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◆6◆ 「尾行者」

 その魔道具は、ガラス細工のような透明感を持った石だった。宝石というほど美しくはないが濡れたような光沢を放ち、独特の形状をしたそれはエクス・ターナム石と呼ばれ、<魔導鎧>を着込むナルイグの戦士たちにとって無くてはならない物だった。
 エクス・ターナム石について語るには、そもそも、<魔導鎧>──あるいはそこに封じられた魂──の役割は何か、というところから始めねばならない。
 ナルイグの戦士にとっての<魔導鎧>──それは、平時から苦楽を共にする相棒であり、戦場を共に駆ける戦友であり、戦士としての使命を終えるその日まで続く<鎧契約>の相手である。
 その役割は大きく二つ挙げられる。
 一つ。群れとしての強さよりも個の武勇が重視されがちなナルイグの戦士社会において、孤立しがちな強者を精神面からサポートすること。
 一つ。戦場では敵の索敵を行い、斥候として戦士の安全を確保すること。いざ戦闘状態に入ったら、死角からの襲撃を防ぐこと。
 
 戦場において、最も重要なのは情報である。
 敵兵がどこに、どのような装備で、どの程度の規模で展開しているか。どこに兵を伏せ、どこに補給物資が貯蔵され、どこに本陣があるか。こういったことが事前に分かれば、勝利を納めるのは容易い。
 だが、偵察部隊を出すのは高いリスクを伴う。鳥人族による高空からの強行偵察は極めて有効だが、彼らは肉体的に脆く、弓や投石で簡単に撃ち落されてしまう。鼠人や蜥蜴人など、隠密能力の高い種族たちが行えば発見される危険は減少するものの、ある程度の距離から二次元的に情報の収集を行わなければならないため、鳥人による三次元的な偵察に比べ、どうしても精度が下がってしまうのがネックだった。スパイを潜入させるという方法は、そもそも姿かたちが違うため成立しない。
 そんな中考案されたのが、<魔導鎧>による上空からの観測である。当時は<魔導鎧>に封じられた魂の姿は、魔法遣いの中でも特殊な能力を有する者たち──「降霊術師」にしか見ることが出来ず、霊体による力の放射も感じ取ることは出来なかった。つまり、ある程度の距離まで近づければ、敵方に気取られずに大胆な偵察が可能なのである。
 
 これに慌てたのが人間側である。この技術が判明するや、国中から優秀な魔法遣いたちが集められた。普段ならば忌み嫌われる<呪術師(シャーマン)>や<死霊遣い(ネクロマンティア)><精霊遣い(スピリタス・オペレータ)><獣遣い(ビースト・インストラクタ)><黒魔術師(テネブリス・マギ)><魔女(ウィケッド)><妖術師(ソーサラー)>といった者たちは特に厚遇された。
 何故そのような、裏社会で生きる者たちが歓迎されたのか。その原因は、教会との仲違いにある。
 国教である神霊光輝会ルーメン派がこういった分野に詳しく、王はすぐに調査を命じた。だが、彼らによれば「降霊術で行われる儀式は邪悪な物であり、魂という概念自体が我らの教義に反する。このような穢れに関わることは断じて認められない」と協力を拒んだのである。王は激怒したと言われ、戦後、王家・貴族派閥と神霊光輝会は対立を深め、それまで政権中枢部まで手を伸ばしていた教会勢力は急激に衰退していくこととなる。

