すぐに答えを出さなきゃ、という思い込み
昨日Wasei Salonの運営3人でライブ配信をして、そのあと撮影を手伝ってくれたメンバーの方も含めてご飯を食べていて、ポロッと話したことです。
僕たちは、すぐに答えを出さなきゃいけないものだと、もはや無意識に思い込んでいるのではないかと。
Twitterのタイムラインを眺めていると、明確な意見や具体的なtipsがもてはやされ、わかりやすく箇条書きで整理されたツイートが跳ねる。どっちつかずな意見を言えば、ネタによっては炎上してしまう。
、、、とまではいかなくても、なんとなく明確な答えをすぐに出そうと思っていまう自分がいます。
スタートアップで働く手前、大切なのは具体的なアクションで、とにかく高速で仮説検証を繰り返して前に進んでいます。分析も具体的施策に落とし込めなければ意味がない。そこに何の疑念はありません。新しい価値を創造するには、実験の繰り返ししかない。
しかし、本当に大切なことは、すばやく答えを出すこと、具体的なアクションをだすことではありません。
そもそも良い「問い」が立てられているのか、そしてその「問い」を振り返っているのか、ということだと思っています。
「イシューからはじめよ」よろしく、僕らは大元の「問い」をきちんと立てられているのでしょうか。
良い「問い」を立てたり、「問い」そのものを振り返ったりするには、どうしても問い未満の「モヤモヤ」が生まれてきます。
「モヤモヤ」は適度に人に話したり、文章に書き起こしたり、何らかの形で自分の外に出した方がいい。自分の脳だけで考えても進まないから、やっぱり人に話した方が良いと思うんです。
で、「モヤモヤ」を人に話したいところなんですが、冒頭で書いたように僕らはすぐに答えを出さなきゃいけないと思いこんでいる節があるから、なかなか難しいんですよね。
だから、「モヤモヤ」を「モヤモヤ」のまま話せる場所を大切にしたい。そんな想いを、個人的にWasei Salonに込めています。
という話を昨日したので、メモがてらに残しておきます。
すぐ答えを出すことも大事。でもあえて答えを出さずに、「モヤモヤ」を撫でてあげることも大事。
両方もっとこ。
以前にも似たようなことを書いたなぁと思ったら、鳥井さんたちとお話した前後でした。
そんなところです。
ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。