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◆4◆ 「光治郎、一世一代の大芝居」

 リリスと光治郎は<青銅の盾>隊によって捕縛された。
 罪状は、「治安紊乱」。巡回戦士でもない者が、街中で抜刀して人を追い回す、というのは、さすがにまずかったようだ。相手が脛に傷を持つ輩であり、刃物による殺傷がほぼ不可能な岩窟人、という点から、「殺人未遂」までは適用されないらしい。
 二人は、その場で簡単な取調べを受けることになった。
「名前は?」
「リリス……だ」
「氏族名を名乗れ! どこの氏族の者か分からんのでは、身元確認も出来んだろうが!」
 高圧的な巡回戦士は思い切り顔を近づけると、眉を逆立て、大声で怒鳴りつけた。兜のデザインが他の者とは微妙に違うこと、また他の者に指示を出していたことから、彼女がこの部隊の指揮官であるらしい。
 巡回戦士の威嚇はリリスに何の痛痒も与えなかったようだったが、家の名前を出すのに抵抗があるのだろうか。女から視線を逸らすと、リリスは押し黙ってしまった。
 だが、名乗らなければ事態は悪化するだけだと判断したのだろう。一瞬迷ったものの、すぐに口を開く。 
「……パルドーアの者だ。私のような服装をしている者がいないか問い合わせれば、すぐに分かるだろう」
「あの、大氏族パルドーアの……! ……ふん、ちょっとそこで待っていろ。遣いを出す」
 彼女にとって、リリスの実家の名は、そこそこの影響力を持つらしい。数人の部下をその場に残し、向こうへと行ってしまった。すぐに連行せずに身元確認を優先する辺り、下手を打てば自分にも累が及ぶと考えたのかもしれない。
 そのやり取りを聞いていたらしい、戦士の一人が大きな声を上げた。
「ああ、思い出した! あんた、うちらの間じゃ、ちょっとした有名人じゃん。ピンクのヒラヒラした、だっせえ服。頭に、馬鹿みてえなリボン乗っけた、怪力デカ女!」
 すると、「ああー、あの」「聞いたことあるわー」と、同意の声が次々に上がった。
 リリスは、お気に入りのファッションを侮辱されたことに、かっとなったようだが、さすがにここで大立ち回りを演じるほど愚かではなかった。下を向き、強く唇をかみ締め、怒りを押し殺している。
 しかし間の悪いことに、そこにいた戦士の一人が、リリスのかつての同僚であった。しかも彼女は、リリスの生まれや才能に嫉妬していた者たちの一人だったのだ。
「つーか、こんなところで何やってんだよ、お前。お前さ、確か族長が男と逃げたせいで、『外回りの刑』になったんだろ? 早く動物のクソを集める仕事に行ってこいよ!」
 ギャハハ、と品の無い笑い声が路地に響く。
 「外回りの刑」とは、<青銅の盾>隊の中で流行っている隠語である。出世の道を断たれた者が、外壁警備部隊である<勇躍する大樹隊>へと異動になることを揶揄して、こう言うのである。
 才気溢れるリリスのこと。相当な妬み嫉みを買っていたらしく、同僚の罵詈雑言は終わらない。周りの者も、多かれ少なかれ同じ思いを抱いていたらしく、彼女に同調して囃し立てる始末である。
 あること無いこと言われ、おそらくは相当に尾ひれを付けられた理不尽な罵倒を受けているにも関わらず、リリスは一言も言い返すことなく、じっと耐えていた。
「リリス……おい、リリス! このまま言われっ放しでいいのかよ!」
 リリスは、黙して答えない。
 ほんの短い間だが、リリスは共に過ごしてきた相棒である。真面目で、武人のような硬い喋り方をする不器用な女性だが、周りを取り囲む者たちが口にするような人間では決してない。そんな彼女が、下品で下世話で侮蔑的な言葉を投げつけられているのが、光治郎には我慢ならなかった。
「クソッ……何か、俺に出来ることは……」
「いいんだ、コージロ。これは私の問題だ。大丈夫。これしきのこと、何でもないさ」
 搾り出すような小声で、リリスはそれだけ口にした。
 その時、光治郎は見てしまった。唇を強くかみ締めて我慢しているが、リリスの目は潤んでいた。もしかしたら、口を開かないようにしているのは嗚咽を堪えているのかもしれない。
「……っ!」
 リリスのそんな表情を見せられて、光治郎は頭が真っ白になってしまった。
 気付いた時には、激しく沸き立つ怒りと、感情の奔流のままに言葉を紡ぎ出していた。
「はっ! これが、<ナルイグの民>の戦士どもか。何とレベルの低い。教養も品格も無く、人間として最低のモラルも無い。よくぞ今まで生きてこられたものだ。私がお前たちだったとしたら、恥ずかしくて自害していただろうな。我が国にも、食い詰め、汚物まみれで路上を住処とする者どもがいたが……貴様らはそれ以下の何かだ。おお、情けない!」