 ともかく、国を挙げての対<魔導鎧>研究は一定の成果を上げた。<死霊遣い>と<精霊遣い>は、<魔導鎧>に封じられた魂の姿を見ることが出来たのだ。また、彼らが霊魂と交信をする時に使う術の中に使えそうな物が見つかった。万が一、儀式で呼び出した霊が手に負えない悪霊だった場合、それらから身を隠すための秘術。
 それが、<対魂・認識阻害魔法>だったのである。
 この「発見」により、<魔導鎧>対策は急速に進んでいく。そしてそれは、<ナルイグの民>との戦争が激化していくことを意味していた。人間側は各地で勝利を納め、瞬く間にその領土を広げていった。
 一方、ナルイグ側も負けてはいない。
 <対魂・認識阻害魔法>により偵察行動が妨害・探知されていることが発覚するや、降霊屋を戦場に赴かせ、現地で実験と研究が繰り返された。必要な犠牲だったとは言え、かなりの数の戦士が命を散らしたという。
 だが、その成果はあったと言える。降霊屋は、<対魂・認識阻害魔法>が、<魔導鎧>とその魂の結節点に毒のようなエネルギーを送り込んでいることを突き止めたのだ。
 当初は<対魂・認識阻害魔法>が使用された瞬間に、魔力の流れを辿って使用者を撃退するという方向性で話が進められた。だが、それでは必ず降霊屋を偵察部隊に同行させねばならないし、何人いるかも分からない魔法の使用者を、その都度特定して攻撃しなければならない、という点で現実的ではない。
 ならば、魔法をかけた側でなく、かけられた側をどうにかすれば良いのではないか。「毒」を浄化するだけではなく、さらに、それを注入してくる「毒虫」を寄せ付けないような処理を施せば……? この発想なら必要最小限の「治療」で済む上、降霊屋が直接施術せずとも、同様の効果を持つアイテムでどうにかなる。かけるべき魔法の強度や流し込む魔力の量、範囲などが限定されるからである。
 こうして使われるようになったのが、エクス・ターナム石である。
 これはそもそも、山に生きるある一族──他種族との関わりを厭い、過去の大戦においても<ナルイグの民>に加わらなかった者たち──が宗教的な儀式に使っていたと言われる石であった。決して希少な物ではなかったが、運の悪いことに産出される鉱脈は人間国家が支配する地域にあったのだ。
 <ナルイグの民>側はあるルートを使い、秘密裏にこの一族と接触、エクス・ターナム石を流してもらうことに成功した。
 この件については、現在のアンヴリル全氏族統括枝議会<生い茂る世界樹>でも要職を勤め上げた「ある男性葉議員」が関係していると伝えられるが、公式記録には残っておらず、詳細は定かではない。アンヴリルにおいて男神を奉る、<ハヴィエル教会>勢力と深い繋がりがあったとも言われる。
 
 ともあれ、エクス・ターナム石の発見によってナルイグの戦士たちは再びその力を存分に振るえるようになったというわけである。

◇◆◆◆◇

「行くぞ、コージロ! 尾行してる奴が必ず、隠れてるはずだ! 見つけてくれよ!」
 リリスが近くの石壁に向かって投げつけると、石は砕け、光治郎は腹の底に響くような重低音に襲われた。
 <魔導鎧>に封じられた魂は、契約者と霊的・魔力的な繋がりを持つのだが、<対魂・認識阻害魔法>というのはその部分を霊的に汚染、<魔導鎧>による索敵を妨害する。この石が砕ける時、内部に込められた複雑な魔法術式が展開、汚染部分を攻撃する。これは、その時に発生する音であり、光治郎にだけ聞こえている物なのだ。
「うわっ、うるせえ! 何だこりゃ!」
「集中しろコージロ! 石の効果で身体が消えたり、見えたり、揺らいだりしている者はいないか!? ちょうど油の切れかけたランプのようになってる奴だ!」
 全身を襲う不規則な重低音で気分が悪くなり始めていた光治郎だが、リリスの言葉を守り、必死に周囲の様子を窺う。すると、歪む視界の中、消えたり現れたりする者の姿が目の端に映った。
「いた! フードを被ってて……たぶん、女だ!左前方、積みあがった木箱の横!」
 光治郎の言葉が終わるや否や、リリスが、潜んでいた路地から弾丸のように飛び出す。
 だが、相手も速かった。既に自分の<認識阻害魔法>が破られたと気付いていたらしい。姿が見えたと思ったら、すぐに近くの建物へと飛び込んでいった。
「リリス! 奴は建物に入った! 右手の脇道に入ってすぐの扉だ!」
「了解!」
 リリスの姿があっという間に見えなくなる。
「お、おいリリス! 一人で行くなよ! ……って、おーい……俺はどうすれば……」
 いざ戦闘に入れば、光治郎に出来ることなど何もない。しかし、光治郎はリリスの相棒である。何が出来るわけでは無かったとしても、せめて彼女の側には居たかったのだ。
 (いや、そんなこと言ってる場合じゃない。早くリリスの元に戻らないと! 上がることが出来たんだから、その逆をやればいいだけ……)
「うぐっ!?」
 先ほど<対魂・認識阻害魔法>を破った時の余波なのか、多少ふらふらするのを我慢して集中を始めた光治郎だったが、突如として激しい頭痛に襲われた。
 (何だ、これ!? 頭がガンガンして……集中が続かない……)
 その後、何度トライしてみても同じことの繰り返し。リリスの元に駆けつけるのは、いったん諦めざるを得なかった。おそらくは、魔法をかけられた後遺症のような物なのだろう。
「……リリス、大丈夫かな」
 何をするでもなくアンヴリル上空にぷかぷかと浮かんだまま、光治郎は途方に暮れるのだった。

