見出し画像

◆7◆ 「情報屋と襲撃者」

 雑多な人々が行き交う大通りから一歩奥に入ると、日当たりの悪い路地裏に、貧相な身なりの者たちが寝転んでいるのが見えた。
 以前、岩窟人を追って入った貧民街と比べるべくもない。ここは、住む家を持つことも出来ない、アンヴリルのあぶれ者たちが集まる一角。いわゆるスラム街である。
 アンヴリルの中でも特に治安が悪く、下層階級の住人ですらここには近づかないと言われる。
 こういった場所に自治体の救いの手が届くわけもなく、当然のように犯罪ギルドや地元のギャングスタといった、ならず者集団の支配化に置かれていた。
「……アンヴリルにもこういうところがあるんだな。俺一人だったら、絶対に歩きたくないわ」
「コージロなら、そうだろうな。仮にも王たる者が供回りも連れずに来るような場所でないのは確かだ」
「う、うむ。その通りだ。かつての俺は魔王と呼ばれ、敵が多かったからな。どこへ行くのも、もちろん一人ではなかったよ」
 自分の立場を思い出し、慌てて光治郎が付け加える。
「それより、リリスの知り合いってのはどこにいるんだ? イーラの事とか聞けるといいんだが……」
「ああ、そこの角を曲がったところの建物だ。入り口に見張りが立っているはずだ」
 石造りの建物の前に、トカゲの姿をした亜人が暇そうに立っていた。リリスよりも大分小柄だが、太い首から肩へと続く隆々とした筋肉、そして分厚い胸板が他者を威圧していた。腰回りにずらりと刃物──どれも刃が赤黒く汚れている──をぶら下げているのを見れば、スラム街の住人ですら手を出すのを躊躇うだろう。明らかに堅気の人間ではなかった。
 剣呑な気配を漂わせた蜥蜴人が、こちらに近寄ってくる。リリスが二言三言言葉を交わすと、何事も無くドアを開けてくれた。
 スラム街にしては立派な金属製の扉だ。開けた途端、室内の喧騒が聞こえてきた。強い酒精の匂いがここまで漂ってくる。
 暗く、細い通路が左手へ続き、突き当たりを曲がると、そこが目的の酒場だった。
 スイングドアを押し開き、店内へと入る。何人かの客がこちらを一瞥するが、すぐに視線を反らした。種々雑多な種族が思い思いの場所で酒を呑んでいるが、どの客も脛に傷持つ輩のようで、危険な雰囲気を漂わせている。すぐに手に取れるようにか、むき出しの刃物をテーブルの上に置いている者も少なくない。中には厚いローブを着込んだ者たちや、場違いに思われる高そうな貫頭衣に身を包んだ者──両脇を固めるのは護衛の戦士だろうか──が、ひそひそと会話を交わしている。
「ただの居酒屋って訳じゃなさそうだな……。怪しい連中ばっかりだ」
「しっ! そういうことを言うな。命取りになるぞ」
 一番奥のカウンター席へと向かいながら、リリスが小声で嗜めてくる。その間リリスは視線を動かさず、堂々と胸を張って歩いていた。自分の魔導鎧とピンクのロリータ服、そして背に負う大剣を周囲に誇示するように。
 ここでは、他者に余計な興味を持つのも、他の客に見縊られるのも危険なのだろう、と光治郎は理解した。
「久しぶりじゃねえか、ピンクの嬢ちゃん。今日もキマってるぜ」
 カウンターの席の端、壁に寄りかかりながらジョッキを呷っている男が声をかけてきた。毛深い身体、大きな耳に尖った細長い顔──鼠人だ。
「そちらも元気そうだな“窮鼠”。大分酒が回ってるようだが、何か良い事でもあったのか?」
「よせや。そりゃ昔の名前だ。今はただのアッシュさ」
 そう言いながら、アッシュは満更でもなさそうだった。ガハハ、と笑いながらグイと一口。
「ぶはーっ! うめえ。今日はまだまだ飲めそうだ。久々にコダール酒でも行っとこうかい! 瓶だ。瓶で行くぞ俺ぁ!」
 そして、こちらにちらりと視線を送る。
「ああ、それは美味そうだな。どんどんやってくれ」
 リリスが、銀貨が詰まった小袋をそっとカウンターに置いた。店主は顔色一つ変えずにそれを懐に入れると、大瓶をドン、とアッシュの前に置く。よくある事のようで、一連の動きには無駄が無かった。