 空気が、一瞬にして凍った。
 それまで大声でゲラゲラと笑っていた者たちは一斉に口を噤み、眉をひそめて光治郎の方を見つめていた。その顔に浮かぶのは驚き、疑念、怖れ、怒り、それらが小さじ一杯ずつ掬い取られ、ぐちゃぐちゃに混ぜ合わされたような、複雑な感情であった。
 妙な反応を疑問に思った光治郎が問いかけるよりも早く、四人の巡回戦士の中でもリーダー格らしい女が嘲りの声を上げた。
「おいおい。こいつ、『外回りの刑』になった癖に、魔導鎧着てんのかよ! まったく金持ちってのは、羨ましいねえ! どんな無能でも取り立ててもらえるんだからさあ!」
「だよな~。有力氏族の娘ならどんな無理も通るってもんさ。実力よりもコネと金か~。アッハハ、あたしら庶民とは世界が違うって!」
 すぐに周りの者たちも、そうだそうだ、と追随する。リリスの生まれや家柄、人格をネチネチと攻撃する巡回戦士たちの言葉は、耳を覆いたくなるような醜悪さだった。

 光治郎は傲然と笑う。
 大きく口を開け、相手を嘲るように、周囲の声を掻き消すように、巌のような顔を歪めて笑い続ける。
「お、おい、コージロ!」
 巡回戦士の神経を逆撫ですることを恐れたのか、リリスは必死で光治郎を止めようとする。だが、光治郎の哄笑は止まらない。
 喜怒哀楽の感情表現の中で、最も難しいのは「笑う」演技だという。無理に笑おうとすれば乾いた、嘘っぽい演技になり、観客は醒めてしまう。リアルな演技をするには意識を特定の物に集中させたり、笑い方の種類をいくつかストックしておいたり、声量や声の幅に波を作ったり、といった技術が必要になる。
 役者によってやり方は違うが、光治郎は今回、 ストックしたもののいくつかを組み合わせた上で強弱を調節してみた。身体を動かせないので表現方法が制限されてしまうが、そこは「魔王ザヴォーク・ラ・ゴラス」で培った経験が生きた。悪役らしく高笑いするシーンが劇中何度もあったのだ。光治郎にとっては、お手の物であった。
 これは巡回戦士たちも面白くなかったらしく、リリスに向けていた視線を、ようやく光治郎へと固定した。
(やっと注目してくれたか。俺をリリスの付属物だとでも思ってたのか? このまま無視され続けたらどうしようかと思ったぞ……)
 光治郎は、ようやく自分の出番が来たことを悟った。高笑いを少しずつ収めると、ゆっくりと周囲を見渡す。
「クククク……『弱兵ほどよく吠える』とはよく言ったものだ。時代は変わっても、やはり人は変わらんのだな」
「あぁ? あたしらが弱兵だと?」
 すっ、と巡回戦士たちの表情が消える。にやにやと張り付いていた嫌らしい笑みも、ふざけ半分で上げていた嬌声も、人を小馬鹿にするような手拍子も、もはや、どこにも無い。
 光治郎は、周囲の気温が何度か下がった気がした。口内の唾をごくりと飲み込む。さあ、ここからが役者、佐伯光治郎の腕の見せ所だ。
「自分の立場、分かってんのかい、あんた? どこの『偉人さま』だか知らないがねぇ、こっちだって国を守る<青銅の盾>隊だ。侮辱を受けて、いつまでも黙ってる訳にゃ、いかねえんだわ。命張ってんだよ、こちとらぁ!」
 凍るような鋭い殺気が光治郎へとぶつけられる。目の前の女たちは、一瞬で「嫉妬深い同僚」から「荒事に長けた戦士」へと姿を変えていた。
 