◇◆◆◆◇

 リリスは建物の扉を慎重に開けると、音も無く身体を滑り込ませた。
 大柄で大雑把な性格と派手な剣技から勘違いされがちだが、戦闘に関する限り、リリスは慎重に立ち回ることもできるようだ。
 そもそも、<ナルイグの民>とは山野に生きる種族である。大きな音を立てて行動していれば獲物を捕らえるどころか、天敵である野生生物に狩られる危険があった。そのような技術を習得していたとしても当然といえば当然である。
 
 そこは、一時的に荷揚げした荷物を置いておく倉庫というよりは、貯蔵庫のような場所だった。様々な大きさの木箱や樽が所狭しと詰め込まれており、見通しは非常に悪い。辺りには薄く埃が積もっており、長い間人の出入りが無かったことを窺わせた。
 商人や富裕層が資産を貨幣以外のものに換え、幾つもの場所に分けて保管している、という噂が流れたことがあった。税金逃れや、単純に安全のために資産の分散管理を行っているのだと考えられており、ニコルを始め、徴税官たちにとっては頭の痛い話である。ここもそういった場所の一つなのだろう。
 あらかじめ聞き耳を立てて居場所を特定していたのか、ゆっくりと、だが迷うことなくリリスは尾行者との距離を詰めていく。
 木箱と木箱の間に架けられた薄い布が揺れる。その向こう側にうずくまる影が身じろぎするのが、リリスのいる場所からも見えた。影は、全く別の方向を警戒しているようだ。
 じっとりと流れる汗を拭うことなく、一歩、また一歩とリリスは近づいてゆく。木箱を大きく迂回し、静かに、音も無くその者の背後へと──

「よし、戻れた! おいリリス! 無事か?」

 光治郎の間の抜けた声が貯蔵庫に響き渡った。
「──っ!?」
 影が振り返る。裂帛の気合と共に、刃物を複数投擲してくるのが光治郎にも見えた。いや、見えたというのは正確な表現ではない。相手の腕が大きく動いたと思ったら、高窓から差し込む光が反射して、何かを投げたのが認識できたのに過ぎないのだから。
「甘い!」
 硬質な金属音が辺りに響く。
 いつの間に抜いていたのか。リリスは、バスタードソードの柄と幅広の刃の部分で、それらを受けていた。
 影は何度か投擲をしてきたが、全て同じ結果に終わる。最小限の動きで急所を守り、身体に当たりそうなものは、体術でかわす。まるで、野生動物を思わせるような身のこなしであった。
 目の前の相手から、驚愕と怖れ、焦燥といった感情が伝わってくる。このまま戦闘を続けるか、撤退するか。そのタイミングを計りかねているようであった。その隙を、リリスが見逃すはずが無い。
 一息で彼我の距離を詰めると、相手の腹に拳を叩き込む。
「ごふっ!」
 肺の空気が無理矢理押し出される音と、苦悶の呻き声が重なった。
 二度三度と同じところを殴ると、尾行者はたまらず、身体をくの字に折った。そのままリリスが追撃をかけんと踏み込む。
 決着が付くと思われた、その瞬間。相手の顎を狙ったのであろう、リリスの強烈な上段前蹴り──をかい潜り、尾行者は、地面スレスレを滑るように身体を捌く。その動きは、さながら、草むらを這う蜥蜴や蛇のごとく。
 一瞬でリリスの背後に回ると、軸足を蹴り払った。そのまま、倒れこんだリリスに止めを刺しに──
 
