これからの時代 スポーツの「あるべき姿」を探りたい。

あまり触れたくない話題ですが、モヤモヤしたので書こうと思います。あまりまとまってはいません。


大学アメリカンフットボールの試合で、乱暴な反則行為を行い相手選手を負傷させた問題です。映像を見る限り明らかな反則行為、それもとても危険な行為で、あってはならないことです。映像は以下より。


謝罪や説明が待たれていた状況の中で、本日回答文書が発表されました。少し長いですが、そのまま引用します。

第51回定期戦における弊部選手による反則行為に係る貴部からの申し入れに対する回答について

平成30年5月6日に行われました定期戦において発生した弊部選手の反則行為について、負傷された貴部選手にお見舞い申し上げますとともに心より謝罪いたします。そして、一日も早い回復をお祈り申し上げます。また、ご迷惑をおかけしました貴部関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。

平成30年5月10日付けで送付いただきました貴部からの申し入れに対し、以下のとおり回答いたします。

1.弊部選手の前半第1攻撃シリーズ1プレー目の反則行為に対するチームとしての見解及び行為を受けた貴部選手並びに保護者へのチームからの正式な謝罪について

弊部としましては、アメリカンフットボール公式規則に掲げるフットボール綱領を尊重しており、意図的な乱暴行為を行うこと等を選手へ教えることは全くございません。

弊部の指導方針は、ルールに基づいた「厳しさ」を求めるものでありますが、今回、指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが問題の本質と認識しており、指導方法に関し、深く反省しております。

弊部選手による反則行為を受けました貴部選手及び保護者の方に心よりお詫び申し上げます。

2.弊部監督が試合終了後にメディアに対して出したコメントに対する見解と同コメントの撤回及び指導者として当該事案が発生したことについての正式な謝罪について

上記1で御説明いたしましたとおり、弊部は規則に基づいた指導を行っております。同コメントは、もとより規則に違反してもよいと意図するものではなく、選手に「厳しさ」を求めていることから発したものでした。

しかし、真意が伝わらず反則行為を容認する発言と受け取られかねないものであり、本意ではありませんため、ここに、試合終了直後にメディアに対して発した弊部監督のコメントは、撤回させていただきます。

当該事案が発生したことについて、ご迷惑をおかけしました関係者の皆様に指導者として謝罪いたします。

また、一部メディアで報道されております、当日のミーティングにおける弊部監督が選手に対して発した発言も、規則に違反し貴部選手を負傷させる意図は全くなく、選手全員に「厳しさ」を求め、士気を上げるために行ったものでした。

繰り返しになりますが、ご迷惑をおかけしました関係者の皆様にお詫びいたします。

※「事実」「経緯」等のチームとしての見解について

弊部として把握する事実、当該プレーに至った経緯、それまでの指導内容、試合後の対応等についてですが、速やかな回答が必要なことは十分に認識しておりますが、弊部において現在、確認作業及び再発防止策の策定を行っております。恐縮ですがお時間をいただき、平成30年5月24日(木)を目処に回答させていただければと存じます。何とぞ今しばらく猶予をいただきますようお願い申し上げます。

重ねてではございますが、このたびの反則行為により負傷された貴部選手並びに保護者の方に対し、心より謝罪いたします。また、ご迷惑をおかけしました貴部関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。

今後、二度とこのような行為が行われないよう、ルール及びスポーツマンシップ教育・指導の徹底を図ってまいりますことをお誓い申し上げます。以上

引用:https://www.asahi.com/articles/ASL5K4RKVL5KPTIL00M.html


詳細に関する発表は5月24日を目処に行うとのことですが、回答文の中でどうしても気になるのが以下の部分です。

弊部としましては、アメリカンフットボール公式規則に掲げるフットボール綱領を尊重しており、意図的な乱暴行為を行うこと等を選手へ教えることは全くございません。

弊部の指導方針は、ルールに基づいた「厳しさ」を求めるものでありますが、今回、指導者による指導と選手の受け取り方に乖離が起きていたことが問題の本質と認識しており、指導方法に関し、深く反省しております。


簡単に言うと「悪い指導はしていない、指導者と指導を受けた選手との認識の齟齬があった」とのことですが、ホントですか。。。というモヤモヤしか残りませんでした。

当日の行為については以下の通りで、合計3回反則行為を行っています

6日の試合では、日大の守備選手が、関学大攻撃の1プレー目、パスを投げ終えた関学大のクオーターバック(QB)に背後からタックル。QBはそのプレーで負傷退場した。守備選手は3プレー目、5プレー目にも反則行為をして資格没収(退場)となった。
引用:https://www.asahi.com/articles/ASL5J5Q4TL5JUTQP01S.html


3つ疑問があります。


・なぜ試合中に意図の乖離を修正しなかったのか

「乖離があったのなら、なぜ指導者は最初の危険なプレーが起きた時点で、その選手を呼んで『そういう意味ではない』と指導しなかったのか」と指摘した。
引用:https://www.asahi.com/articles/ASL5K3PH0L5KUTQP00P.html