 光治郎は内心、まずは第一段階が巧くいったことに、ほっと胸を撫で下ろしていた。舞台に上がる時は、まず第一声が大事なのだ。最初の台詞でコケると、あとはドミノ倒しのようにガタガタと崩れていくということを、光治郎は苦い経験から学んでいた。
 巡回戦士の迫力はなかなかの物で、思わず縮み上がりそうになる。だが、光治郎にも役者としてのプライドがあるのだ。怖気づいたような様子はおくびにも出さない。鼻を鳴らし、ふてぶてしい「魔王」を演じ続ける。
「はて? 強者とは、丸腰で無抵抗の者を大勢で囲み、私刑を加える者たちのことを言うのであったか。いやはや、申し訳ない! これは私の勉強不足であった」
 なるべく相手を虚仮にしているように、傲慢に聞こえるように、ゆっくりはっきりと。抑揚を付け、慇懃無礼な態度に見えるように。光治郎は、そう努めて言葉を紡いでいく。
「はあ? 何を言ってるのか、分からねえな。あたしらは、戦士としての職務を全うしてるだけさ。それにな、強者ってのは最後に勝った者のことを言うんだ。負け犬が何を喚こうが、関係ねえな!」
 目の前の巡回戦士は、そう嘯く。
「なるほど。そなたらは勝者だと?」
「この状況見りゃ、分かんだろ?」
 光治郎は思わせぶりに一拍置くと、大袈裟に溜息を吐いた。
「いやいや、嘆かわしい。<青銅の盾>隊というのは、どんな手を使っても勝てばいいという教えなのだな。かつて戦士たちの中に見られた誇りや尊厳など、もはや失われて久しいというわけか」
「何っ……!?」
 巡回戦士たちの顔色が変わる。
 光治郎は、心中密かにほくそ笑んだ。見てくれや言葉遣いはともかく、彼女たちはエリート戦士。武士、騎士などと同様に、名誉や誇りというものを何よりも大切にしている者たちなのだ。
「かつて戦で出会った者たちは、敵兵であろうと、強者に対して最大限の敬意を払ったものだ」
 答えは返ってこない。構わず、光治郎は続ける。
「いや、失敬失敬。そなたらのような無能な愚物では、正々堂々と武を競うなど出来ぬ話だわな。精々が、卑怯千万な手を使うくらいしか道は残されておらぬ、というわけか。哀れ哀れ」
「貴様ぁ! こちらが下手に出ていれば……!」
 腰の得物に手がかかる。まだギリギリのところで堪えているようだが、気が短い彼女たちのこと。いつ捨て鉢になって斬りかかってくるか分かったものではない。
 相手が全て言い終わる前に、光治郎は第二段階へと進むことにした。
「小娘ども! 恥を知れ!」
 その場にいる者たち全員の鼓膜をビリビリと震わせる、大音声。光治郎自慢のバリトンボイスが、狭い路地に響き渡る。長年の発声練習により鍛え上げられたその声は、練兵場で指導教官に怒鳴られ続けて耐性があるはずの巡回戦士たちをも、後退させるだけの迫力があった。
「私は、ザヴォーク・ラ・ゴラス! 罪業にまみれ、いずれは地の獄へと送られる運命の哀れな魂──かつては魔王と怖れられた男よ! アンヴリルの誇り高き戦士たちよ、忘るるなかれ! 武とは、民を、国を守る為に使うものなのだと! 方向を誤れば、人は容易く闇へと堕ちる! 私を見よ! 王の名のもとに、数え切れぬほどの人々を殺め、勝者を気取っていたが結局はこのザマよ!」
 この世界において「魔王」とは、悪事を為し、国を滅ぼし、民に見捨てられ、憐れな最期を迎えた王のことである。生前、いかに功を上げ国を栄えさせたとしても、「魔王」の烙印を押されれば、その名誉は地に落ちる。後世に残るのは尾ひれの付いた悪事の数々と、侮蔑的な忌み名のみ。自らの人生は全て否定され、名は氏族から抹消され、子々孫々はおろか世界中の者どもから未来永劫辱められるのだ。
 武と名誉に生きる戦士たちにとって、これほど恐ろしいことはない。
 だからこそ、魔王の魂が訴える「堕落するな」という鬼気迫る言葉には、強い説得力が宿った。
 普段は強がっている巡回戦士たちも、己の未来に不安を抱かぬ者などいない。競争相手は同氏族の姉妹たちだけではなく、他氏族の者たちを合わせれば膨大な数となる。戦争をやっていた時代とは異なり、功を上げ出世出来る者は一握りと言ってよいのだ。
 光治郎の言葉に自らを重ねているのか、四人の巡回戦士は動揺を抑え込むので精一杯のようであった。