 ──行こうとしたのだろう。地面に着いた手を押し上げて上体を起こしたところで、尾行者の目が驚愕に見開かれた。
 一瞬。
 ほんの一瞬だけ視線がリリスから外れただけなのに。それだけのはずなのに、想定した場所にリリスが居なかったのだ。それどころか、自分の視界のどこを見渡してみても、姿が見えない。
 一体これはどういうことか。尾行者は、困惑したに違いない。だが、光治郎はしっかりと見ていた。
 リリスが脚を払われたあの時。彼女は前に押し出す力が加えられたはずの右脚を、どうやってか上空へ振り上げるように、力のベクトルを変更したのだ。しかも、そのまま、まるで自分の背後の敵を蹴るかのように脚を振りぬいたのである。
 結果、自らの脚に引っ張られるようにリリスの身体は空中で一回転。残った軸足も空中へと引き寄せるその様は、ちょうどオーバーヘッドキックをするサッカー選手のようであった。ただし、その高さは人間の身長を遥かに越えていたが。
 重力に蹴りの勢いと体重が加味され、恐ろしい破壊力を持つ武器となったリリスの身体が、膝という一点を持って敵を破壊しようと迫る。
 
 それは、偶然だったのかもしれない。それとも敵の方が一枚上手だったのか。自らの命の危機に、「それだけは受けてはならない」と脳がフル回転し、“直感”という説明しようのない感覚として身体を突き動かしたのかもしれない。
 何にせよ、尾行者は前方に転がることで、リリスの膝を受けずに済んだ。だが、息は荒く、顔が青ざめている。──そう。いつの間にかフードが取れ、彼女の素顔が晒されていたのだ。
 尾行者は、リリスと同じ種族であった。褐色の肌に長い耳。色素の薄い髪を後ろで束ねて縛っている。そして、顔には大きな傷が刻まれていた。また、リリスのように筋肉質で肉厚な身体ではなく、本当に必要な筋肉だけを鍛えに鍛え、その他の無駄を徹底的にそぎ落としたような、ほっそりした体格をしていた。
 それは、歴戦の戦士というよりは、裏社会で長く生きてきた者の証のようであった。
「何者だ! この私──パルドーア氏族の戦士を付け狙うからには、それなりの覚悟があるのだろうな? どこの氏族の者だ! 名を名乗れ!」
 右手の巨大な得物を突きつけ、リリスが迫る。
 尾行者は一瞬だけ逡巡する様子を見せたものの、結局名乗ることにしたらしい。
「私は──イーラ。氏族名と身分は明かせないが、どうか許して欲しい」
 すると、リリスは突然激昂した。
「氏族名を名乗らぬとは、戦士の決闘を……私を愚弄する気か!」
 <ナルイグの民>の文化では、戦士が闘う時に自らの氏族名を明らかにしないということは、大変な侮辱に当たるらしい。戦国時代の日本でも同じような風習があったと聞いているので、光治郎も何となく理解できた。
 だが、それはおそらく表舞台で活躍する者たちのルールなのではないだろうか。イーラは、その身なりや風貌から裏社会の人間の可能性が高い。そんな人間が無闇に素性を明かすのは間違いなく危険だ。そう考えれば、ファーストネームを名乗っただけでも相当に譲歩していると言える。
 だが、熱くなったリリスにそんな理屈は通用しない。即座に間合いを詰めると、怖ろしい速度で拳を繰り出した。
 しかし、イーラもそのくらいのことは予想していたらしく、リリスの左ストレートを難なく躱す。
「せあああっ!」
 しかし、次の瞬間、リリスは突き出したはずの腕を瞬時に引き戻すと、ローキックを放った。大きな岩をむき出しの肉にぶつけた時のような、重く、鈍い音が辺りに響く。リリスは大岩亀の硬い甲羅から切り出された素材で作られた足甲を付けているのだ。それをリリスの脚力──全力で走ると地面が抉れ、めくれあがるような力だ──で叩きつけられたのだから、ただで済むはずがない。木が砕けるような嫌な音が光治郎の耳に届いたのも、おそらく幻聴ではあるまい。
 リリスはそのまま、回し蹴りの要領で脚を振り抜き、その結果としてイーラは宙を舞い、近くの木箱に身体を叩き付けられる。いくつかの箱を壊し、ごろごろと転がる。貯蔵庫を支える太い支柱に引っかかるようにして、ようやくその勢いは止まった。
「ぐううっ……! ぐっ……ううっ……!」
 あまりの痛みに苦しんでいるのであろう、イーラはいまだ地面に伏せ、呻くばかりで立ち上がることが出来なかった。
「お、おい。今のはやり過ぎなんじゃないか?」
「ちゃんと加減はした。あの程度、死ぬほどのことではあるまい」
 そうだろうか。人間の下半身には重要な血管や神経がたくさん走っているという。そういった部分が傷つけられたら、死亡しないまでも、まともな生活が送れなくなるのではないだろうか。
 ──しかし、リリスの冷静さには舌を巻いた。
 頭に血が上り、怒りに任せて殴りかかったかに見えた彼女の行動は、実はイーラに致命的なダメージを与えるための演技に過ぎなかったのだ。左ストレートに相手の注意を引き付けておいて、ローキックへの布石を作ったということだ。
 これまで蹴りを見せてこなかった、というのも大きい。というのも、いくら「足技もあるはずだ」と警戒していたとしても、数度の攻防で使ってこなければ、優先順位は無意識の内に下がっていく。体格差があることから、リリスの拳は、ジャブのつもりで撃った物でもイーラの渾身のストレートとそう変わらない破壊力があるはずだ。さらに、──逆手とはいえ──右手には大剣を握っており、攻撃に使われればもちろんこちらの方が危険だ。
 結果、蹴りへの対処が遅れるというわけである。