「で、どうしたい嬢ちゃん?」
「最近、ちょっとした面倒ごとに巻き込まれててな。私の知らないところで何が起こっているのか、それが詳しく知りたい」
 リリスはカウンター席に腰を下ろすと、そう口にした。
 特に説明せずとも、アッシュにはすぐに察せられたらしい。ジョッキの半分ほどまで酒を注ぐと、溜息を吐いた。
「ふうむ……嬢ちゃんも大変だなぁ。俺も詳しいことは知らんが、何やら慌しくなっとった。ギルドの幹部が関わっとるっちゅう話でな。今まで上手いことやっとった<青銅の盾>隊と、揉めたっちゅうか……何やら“不幸な行き違い”があったようだぜ」
「それは、どういうことだ? 消された岩窟人の件か?」
「ああ、そうだ。ありゃ、マズったらしい。殺った連中の勇み足ちゅうかな。奴は生かしておく必要があった。いや、最終的に消されるんだとしてもだ。遺体が見つかるのは避けるべきだったんだ」
「あの岩窟人に、そこまでの価値があったのか? ただの三下に思えたが」
「そうじゃ、なかったんだろうなあ。どこぞの幹部のドラ息子だったのか……ってな。まあ真相は分からんが、上の連中は揉めてたぜ。ギルドだって一枚岩じゃないからな。これを機に、跳ねっ返りが下克上しようってな動きもあるらしいわ」
 リリスが考え込む仕草を見せた。
 つまり、あの岩窟人からは犯罪ギルドに関しての情報が引き出せた可能性があるということだ。何しろ幹部の息子……かどうかは分からないが、組織の中枢と繋がりがある人物だ。<犯罪ギルド対策特別捜査本部>は大喜びだろう。
 彼から袖の下を貰っていた巡回戦士は焦ったはずだ。そして、ギルドに連絡し、脱獄させる。しかし、そこで待っていたのはギルドの出迎えではなく、始末屋だったと。
 (──と、こういうことかな?)
 光治郎なりに整理して考えてみるが、やはり情報が足りない。「始末屋」という単語でイーラの顔が思い浮かんだが、ここで結びつけるのは早計だろう。
 アッシュの話に耳をそばだてる。
「で、だな。持ちつ持たれつの関係だった、ギルドと<青銅の盾>隊だがね。単に、こっちのシノギについてお目こぼしして貰うってだけじゃなかったみたいなんだな」
「と、いうと?」
 リリスがぐっと身を乗り出す。
「“犯罪ギルド”ってのはあくまであんたらの呼び方だ。いくつもの組織が寄り集まって、ギルドを形作ってる。つまり、お互いに協力することもあれば──」
「争うこともある訳か」
「おうよ。そこで<青銅の盾>隊の出番よ。縄張りを巡って対立してる組織なんかににガサ入れに入ってもらうのさ」
 リリスは、目を剥いた。相当な衝撃だったらしい。
「だが、そんなことすれば、大変なことになる。信頼関係なんてあったもんじゃない。ギルドは崩壊するだろう」
「まあな。だから、これは静かに、静かに……水面下で、秘密裏にやらにゃいけねえ。それに、<青銅の盾>隊に対しては、相当深いところまで食い込まにゃなんねえ。そういう意味でも奴が選ばれたんだろ。ただの下っ端には任せられねえってことだ」
 そこで、アッシュは気を持たせるように、言葉を切った。腕を組むと、難しい顔を作ってこちらに鋭い視線を送る。
「……実はもう一つ、ヤバい話がある」
 その、ただならぬ様子に、リリスにも緊張が走る。光治郎はゴクリ、と喉を鳴らした。
「敵対組織の邪魔な奴を、消してもらう……なんてこともあったみたいだぜ」
「馬鹿な!」
 リリスが激昂する。
「仮にも、ナルイグの戦士がそんなことをする訳がないだろう!」
「お、おい。落ち着けよリリス……。声が大きい」
 気がつくと、他の客が一斉にこちらを見ていた。
 戦士としての誇りを重んじるリリスにとっては耐え難い話だったのだろうが、ここは堪えて貰わなければならない。桁外れの腕力を持つ彼女のこと。うっかりテーブルを破壊したりして、注目を浴びるのは危険だ。
「その……すまない、コージロ。だが、とても信じられないんだ。自らを律し、公僕として国に仕える巡回戦士が暗殺など……」