反則行為を受けた側の関学大の会見で言われている通り、合計3回の反則行為があった中で、どうして意図の修正を行わなかったのでしょうか。指導するタイミングがなかったわけがありませんし、もし気が付かなかったのだとしたら、それは指導側の力不足以外の何物でもありません。


・意図の乖離があったのならば、具体的にどのような指導を行ったのか

これも同様に関学大の会見で指摘されているので、引用します。

「特に疑念を抱いているのは、なぜ昨年の甲子園ボウルなどではルールの範囲内でプレーしていた選手が、突然、このような意図的でかつ悪質な行為に及んだのかという点。(略)回答書が『問題の本質』とする、指導者による指導と選手の受け取り方との間の乖離について、真摯(しんし)な調査に基づいた具体的な説明を頂きたい」
引用:https://www.asahi.com/articles/ASL5K3PH0L5KUTQP00P.html


何をどのように指導すれば、あのような反則かつ乱暴な行為を行うんだと認識したのか、純粋に知りたいです。おかしいですもんやっぱり。


・もしこの回答書の通りだとするのならば、受け取った選手の道徳心に問題があることになるが、本当にそれでいいのか

ここからは僕個人の意見ですが、もし回答書の通り「指導の意図と認識の乖離」があるのならば、指導を誤認した選手の道徳心に大きな大きな問題があると思います。


相手から挑発されるなどしてカッとなってやってしまったのなら、まだわかります(スポーツは興奮状態で感情がコントロールできないこともあるので)。が、合計3回も反則行為を行っているところをみると、どうにもそうは思えず、理性でコントロールした上で行った行為のように感じます。


また、100歩譲って軽い反則行為や軽い乱暴行為と認識するのならまだしも(いやわかりたくない)、「大怪我を負わせる可能性があるレベルの行為を行う」と認識した選手に、ひとりの大人としての道徳心に疑問を感じます。やっていいことと悪いことの差がまだわからない、物心がついていない子どもじゃないし。


本当にその帰結でいいのでしょうか?選手のせいなのでしょうか?(回答書ではそう言っていないですが、選手のせいにしているようにしかとれない)

年齢的にも大人と言っていい大学生アスリートが、そのような道徳心がない選手なのでしょうか。

もし今回の原因が選手側にあるのだとしたら、スポーツやアスリートに対してリスペクト持っている僕としては、とても哀しいです。


上述した関学大側の会見やいくつかの記事を読んだだけですが、反則行為を行った選手は、ふだんそのような行為を行う選手ではないそうです。(もし今回選手の意思で行ったのであれば、なぜこのタイミングで表出したのでしょうか)


とにかく、5月24日の詳細発表を待ちたいと思います。



スポーツの「あるべき姿」とはなんなのか。


ここからは、僕個人の意見です。

スポーツの世界は、いきすぎた勝利至上主義や悪い意味での体育会系のカルチャーがまだまだ残っています

カルチャーはすぐに変わるものではないので、徐々に良い方向に変わっていけばいいと思っていますが、僕が問題だと思っていることはそのカルチャーの「悪い部分」が表に出てこない、内部でもみ消されてしまっている、ということ。


かつての企業がそうだったと思います。しかし、ソーシャルメディアの出現で個人が発信力を持つようになり、いわゆるブラック企業の様々な問題が表出するようになってきました。

働き方改革、副業(複業)、価値観ベースの働き方、昨今「働くこと」については様々な切り口で、より良い方向に向かっています。本当の意味で良い企業が残っていく、そんな「透明な時代」と呼べる世の中へと変わってきていると思います。

特に僕の周囲では、お金稼ぎや利益追求ではなく、その人の価値観を大事にした生き方、ありたい姿を追求する人が多く、より良い姿や社会を求めています。


そのような背景や僕の周囲の状況から考えると、スポーツの世界は旧く悪しき部分が多く残っているようにしか見えません。勝利至上主義、上下関係、利権、固まった価値観etc...。

確かにスポーツは競争性を有していますが、必ずしも勝つことだけが全てではありません。勝つことが重要なプロスポーツだってそうです、勝つことよりもファンを楽しませる、共感してもらうことが本質。


以前他のエントリでも書いたように、僕は「余暇活動であるスポーツの発展は、豊かな社会であることの証明だ」と思っています。


スポーツを「する」視点で考えると、本来スポーツは、自制心や困難に立ち向かうマインドを育み、心身ともに健康になるものです。

スポーツを「みる」「ささえる」視点で考えると、スポーツやアスリートは僕らを楽しませてくれる、安心させてくれる、自分らしさを感じさせてくれるものです。


変化の激しいこの時代だからこそ、スポーツが本質的に持つ価値を考え、より良い社会になっていくためにはスポーツはどうあるべきなのか。今回の問題を経て、改めて考えていきたいと思いました。スポーツってやっぱり素敵だと思うし、きれいごとを追求していきたい。

まず僕は、スポーツの魅力を、熱狂の瞬間を、より多くの人に届けるべく、日々がんばっていきます。

ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。