 光治郎は、これまでリリスに対して抱いていた評価を改めなければならないな、と感心していた。
 リリスは口調こそどっしりと構えた武人のようで、泰然自若としているように見える。だが、その実、感情の起伏が大きく、己の気分に合わせて考えなしに行動しているように感じられたのだ。まるで、気性の荒さを必死で取り繕って、「冷静沈着な戦士」を演じているようにも見えた。
 ナルイグの戦士や自分の実家が置かれた状況を悔しげに語っている時。
 市場で突然岩窟人を追跡し始めた時。
 巡回戦士たちに口汚く罵倒された時も、いまにも暴発しそうになるのを必死で抑えていたのを思い出す。
 だからこそ、光治郎は、危なっかしい相棒を自分がフォローしなければ、と考えていたのだが……。
 リリスは、戦闘ということに関してだけは、感情に流されることなく、常に最善の行動が採れるようだ。これも天性の物なのだろう。リリスが言っていた、「パルドーア氏族で族長に最も近いのは私だ。何故なら、私が最強だからだ」というのは自画自賛でも何でもなく、単なる事実を言っていただけなのだ。

 リリスは、ゆっくりと、だが油断無くイーラに近づく。
「もう、勝負はついたんじゃないか?」
 おそらく、先ほどの一撃でイーラの片脚は折れてしまっているだろう。戦いに復帰するどころか、激痛に耐えるので精一杯ではないだろうか。
「戦士は、相手に止めを刺すまで気を抜かないものだ」
 もはや誰の目にも無理だと思えたが、イーラは柱で身体を支えながらも、何とか身を起こした。
「いまいち手ごたえが無いな、と思っていたんだ。自分から飛んで、威力を殺したな?」
「さすがは、パルドーア氏族の出世頭。並みの相手ならこれで十分なのだが……素晴らしい蹴りだ」
「ふん。褒めても何も出んぞ。それとも、時間稼ぎのつもりか? だとしたら次で決めさせてもらう」
「……微塵も容赦が無いな。これは、見逃してはもらえぬか」
 やはり会話を引き伸ばして、痛みが引くのを待っていたのだろうか。先ほどの攻防を見る限り、短時間で回復するようなダメージでは無かったと思うのだが。
 イーラはゆっくりと構えた。足元がやや心もとないが、未だ戦意は衰えていないようだ。
「しゃあっ!」
 崩れそうな心を鼓舞するためか。己に喝を入れながら、イーラが仕掛ける。短い突きの連打で押してくるが、リリスは意に介さない。巧みに間合いを計りながら、相手の隙を探る。
「ぐうっ!」
 リリスのボディを狙った左拳が、イーラの横っ腹にめり込んだ。内臓にダメージが通ったのだろう、苦しげに呻き、身体をふらつかせながらイーラは後退する。だが、それをリリスが許すはずがない。
 一気に間合いを詰めると、アッパー気味の左フックが入る──が、まだ浅い。さらに踏み込み、片手をイーラの首に回すと、そのまま強烈な膝蹴りを──