「戦士といえども、人それぞれだ。それはリリスだって分かってるんじゃないか? 中には悪の道へと堕ちてしまう者もいるってことだろう」
「……コージロが言うと説得力があるな」
 リリスも冗談を言う余裕が出てきたようだ。
「リリスに同意する訳じゃないが……暗殺って、一介の巡回戦士に出来ることなのか? その辺の犯罪者を捕まえるのとは訳が違うんだ。人数だってそれなりに必要だろうしな」
 現代日本に置き換えてみると、交番勤務の警察官が要人暗殺を請け負うような物だ。可能か不可能かでいえば前者かもしれないが、生きて帰れるとは思えない。そもそも、ターゲットに近づく段階で阻まれるケースが圧倒的だろう。犯罪者を捕まえるための技術と、暗殺に必要な技術は別なのだ。
「そんなこと俺に聞かれてもな。その辺りのことは、嬢ちゃんの方が詳しいだろ。軍部直属の暗殺部隊みたいなのがあるんじゃねえのかい?」
「……戦時中は、そういった汚れ仕事を行う者たちも居ただろうな。だが、今はどうだろう。<青銅の盾>隊で言えば……<機動制圧部隊>(スプレッシオ)がそれに当たるのかもな」
 字面で何となく察せられるが、建物に立て篭もった犯罪者や、洞窟、森、城砦など特殊な場所に篭城する敵を、少数精鋭で制圧するための部隊である。<青銅の盾>隊に所属はしているものの、巡回戦士とは全く違う組織であり、業務も指揮系統も別である。しかも、彼女たちは敵を生かして捕らえるのではない。文字通り無力化──殲滅するための部隊なのだ。
「軍隊においても、一般兵とは扱いが違うな。肉体的精神的に資質のある者が選抜されて配属される……いわゆる特殊部隊だ」
「ああ! なるほどなあ。それなら俺も聞いたことがあるわい」
 酔いが回った頭でも思いあたる節があったようで、アッシュが声を上げた。
「ギルドの子飼いの、ヤバイ仕事を専門にやる、危険な連中がいるってのは有名な話だ。そいつらは私設軍隊っちゅうかな……個人じゃなく、部隊で行動するんだとさ。コンソ・ノストゥー……なんちゅうたかな? 正式名は忘れたわい。まあとにかく、奴らは<裏方>と呼ばれとる。元・<青銅の盾>隊のエリートさんで構成されてるって、もっぱらの噂よの」
「なるほど。その<裏方>の連中が実行してるって訳……それなら……可能かもしれない。巡回戦士が暗殺の手引きまでやってるなんて、信じたくはないが……」
 リリスは、先ほどの怒りがまだ燻っているようだった。
「元・<青銅の盾>隊のエリート戦士か……。なあ、リリス。俺には理解しがたいんだが……そんな人達が、いくら高額とはいえ金で悪事に手を染めるものかな?」
 リリスは難しい顔をした。思い当たる節があるという表情だ。
「金銭欲もあるが……どちらかというと名誉欲だろうか」
「名誉欲……うーん、つまり、自分の能力を周囲に知らしめたい、ってことか?」
「そうだな。戦争は終り、今や、<機動制圧部隊>が投入されるような事件はほとんど起こらない。現女王陛下の出された緊縮財政政策の煽りで、解雇された者も多いらしい。再就職しようにも、巡回戦士は既に足りている。と、なると──」
「失業したところへ、犯罪ギルドがスカウトかけたって訳か。報酬は高いだろうし、自分の力が存分に振るえる。評判だって広まるだろう。たとえそれが裏社会であったとしても、本人的には構わないと」
 だが、光治郎はいまいち納得が出来なかった。リリスはもちろん、ダリラや巡回戦士たちを見ていると、──リリスの話では腐敗が進んでいるということだったが──皆、ナルイグの戦士であることに誇りを持っているように思える。犯罪ギルドに雇われ、人殺しを行う──そこに正義は無い。多少の犯罪行為を見逃して賄賂を受け取るのとは、レベルが違うのだ。たとえ、殺す相手が犯罪組織の人間だったとしても、私欲による殺人であることに変わりはない。
 では、どのようにして自らの倫理観と整合性を保っているのだろうか。
 そこに、どうしても、違和感があった。

