね」
 靖子は笑おうとして失敗したとでも言うような、泣き出す寸前の表情を浮かべている。
 抱きしめたくなったが、ぐっと我慢する。靖子はきっと、会社を辞めて僕を追いかけてくるだろう。そのときに抱きしめてやればいい。

 男の視点だと女の心の中はわかりません。超能力者でもなければ、神様でもないのだから当然です。男から視た女の様子を書く。これが一元視点なんです。

【一人称一元視点、女から】

「お別れだね」
 明夫が言った。私は安堵した。
 明夫とは恋人同士で、一緒に暮らしていたが、家事は女の仕事だと思っている男だった。
 家賃も水道光熱費も生活費も折半なのに、どうして彼のぶんまでご飯を作り、洗濯をしなくてはならないのか。私のほうが残業が多いのに。私は明夫の母親ではない。私が欲しいのはパートナーだ。
 明夫は田舎に帰るという。お父様が倒れて、あとを継ぐのだそうだ。
 別れたいと思いながら、ずるずると月日が経ってしまったので、天の助けのようだった。
「そうね。元気でね」
 思わず笑みが浮かんだが、別れるのにふさわしくないと思い直して、悲しそうな表情を繕った。

 視点を固定して書くのが現代小説です。女から視た男は、男の考える男と違います。同じものを視ていても、まったく違うものを視ています。男視点だと女の心の中はわからないし、女視点だと男の心の中はわからない。そうした不自由さも含めて楽しむのが現代小説なのです。

 どうです? 別に難しくないでしょう? 私はで書いて、私を靖子に直すと、三人称一元視点になりますよ。

YouTubeで話しています。noteがレジメ、動画が講義のつもりです。動画のほうも見てくださいね。


小説道場ドリル

 太宰治の遺作になった小説、「グッド・バイ」より引用します。1948年、74年前に書かれた小説です。神視点で書かかれたこの文章を、文士(作家)視点の三人称、編集者の一人称視点で書き直してください。なお、文士と編集者には適当な名前を補いましょう。また」(とじかっこ)の前の。は省略してください。お義理一ぺんは形式的に物事をすることの意味ですが、古めかしい言葉なので今の言葉に直してください。紋服は紋付き袴(正装)のことです。お葬式なので作家は正装をしていますが、編集者のほうは仕事帰りのラフな格好です。
 文意が通るように書き足して頂いてもいいですよ。

(引用はじめ)
 文壇の、或る老大家が亡なくなって、その告別式の終り頃から、雨が降りはじめた。
 早春の雨である。
 その帰り、二人の男が相合傘で歩いている。いずれも、その逝去した老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に就いての、極めて不きんしんな事。紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡、縞ズボンの好男子は、編集者。
 「あいつも、」と文士は言う。「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢(ねんぐ)のおさめ時じゃねえのか。やつれたぜ。」
「全部、やめるつもりでいるんです。」
 その編集者は、顔を赤くして答える。
 この文士、ひどく露骨で、下品な口をきくので、その好男子の編集者はかねがね敬遠していたのだが、きょうは自身に傘の用意が無かったので、仕方なく、文士の蛇の目傘にいれてもらい、かくは油をしぼられる結果となった。

(引用おわり)

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