 その時。
 イーラの目が猛禽類の如き鋭さを見せた。まるで、今、この瞬間を心から待ち望んでいたような、そんな錯覚を光治郎は抱く。
「待った! リリ──」
「しゅっ!」
 鋭い呼気と共に、イーラは身体を前に投げ出す。自らリリスに抱きつくことで間合いを殺し、膝蹴りを防いだのだ。
 抱きつくと同時に、リリスの軸足に自らの脚を絡める。片足を上げた状態で腰の辺りに組み付かれたため、リリスはそのまま転倒してしまった。そのまま、お互い主導権を奪わんとゴロゴロ転がっていく。
「いだっ! いだだだだ」
 貯蔵庫のゴツゴツした床に鎧が何度もぶつかり、光治郎は悲鳴を上げる。
 幾度かの攻防の後、イーラが上となった。リリスが鎧を着込んでいるせいで、胴体への打撃は効果が薄いと判断したのだろうか、あまり守られていない首回りを狙って手を伸ばす。
「──っ!」
 弾かれるようにリリスが反応した。身体を跳ね上げて相手との空間を作り、無理矢理自分の脚をねじ込むと、巴投げの要領で後方に投げ飛ばした。
 相当な力で投げたようで、遠くの方で荷物の山と衝突したらしき音が聞こえた。続いて、木箱が崩れる大きな音が辺りに響く。
 リリスは素早く身を起こすと、相手の反撃に備える。前方を鋭く見据えるが、視界が悪い。
 ただでさえ暗い貯蔵庫の中、崩れた荷物の中に石灰か何かが入っていたらしく、それが白い煙と化して辺りを覆っていたからだ。木箱に積もっていた埃が舞い上がり、それらと混じり合うことで独特の臭気を放っていた。
 光治郎は顔をしかめる。<魔導鎧>には鼻も何もないが、そんな物を吸い込んだらくしゃみが止まらなくなりそうだ。
「どうした! こそこそするしか能の無い卑怯者め! かかってこい! 私はまだまだやれるぞ!」
 威嚇するように、リリスが吠える。視界が遮られ、相手の位置が分からないため、わざと挑発して攻撃を誘っているのかもしれない。自分の位置を敵に教えるという非常に危険な行為だが、たとえ飛び道具を使われたとしても、それら全てを防ぎきる自信があるのだろう。
 辺りに油断無く目を走らせるが、イーラは動く気配が無い。
 一分……二分と時間だけが過ぎてゆく。十分が経ち、それでも警戒を解こうとしないリリスに、光治郎はふと思いついたことを口した。

「なあ、リリス……。ひょっとして、これ……逃げられたんじゃないか?」

◇◆◆◆◇

 「敵は逃げたのではないか」という光治郎の意見に、リリスは呆気に取られた表情をしていた。その顔には、「その発想は無かった」と大きく書いてあった。どうやら、彼女──というよりナルイグの戦士の常識では、あの状況であっさり尻尾を巻いて逃げるなどあり得ないことらしい。
 敵もナルイグの戦士とは限らないんじゃないか、そもそも敗色が濃厚になったり、戦う意味が無いと感じたらさっさと撤退するのではないか、と言ってみたが、リリスは怪訝そうな顔をするだけだった。
(なるほど。リリスは生まれながらの強者なんだ。裕福な家で育ち、エリートコースを……日の当たる、輝かしい道をずっと歩んできた、いわば勝者……勝ち組。敗北する不安や恐怖といった物が肌身で実感出来ないんだ)
 だから、彼女は常に、戦士としての矜持や誇りを何よりも優先する。屈辱に塗れても命を拾ったり、目的達成のためにプライドや名声を捨てる、といった考え方は想像の埒外なのだ。
 生き恥を晒すくらいならば、名誉の戦死を遂げる──きっとナルイグの戦士とはそういった人たちなのだろう、と光治郎は理解した。
 だが、光治郎としては、それでは困るのだ。
 リリスと光治郎は一心同体。<鎧契約>で命と魂が繋がれた、運命共同体なのだ。彼女が目的を達成する前に命を落としたりしたら、光治郎は現代日本に帰れなくなってしまう。
 この先二人を待ち受けるであろう困難を思うと、光治郎は頭が痛くなるのであった。