「でも──本当にそれで良いのか? 戦士としての誇りや、犯罪行為を行うことへの罪悪感なんかはないのかな?」
「……長く続いた平和のせいだ。前にも話しただろう? 戦士たちの心の奥底に、澱のように積もり積もった不満、怒り、恨み──こういった物は、思った以上に厄介だ。それこそ、戦士としての道徳心を見失わせてしまう程に、な」
 リリスは、ぎゅうっと握りこんだ拳に目を落とし、微動だにしなかった。その顔には戦士として今を生きる者の苦悩が、深く刻み込まれていた。
「……悪かった。嫌なことを聞いたな」

◇◆◆◆◇

 日が落ちつつある夕暮れ時。
 空は茜色に染まり、街の全てが真っ黒な影絵へと変貌する時間。昼の熱気もすっかり落ち着き、肌寒くなってきた空気に身を震わせ、人々は家路を急ぐ。
 だが、酒を提供する店にとっては、これからが稼ぎ時である。
 見張り兼用心棒である蜥蜴人は、革鎧の上に着込んだジャケットの胸元をかき合わせる。蜥蜴人は気温の変化に弱いため、身体の芯が冷えぬように気を付けているのだろう。
 乱雑に積んである木箱の裏から簡素な煙草盆を取り出すと、パイプに火を点ける。紫煙が、暮れなずむ空へと上ってゆき──

 突然、背後の暗闇から伸びてきた腕が、蜥蜴人の首に回された。
 長年用心棒としてやってきた男の、自慢の筋肉は何の役にも立たなかった。誰何することも、助けを呼ぶことも叶わず、ただ驚愕に目を見開くことしか出来ない。襲撃者により、首だけでなく両方の腕が固められているせいだ。
 
 いったい、いつからそこに──
 敵は何人──
 お前らは何者だ──
 どこの組織の──

 脳裏に、次々と閃いたであろう数々の疑問。
 だが、これらの問いが発せられることは永遠に無かった。蜥蜴人は、腰にたくさんぶら下げた己の得物たちに触れることなく、事切れた。
  
 次の瞬間、驚くべきことが起きた。
 黒く染まった建物の陰から、打ち捨てられたゴミ山の中から、木箱の裏から、日の当たらぬ路地から──いったいどこに隠れていたのかという人数が影から這い出るように姿を現したのだ。
 襲撃者たちは一つ頷くと、静かに、音もなく酒場に滑り込んでいく。幾人かは裏口を警戒、一人が入り口を固める。
 ──ほどなく上がる、悲鳴と怒号。続いて、重いものが次々に倒れるような音。

 地面に転がった吸いかけのパイプからは、細い煙が物悲しく上がり続けていた。

◇◆◆◆◇

 発端は何だったのか。
 光治郎はよく覚えていない。始まりは、入り口付近が急に暗くなったこと。元々店内は薄暗く、壁掛けの灯りが要所要所を照らす程度であったので、「いくつかランプの油が切れたのかな?」というくらいの認識であった。
 椅子が蹴倒される音がした時も、こういった店なので喧嘩か何かだろうと高を括っていた。だが、アッシュと話し込んでいたリリスが厳しい顔をして腰を浮かせたので、光治郎もようやく騒ぎがあった方に注意を向けた。
 