 光治郎のにわか演説にも、いよいよ力が篭っていく。大きく息を吸い、力強い言葉をぶつけていく。
「戦士たちよ! 初心を思い出せ! 栄光の未来を胸に、父に、母に別れを告げ、戦士としての道を歩き始めた、あの朝を! 苦しくも実りある鍛錬の日々を! そして、誇り高き戦士たちよ、立ち止まるな! ここは終着点ではないのだ!」
「な……何がだ! あ、あたしらはいったい、どこへ向かえばいいってんだ! いったい……クソッ、クソッ、こんな、どうなるか分からんこんな世の中で、稼ぎも少ないあたしらじゃ、先は見えてる!」
 無理に搾り出した、といった様子で巡回戦士の一人が反駁する。それは途中から急激に熱を帯び、悲痛な叫びとなる。自らの能力の限界と、競争社会に対する不平不満。いつしか心に灯っていた希望の火は消え、絶望と諦観が支配する毎日。長年かけて積もり積もった、そういったドス黒いものが、彼女の胸の内から溢れ出したようだった。
「自らに限界を設けるな! 貴様らは何だ! 誇り高いナルイグの戦士ではなかったか! 大木は最初から大木だったわけではない! 日々コツコツとたゆまぬ努力を続け、少しずつ時間を掛けて枝葉を伸ばすのだ! 先へ、もっと先へ、誰もが諦めていたその先へ。未踏の地へ、茫漠たる天へ、その腕を伸ばすのだ! お前たちにはそれが出来るはずだ! 何故なら……」
 光治郎は大きく息を吸い込む。巡回戦士たちに目を遣ると、どの者も呆けた様子で、光治郎の言葉に聞き入っている。
「何故なら、そなたらは生きているのだから!」
 巡回戦士の一人が、はっと息を飲んだ。
「短い人生。一度きりの人生。今、そなたらの前は道が広がっている! 無数に枝分かれし、あらゆる結末へと続く道だ! では、その大元は何だ! 全ての可能性を内包する金の卵とは、何だ! そなたらの事ではないか! 自らの幸福、自らが望む結末は、己の力で掴み取れるのだ!」
 一拍間を空け、光治郎はいよいよ締めに取り掛かる。
「さらに未来へ! 未来へ! よいか、ナルイグの戦士たちよ! 道半ばで立ち止まるな! その道は決して平坦ではないだろう! まっすぐではないし、急勾配だってあるだろう! だが、良いのだ! 道端の石につまづいても良い! 転んだなら再び立ち上がれば良いのだ! 歩みを止めるな! そして、その先にある栄光の世界へと羽ばたくのだ、誇り高き戦士たちよ!」
 
 <魔導鎧>は、戦士たちにとって力と栄誉、富の象徴であり、いつか手にしたいと誰もが夢見るものである。そして、女王陛下から下賜される物であるため、ただの防具という訳ではなく、そこには何らかの神聖性が宿る。さらに言えば、死者の魂が降霊されるということから鎧は憧れであると同時に、恐怖の対象でもあった。また、エリートといえども下級戦士の身では<魔導鎧>と接したことなどほとんど無いに違いなく、それが鎧の権威を余計に高めていたのだ。
 当初、巡回戦士たちが光治郎の存在に気付いて動揺していたのは、そういった訳である。光治郎は一大決心をしてこの舞台に臨んだ訳だが、彼女たちも、内心いっぱいっぱいだったのは想像に難くない。
 結果的にはこれが功を奏した。巡回戦士たちは、光治郎の言葉に、その内容以上の何かを受け取ったのだ。
 権威者に挑発されれば反発は大きいが、その逆もまた大きい。光治郎の大仰な言い回しと演技力により、それまでの罵詈雑言も「実は我々への叱咤激励だったのではないか」と勘違いさせてしまうほどに。
 彼女たちには、光治郎とリリスの後ろに後光が射しているようにすら、見えていたかもしれない。
「自分を諦めるな。戦士達よ……。幸福は常にそなたらの傍らにある。それを忘れず、たゆまぬ研鑽を積むがよい」
 光治郎は、最後にそう締めくくると巡回戦士たちを優しい目で見つめた。

 しばらく、誰も言葉を発さなかった。
 光治郎は「言いたいことは言ったけど、ちょっと大袈裟な言い回しを使いすぎたかな」と後悔し始めているところだった。いつもの悪い癖──過剰な演技──が出ていなかったか、という点も気になる。もちろん役者のプライドに懸けて、そんな内心の動揺はおくびにも出さないが。
 演説の最中、何度か口を挟もうとしていた様子のリリスだったが、結局は光治郎の為すがままに任せていた。今はどう思っているのか分からないが、もはや何も言う気は無いようだ。