◇◆◆◆◇

「全く、リリスは考えなしに突っ走り過ぎる! あんなことをして、貯蔵庫のオーナーに訴えられたらどうする!?」
 二人が貯蔵庫を立ち去る前のこと。 
 「やはり逃げたとは考えにくい。奴は息を殺してどこかに隠れているんだろう。だが、貯蔵庫内を虱潰しに探すのは危険だし、現実的ではない。仕方ないのでおびき出そう」と言い出したリリスが、辺りを手当たり次第に破壊し始めたので、光治郎は必死になって止めたのだった。彼女によれば、これはナルイグの戦士が誇りを賭けて行う、正当な戦いによって生じた物であるから、何者にも文句を言われる筋合いは無いのだ、とか。
 「言わば、必要経費だ」などと言い出したので、光治郎は呆れたものだが、「そもそも、ああいった場所は公には伏せられている、後ろ暗い代物なんだ。司法に訴えたりなぞ出来ないだろうよ。逆に、徴税官なんかは喜ぶんじゃないか?」と、全く悪びれないので絶句してしまった。
(そういうことじゃないだろうよ……ったく……)
「それより、これからどうするんだ? リリスが狙われたのは、やっぱり犯罪ギルドの関係なんだろうし、一度ダリラさんに相談した方がいいんじゃないか?」
「いや、それには及ばない。そもそも、尾行してきた奴が犯罪ギルドの手の者だとはっきり分かったわけでもないんだ。ダリラに話すのは、もう少し情報が集まってからで良いだろう」
 ……本当にそれで良いのだろうか。
 リリスが、市場で乱暴を働く岩窟人を追跡、検挙した──厳密に言えば、捕まえたのは<青銅の盾>隊の巡回戦士たちだが──数日後、彼は脱走を図り、何者かに始末される。そして、疑いをかけられたリリスが<青銅の盾>隊本部を出たあと、謎の尾行者が現れ、命を狙われる。
 ……とても偶然とは思えない。
 だが、リリスには何か別の心当たりがあったらしい。溜息を一つ吐くと、それを口にした。
「……実は、私の実家関係じゃないかと思ってるんだ」
「えっ、リリスの実家? いや、でも言っちゃ悪いけど……」
「……分かってる。母上が失踪し、後継者候補の私は左遷。既にドロップアウトした私が何で命を狙われるのか、と言いたいんだろ?」
 いまさら取り繕っても仕方ないので、光治郎は無言でリリスの言葉を肯定する。
「母上が失踪したことで、実家がゴタゴタしているというのは以前話したな? 現在、族長の座は空白となっている。私は後継者候補ではあるが、まだ正式に後を継いでいないからだ。だから、その空いた席に納まろうと思っている者たちがいる」
「ああ。そんなことを言ってたな。でも、それとリリスがどう関係するんだ?」
「──<族長の印章>だ」
 一瞬、リリスの発した言葉の意味が分からなくてきょとん、としてしまう。しかし、すぐに「自分が族長であることを内外に示す、証だ」と補足してくれたので、光治郎は、脳内に浮かんだ漢字が間違っていることに気付いた。
「あれは、代々、族長に受け継がれる、とても神聖なものなんだ。厳重に封印を施された上で、族長だけしか知らない秘密の場所に保管される。まがりなりにも母上の後を継ぐならば、いずれ<族長の印章>が必要になるだろう」
 つまり、族長本人が死亡したからといって、「はい、では明日からナンバー2の私が次の族長です」は通らないというわけだ。それでは、武力による地位の簒奪が簡単に出来てしまう。<族長の印章>とは権威の象徴であり、正式にその役目を引き継ぎました、と世間に公表するための証明書──公文書のような物なのだろう。
「で、その<族長の印章>がどこにあるのか、リリスは知っているというわけか。なるほどな。それで……」
「いや、知らん。今どこにあるのか、皆目見当もつかない」
 肩透かしを喰らい、光治郎はずっこける。もちろんリリスに着用される<魔導鎧>の身であるため、本当に転んだわけではないが。気分の問題である。
「え? いや……知らないって……」
「知らんものは知らん。だが、敵はそうは考えていないんだろうな。母上が失踪する前に、私に託したとでも思ってるんじゃないか?」
 考えてみれば、その可能性は高いように思われた。もし、敵がリリスの母親を亡き者にしたのだとしたら、殺す前に<族長の印章>の場所を聞き出すはずだ。よしんば情報を得る前に死亡してしまったとしても、族長の身辺を血眼になって探しただろう。それでも見つからなかったとすれば──族長は、身の危険を感じた段階で、最も近しい者……つまりは後継者第一候補であるリリスに託したのだろう、と考えても不思議ではない。
「リリスは身に覚えが無いんだな? せい……失踪する前に、秘密の場所を教えてもらったりとか」
 うっかり「生前」と口にしそうになって、慌てて言い直す。さすがにリリスを前にしてその言い方は無神経過ぎるだろう。
「無いな。そもそも、私は家を出てからずっと、戦士用の隊舎で暮らしていたんだ。母上とは長く顔を合わせていない。注文した服を本家に取りに行く時も……何となくバツが悪くてな。こっそり倉に入れてもらって、さっと帰るようにしていたし。それに──失踪する直前にも連絡など無かったしな……」
 リリスは愁いを帯びた表情で、涙を堪えるように空を見上げる。相変わらず日差しが強い。抜けるような青空と、ゆっくりと流れる雲が牧歌的な雰囲気を漂わせており、逆に彼女の悲しみが浮き彫りにされているようだった。
 それは、決して光治郎の先入観のせいだけではあるまい。
 