 ──いや、視線をそちらに向けようと、意識を働かせつつあった、というべきか。
 その時。 
 いくつもの、高速で飛来する物体を、光治郎は知覚した。それは、<魔導鎧>となったことで手に入れた超感覚であろうか。たまたま、先日の戦闘で追跡者イーラの投擲を見ていたからかもしれない。ともかく、リリスの急所に向かって一直線に飛んでくるそれが、刀身どころか柄までが黒く塗られた短刀であることを、魂レベルで捉えたのだ。
「あ──!」
 危ない、と声を発する間も無い。
 リリスの身体が軟体動物のごとき回避運動を見せた。膝を落としながら身体を後ろに反らせることで、その身に迫る凶器を避けたのだ。ちょうど器械体操の選手がバック転をする要領で後方に飛び退くと、そこはもう壁であった。
「店主、許せ」
 短い謝罪の言葉は、リリスが壁を蹴る轟音に掻き消された。光治郎の全身に凄まじいGが圧し掛かる。
「ふしゅっ!」
 右手の壁を蹴りつけ、強引に方向を転換する。
 一瞬前までリリスが居た場所を、黒い凶器が通り過ぎていくのが見えた。
 カウンターを破壊しながら、再び方向転換をすると、眼下に全身黒装束の女たちが視認できた。頭部を黒いフードで覆っており、口元も隠している。
(誰がどうみても、怪しいな……。ありゃ、堅気の人間じゃないだろ)
 リリスは、猿の如き敏捷さで一人に掴みかかる。そして、相手の頭を抱え込むようにしながら、体重の乗った膝蹴りをめり込ませた。
 そのまま店の床とサンドイッチにしてしまう。頭蓋骨が完全に粉砕される嫌な音が辺りに響いた。
 素早く前転をして離れると、体勢を立て直す。そして壁を背に、残りの者と対峙する。
 よく見ると、先ほど倒した相手には、いくつもの短刀が突き刺さっていた。どうやら敵は、味方を犠牲にすることも厭わないらしい。あと一歩離れるのが遅かったら、リリスの命は無かったかもしれない。
 遅れて、店内のそこかしこから悲鳴が上がった。
「貴様ら、何者だ!」
 リリスが誰何の声を上げる。
 襲撃者たちの返答は、ミドルソードによる斬撃であった。左右に展開した二人が、タイミングをずらしながら振るい、突き、掬い上げる。
 それに対するリリスの対応は単純明快。受けることも払うこともしない。相手の武器が届く前に、目にも止まらぬ速さで得物を抜き放つ。その横薙ぎの一閃は、さながら居合いの達人のごとく。
 一瞬の後には、両腕を失い血を吹き上げる敵が二人、地面でのた打ち回っていた。
「は? な、何だそりゃあ……」
 スイングドアの辺りでこちらの様子を見ていた襲撃者の一人が、ついうっかり、といった様子で呻き声を上げた。
 その気持ちは光治郎にも理解できる。すぐ近くで見ている自分にも何がなんだか分からないのだ。リリスが身体を沈めたと思ったら、既に剣を振り抜いた後だったのだから。
 かなり無茶な体勢からの抜刀であり、そこから繰り出された一撃は、重量のある大剣で行ったとは到底考えられない。桁外れの腕力と、鍛え抜かれた鋼のごとき肉体を持ち、戦士として天賦の才を持つリリスだからこそ、このような芸当が可能なのだろう。
「死にたい奴から、かかってこい。こちらも、そろそろ身体が温まってきた。今のような“手加減”はもう期待出来んぞ?」
 ザワリ、と声にならない声が、襲撃者たちの間で上がったような気がした。
 
 ──薄暗い店内、投擲された黒塗りの短刀を紙一重で避け、空中で方向転換しつつ反撃に転じ、手練れ二人をたった一刀で無力化する。しかも、自分の身長と同程度の刃渡りを持つ鉄塊で、だ。
 これでまだ手を抜いているというのだから、襲撃者たちが尻込みしたとして、誰が責められようか。
 じりじりとした、まるで一秒が薄く長く引き延ばされたような、緊迫した時間が続く。どちらもタイミングを見計らっているのか、微動だにしない。
「ひっ……ひいいいっ!」
 その時、店の奥側で動きがあった。ドタバタと騒々しい足音を立てながら、客の一人が逃げてゆく。どうやら、護衛を連れていた宗教関係者のようであった。お付きの戦士が慌てて男を追う。
「お、お待ちくださ……ごふっ!」「なっ! 貴様、我らを誰だと……げはあっ!」
 そして、倒れる音が二つ。遅れてもう一人が絶命する声が聞こえた。
「ちっ! 裏口も固められたか」
 リリスが、忌々しげに舌打ちをした。
 