 ぱちぱちぱち。静かな路地に拍手が響き渡った。
「いや、実に感動的だ。私も目が覚める思いだよ」
 先ほど、リリスの身元確認に行っていた巡回戦士の指揮官である。リリスを脅しつけていた時とは違い、随分と物腰が柔らかい。あの横柄な態度と詰問口調は、職務遂行上被っていた仮面であるらしかった。
 呆けた表情の部下たちに目を遣ると、声をかける。
「今回は、お前たちの負けだな。巡回戦士としての誇りと矜持を持って、今後も任務に励むように! 本部まで駆け足!」
「はっ!」 
 リリスを罵倒していた巡回戦士たちは直立不動で敬礼をすると、<青銅の盾>隊本部まで走っていった。巡回戦士の名誉を傷つけたことへの、一応の罰であるらしい。彼女らに対して、ならず者集団のようなイメージを持っていた光治郎だったが、多少は認識を改めるべきだろうか、と内心考えていた。
「では、我々も本部へ向かいましょう。いやいや、そう構えずに。岩窟人のこともありますので、形式的な聴取を行うだけですから。ご心配なく」
 指揮官の女性はそう言うと、容疑者移送の指示を部下へと出し始めるのであった。

◇◆◆◆◇

「なかなかの大演説だったな。感心したぞ」
 巡回戦士と共に本部へと移動中、リリスがニヤニヤしながら光治郎にだけ聞こえる声で話しかけてきた。それは、いたずらっ子が新しくいじめがのある玩具を見つけた時のような、ちょっと意地の悪い表情であったが、彼女の感謝の気持ちが言外に表れており決して不快ではなかった。
「茶化すなよ。俺は俺の思ったことを言ってやっただけだ」
 実際、巡回戦士たちに向かって吐いた言葉のほとんどは、そのまま光治郎自身に跳ね返ってくる。劇団を辞めて日々を無為に過ごしていた、あの頃。人生に悩み、苦しみ、救いを求めて読み漁った本によく書かれていたことだからである。
「いやいや。さすがに魔王と呼ばれた男の言うことは違うな、と感じ入っていたのだ。実感がこもっているというか、現実に苦しんできた者の生々しさがあったな、と」
「ま、まあな。俺にも色々あったんだよ」
 そういえば俺は魔王という設定だったんだな、といまさらのように思い出し、光治郎は口ごもる。
「それより、コージロ。これだけは言わせてくれ」
「ん? どうした、改まって?」

「先ほどは私を庇ってくれて、その……すまなかったな」
 照れているのか、こういうことに慣れていないのか定かではないが、リリスはばつの悪そうな顔をして消え入りそうな声で、そう言った。
「リリス。そういう時はもっと他の言葉を使った方がいいな」
 何だか弱気なリリスが微笑ましくて、光治郎は、教師が生徒に物を教えるかのような態度を取ってしまう。
「他の言葉、とは?」
「謝るんじゃない。この世界には感謝を伝える言葉が、あるだろう?」
 リリスはハッ、として目を見開く。そして、先ほどとは違う羞恥を感じたらしく頬を染めたものの、すぐに光治郎に向き直った。

「そうだな……。ありがとう、コージロ」

 二人は爽やかな笑みを交わす。
 ナルイグの戦士と魔導鎧。ただの契約相手としての関係から、一つ壁が取り払われ、少しだけ距離が近づいた気がする光治郎であった。
「ああ、そうだ。どうでもいいことなんだけどさ……」
 一つだけ疑問に思っていたことを、光治郎は口にする。
「さっきの岩窟人だけど。何でわざわざあんなアクロバティックなやり方で追跡したんだ? 民家の屋根へ飛び移ったり、壁を登ったり。あんな脚力があるんなら、あいつと同じように道を走ればよかったじゃないか」
 予想外の質問だったのか、リリスは目を見開く。一瞬躊躇ったものの、すぐに口を開いた。
「ま、まあな。そのやり方でも、盗人の捕縛は可能だったろうさ。だが、それには大きな問題があったんだ」
「問題? 何だ、そりゃ」
 リリスはばつの悪そうな顔をして、視線を逸らす。 

「だって、その……服が汚れるじゃないか」

 子供っぽく頬を膨らませると、そんな当たり前のことを訊くな、という顔で、そう言った。
「リリス……お前……」
 その後も「だって、このドレスは、私に合わせた特注品なんだぞ。泥が跳ねたりしたらどうする」とかなんとか何やらぶつぶつ呟いていたようだったが、光治郎は呆れてしまって、もう聞いてもいないのだった。

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