「それより、コージロ。<魔導鎧>の力、大分使いこなせるようになったんじゃないか? まあ、あのタイミングで戻ってくるとは思わなかったが」
 沈んでしまった空気を変えるためか、リリスが少しからかうような口調で、そう言った。
「あ、あれは俺も悪かったと思ってるよ! 初めてだったから仕方ないだろ! ……そういや、リリスのところに戻ろうとしたら、何だか頭が痛くて上手くいかなかったんだよな。しばらくしたら、自然に戻れたけど……」
「<対魂・認識阻害魔法>を破ったせいだな。注入された“毒”を浄化する時に反動が来るんだ。しばらくすれば元に戻るが、一時的に制御が出来なくなる」
「なるほどなー。あ、“魂の視点”って奴だけど……自分が鳥になったようだったな。かなりの高さまで行けて、なかなか面白かったぞ。あれって、いつでも出来るもんなのか?」
「ああ、もちろん。……というより、出会った時から普通に使っていただろ?」
「え?」
 戸惑う光治郎に、リリスは分かりやすく説明してくれた。
「仮に、降ろされた魂が<魔導鎧>に固定されているのだとしたら、私に着られている以上、コージロが見えるのは前方だけだ。だが、私と会話している時は、私の顔が見えているんじゃないか?」
「あっ! 確かに!」
 言われてみて初めて気が付いた。
 何の違和感も無く受け入れていたが、リリスと会話している時は彼女の目を見て話していたし、街で買い物をしている時はリリスと並んで歩いているような視点だった。正に、光治郎が生身のままこちらで過ごしているかのような感覚でずっといたのだ。
 考えてみれば、意識はあるのに身体が動けない状態だったとしたら、もっとパニックになっていたのではないだろうか。てっきり、環境に順応する能力が高いせいだと思い込んでいたが、生きていた頃と同じように視点移動が可能なら、違和感が無いのは当たり前だ。ただ、魂は<魔導鎧>に繋がれているので、おそらくリリスから遠く離れることは出来ないのだろう。
 ともかく、光治郎にも出来ることがある、と分かったのは大きい。
 リリスが期待しているのは古代の英雄「魔王ザヴォーク・ラ・ゴラス」の持つ叡智なのだろうが、一介の大学生である光治郎にそんな物を期待されても困る。せめて、これからの旅において少しでもリリスの負担を減らせるよう、この力の使い方をもっと研究すべきだと決意を新たにするのであった。


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