 余裕たっぷりに見えるリリスだが、実のところ、主武装がバスタードソードであるリリスにとって室内戦闘は不利なのである。いくらリリスが馬鹿力だとしても、刃が天井や壁に衝突してしまえば、威力は殺されてしまう。椅子やテーブルなども同様に障害となる。身体が大きいのも、この場合マイナスだ。
 しかも、リリスは周囲の環境を利用した戦闘方法──頭を使った戦い方ともいう──は、好まない。とにかく、己の身体能力と豪快な剣技、天性の勘に任せた“力押し”が売りなのだ。だから、障害物の多い森の中でゲリラ的な戦いを行う、「ナルイグの戦士独自の戦闘技術」を、リリスはきちんと修めていなかった。そこが、彼女の大きな弱点と言えるだろう。
 短い付き合いながらも、光治郎はその辺りを理解していた。こういった、ごちゃごちゃした狭い場所では、周囲の細かい変化にも目を光らせねばならない。
 “魂の視点”の力を使いこなし、リリスの力になろう、と光治郎は決意した。戦闘の役には立たない分、自分がリリスの目となり、危険を排除せねば。
(よし、やるぞ!)
 早速、視点を広くとる。ここは天井があるため、あまり高くは上がれない。リリスと、彼女を取り囲む敵が視界に入るような視点で固定する。店内はほとんどの灯りが落とされ、かなり暗いはずだが、魂である光治郎には関係がないらしい。集中して感覚を研ぎ澄ませれば、周囲が昼間と同程度の明るさで見えることに、光治郎は感謝した。
 今、立っている敵は四人。不穏な動きを一つでも見逃すまい、と目を凝らす。
 店の入り口側にいた黒装束戦士がゆらり、と動いた。スイングドアの前に陣取る一人と、裏口側の二人が何の動きも見せないところを見ると、彼女らは客を逃がさないために配置されているようだ。
 腰から細身の剣をスルリと抜き、構えた。
 その構えは、剣術素人の光治郎から見ても洗練された、非常に堂に入った物であった。
 左手で剣を持ち、水平に。右腕は背中に付け、半身となる。足は肩幅程度に開き、軽く腰を落とす。その姿はまるでフェンシングの選手のようだ。
 
 これまで無言を貫いていた黒ずくめが、初めて口を開いた。
「“死突”のテレージア、お相手つかまつる」
 この状況でも取り乱さず、冷静に振舞うことが出来る胆力。己に絶対の自信を持つ者だけが発することが出来る、重々しい言葉。一人だけ違う武器を持っていることからしても、彼女が指揮官なのだろう、と光治郎は当たりを付けた。
「ふうん。なかなか骨がありそうじゃないか。氏族名を名乗らぬのは礼を失しているが……貴方の立場上それは仕方がないのだろう?」
 その返答に面食らったのか、一拍だけ間があった。テレージアが微妙に顔を歪めたのが、光治郎にも見えた。
「……かたじけない。せめて、私の必殺必中の一撃を持って貴様を屠ろう」
「望むところだ。私は、パルドーア氏族のリリス! 行くぞ!」
 返礼のごとく、リリスも歯をイッと剥いて笑う。その表情は、倒しがいのある得物を前に肉食獣が舌なめずりをしているように見えた。
 先手はリリス。下方から、掬い上げるような斬撃。
 テレージアを逆袈裟懸けに斬り上げるその軌道は、避けにくい上に間合いを詰めさせない効果も持っていた。ましてや、彼女の持つ細剣では、受けることも不可能だろう。
「しゅっ!」
 短く息を吐くと、テレージアは、バスタードソードが描く致死の軌道ギリギリのところで踏み止まる。そして、細剣を軌道上に差し込むや、腕を巻き込むように回転させ、跳ね上げる。結果、リリスの剣は明後日の方向へ弾かれた。
 広く視界を取っていた光治郎には見えた。あれは、決して小手先の技ではない。そもそも、怪力を誇るリリスの渾身の一撃が、そう簡単に弾かれる訳がないのだ。たとえ、それが力を受け流す類の物であっても、だ。リリスがその可能性を考えずに、単なる力任せの剣技を使うはずがない。
 テレージアの後ろ足が強く床面を擦りながら回転するのが見えたと思ったら、その力が下半身から腰、腕、手、そして剣へと伝わったのだ。いかなる技術か素人の光治郎には分からなかったが、あれは全身を使った上、地面からの反発も加えた回転撃なのだろう。
(中国拳法が出てくる漫画であんなのあったな……。自分の肉体だけじゃなくて、大地、そして重力までもが武器の一部であるとかなんとか……)
 そのまま勢いを殺すことなく、テレージアはさらに踏み込む。後ろ足を引き付けると同時に、剣を持つ左腕を突き出す。
 それは、面でなく点を狙う一撃。攻撃範囲が著しく狭いだけに、効果的な打撃を与えるためには急所を突かなくてはならない。その反面、攻撃速度は尋常ではない。
 この利点を生かし、欠点を補うのが、麻痺毒の存在である。致死性は無いものの、体内に取り込まれればごく短時間で効果を表すこの毒こそ、彼女らを暗殺者として最強たらしめてきた理由なのである。

 いかほどの戦士たちがこの技に斃れてきたのだろうか。
 身体のどこでもいい、少しでも刃で切り裂ければ、あとは毒が回るのを待って止めを刺せば良い。それは、とても簡単なことに思われた。実際そうやって、数々の強敵を亡き者にしてきたのであろう。
 だから、テレージアは笑みを浮かべる。
 勝利への確信……それ自体は間違っていない。ただ、一つだけ間違っていた事があるとすれば──
 
 ──それは今日、この日、リリスを相手にしたことだ。

 金属がぶつかり合う、耳障りな異音が店内に響き渡る。
 テレージアの凶刃は、リリスの鎧により止められていた。正確には、左手でテレージアの腕を掴み取り、鎧の、わきの下辺りを突くように軌道を反らしたのだ。
「なっ! ば、馬鹿な!」
 テレージアが驚くのも当然だ。バスタードソードが弾かれた時点で、リリスの体勢は崩れ、大きく流れていた。あの状況で、ボクサーのストレートのごとき速度で突き出される腕を掴むなど、ありえない。
「……正確な突きだ。だが、だからこそ的をずらしやすい。私レベルの戦士にはそのような技、通用せんぞ」
 ふふん、とリリスが得意気に嗤う。
 リリスは「的をずらす」などと簡単に言ったが、その体術が常識外れであることは光治郎にも分かる。相手は、入隊したばかりの新人ではない。リリスと同じか、場合によってはより長く、<機動制圧部隊>というエリートが集まる場所で鍛え上げられた、歴戦の戦士だ。そんな女が、自ら「必殺必中」と呼ぶ突きが、簡単にいなせる訳はないのだ。
(──リリス以外は、な)
「……っ」
 ぎりっ、と奥歯を噛み締める音が聴こえる。目の前のエリート戦士もいたくプライドを傷つけられたらしく、これまで何の感情も見せなかった眼に炎が宿る。
「しゃっ!」
 鋭く息を吐くと、恐ろしい速度でテレージアが踏み込んでくる。
 足音を消すためだろう、テレージアは柔らかい素材で出来た靴を履いている。そのため、接近してくる時の足音がほとんど聞こえず、まるで床を滑るようにして、一瞬にして間合いを詰めてくるように感じられるのだ。袴のような丈の長いスカートを穿いているのも、足捌きを見せないためだろうか。
 そのまま一つ、二つ、三つ、四つ、と突きの連打を浴びせるが、リリスは危なげなく捌いていく。
「ならば! 我が氏族に伝わる奥義で、貴様を突き殺そう! パルドーアの戦士よ! 出来るものなら、受けてみよ!」
 先ほど、リリスの剣を弾き飛ばした時に見せた、末端部からの回転。地面から脚、腰を経て胴から腕へと力が伝わる、正にその瞬間。
 テレージアは一直線に、必殺の間合いへと飛び込んだ。
 防御も何も考えない、捨て身の戦法。この一撃さえ当たれば、あとの事は何も知らぬ、と言わんばかりの突きは、先ほどまでの攻撃が児戯に見えるほどの速度であった。
 
 テレージアの目的は、一対一の決闘ならば恐らく問題なく達成されたであろう。
 だが、その思惑は脆くも崩れ去ることになる。
 何故なら、リリスには光治郎というパートナーがいるのだから。
「リリス、突きはブラフだ! 本命は右だ! 気をつけ──」
 光治郎は、テレージアが飛び出す寸前に、リリスに注意を促すことに成功した。

 これまで、テレージアは右腕を背中側に回していた。それは、彼女が使う剣法の基本的な構えなのかと思い込んでいた。フェンシングの構えも似たような感じであるため、光治郎はすっかり騙されていたのである。
 だが、テレージアが捨て身の技を繰り出す直前、右腕に鉤爪が見えたのだ。それは黒く塗られており、光治郎の位置からでも目を凝らさないと装束に紛れてしまうような色合いであった。
 それに気付けたのは、幸運だったとしか言いようがない。
 ──二人の影が交差する。
 金属の擦過音。そして激突。ぐしゃっ、という、中身の詰まったゴミ袋を地面に激しく叩き付ける様な、嫌な音がした。
 気が付くと、ボロ雑巾のようになったテレージアが床に倒れ伏していた。手足がおかしな方向へ折れ曲がり、首が180度回っている。まるでダンプカーに轢かれたかのような惨状に、光治郎は吐き気を堪え、目を反らした。
「……戦いは二手、三手先を読むものだ。貴方が何かを狙っていたのは分かっていたよ。なるほど、右腕の暗器が本命だとはな」
 一旦言葉を切ると、リリスは呼吸を整える。
「最初に“死突”だとか妙な二つ名を名乗ったのも、初撃を防がれて悔しそうな顔を見せたのも、『奥義で突き殺す』だの、『受けてみろ』だのと息巻いていたのも──全て私の意識をそちらに集中させるためか。いやはや、流石だ。感服したよ。“死突”のテレージア……貴方は強い。立派な最後だった、と後世に伝えてやろう」
 傲慢極まりない言い回しだが、「戦士の名誉」というものを最も大切にしているリリスのこと。おそらく、これが決闘相手に対する敬意の表し方なのだろう。
 
 その時。
 店の奥側、裏口を押さえていたテレージアの部下が奇声を発した。
「クォオオオオオオォォォオオッ!」
 店内に響き渡る大音声。獣の遠吠えのような、聞くものの警戒心を煽るような、妙な抑揚が付いた甲高い声。それが終わるや、先ほどの物より高く長い声が続く。
「サァァアアアアァァァアアアアアアアア!」
 それはもはや、悲鳴のようであった。
「なっ!? 何だいったい? 指揮官が倒されて頭がおかしくなったのか?」
「いや、違う! これは……戦士の間で使う符丁。獣の遠吠えをヒントに、短い音節で出来るだけ遠くまで届くように、と作られた物だ」
 リリスによれば、お互いの姿が見えない状況──森の中に伏せている時や、市街戦など入り組んだ地形に展開している場合だろうか──で、同じ部隊の仲間に命令を出したり、戦況を伝えたりするのに使われるのだという。その多くは部隊間で共通だが、やはりそこは縄張り意識のような物があり──同時に仲間意識を高める目的もある──各部隊特有の符丁があるのだ。特に、特殊部隊などではそれが顕著である、とリリスは締めた。
「最初のは分かる。私が習ったものに似ているからな……多分、“撤退”だろう。だが、二つ目は見当が付かん」
 リリスの言った通り、裏口側にいた二人が急いで離れていくのが光治郎には見えた。入り口の方を見ると、先ほどまでスイングドアの辺りに陣取っていた者は、いつのまにか姿を消していた。
「音程や抑揚から、あれは何らかの強い警告……私を、対処不能な強者、あるいは予定外の危険要素、と判断したのか? いや、それにしては、緊急性の高い指示だったような……」
 そこまで口にすると、リリスはハッと顔を強張らせる。
 その視線は一点を凝視していた。すなわち、累々と横たわる客の死体の中、傍らに斃れる黒装束の者たちのそれを。
「コージロ! すまん! お前のとの契約は守れな──」
 
 目も眩むような閃光と強烈な熱波。そして、全身をハンマーで殴りつけられるような衝撃が光治郎とリリスを襲った。

 ◇◆◆◆◇

 真っ赤に燃え上がる建物を、<機動制圧部隊>の面々──犯罪ギルド子飼いの暗殺部隊であり<裏方>と呼ばれる彼らだが、戦士としての矜持は捨てていない──が見守る。
 炎の蛇が吹き上がり、建物の屋根を舐めとったかと思った次の瞬間、凄まじい轟音と共に石壁が吹き飛んだ。その破壊力は、鋼鉄製の扉が飴細工のようにひしゃげて転がっているのを見れば、おおよそ察することが出来るだろう。
 爆発と炎の力にも屈しなかった柱や壁が、遂にガラガラと音を立てて崩壊した。辺りに土煙が上がり、一気に視界が悪くなる。 

 「我らの仕事は終わりだ。所定の位置まで後退。あとは予定通りに」
 くぐもった、だが周囲の味方には十分通る声で<裏方>の一人が指示を出す。残りの者たちは一つ頷くと、すぐに行動を開始した。 
 
 店の最期を見届け、一人また一人と影に沈むように姿を消して行く。
 そしてスラムの住人や、騒ぎに気付いた野次馬根性溢れる者たちが駆けつけた頃には、そこに黒装束集団の痕跡などもはや何も残っていないのであった。



サポートよろしくお願いします! いただいたサポートは、よりいっそうの創作活動に使わせていただきます!