愛に生きるにはさ。
【愛を受け取る側から与える側へなってください】
どこかの卒業式で、卒業生に向けられたという一節が当時高校生だった私の心に響き、なんとなく心に残っている。
時を経て私も(一応)親になった。
今日はクリスマス!
我が家にもサンタさんがやってきた・・・というか、Amazonを経由して配送してくれた。
親の仕事は包装だけ!と思っていたら、プレゼントが大きすぎたため適当な包装紙も袋も見つからなかった。
そのためプレゼントを裸のまんまでツリーの下に置く、というストロングスタイルの今年だ。
さてそんなストーリーのあるプレゼントを眺めながら、冒頭の一文を思い出していた。
子どもが朝起きた時に真っ先にプレゼントを探しにいく姿や見つけた時の顔を想像して、
ほかほかと心が浮かれる私は『愛を与える側』になったのかもしれない。
だけれども、その立ち位置にあまりしっくりこない。
だって、どう考えても【愛を受け取る側】にいる。
私が与えている愛よりも、
子どもたちが私に与えてくれる愛がすごすぎる。
質・量ともに圧倒的。完敗だ。
冒頭の一文は、卒業生という『子ども』たちへのメッセージだった。
でも今考えてみると、子どもたちはとっくに、というか最初からずっと【愛を与える側】にいたんじゃないかと思った。
そもそも【愛】ってなんぞや?
究極にシンプルに言うと、
『純度の高い好き』ってこと、だと私は思っている。
子どもたちは『好き!!』の純度が高く、数も多い。
好きなものを教えて、と言ったら次から次に出てきてとまらなくなるくらい好きで溢れている。
だからあの小さな体から愛が湧き出てとまらない。
つまり、愛を与える人は『大好き!』なものでいっぱいの人なのではと思うのだ。
私が干からびている時は、
私の中から『好きなもの』が激減している。
日々にときめくものが見当たらない。
欲しいものがない。
つまらない。
なのに何かを欲している。
欲しいものが欲しいのだ。
そんな時の自分は愛を搾取したいオバケになっている。
物が欲しい、時間が欲しい、金が欲しい、男が欲しい。
愛を与える側になりたいのならば『大好き』なものへの感度を上げて、
それで自分をたくさん満たすことが大事。
好きの総量が、愛と比例する。
純度の高い好きなものがたくさんある人は、愛情も深い。
そういう人が今よりも多くなったら、
絶対に世界は今よりもかなり良い感じになる。
『大好き!!!!』を望む心とそれを受け取る許可が、
世界を幸せにする第一歩なのだ。
愛をたくさん受け取れる人が、愛をたくさん与えられる人。
愛に生きるにはさ、
自分が何に幸せを感じて、
何をして喜んで、
どんなことが大好きなのか知っておくこと。
そしてそれを日々の生活に反映させること。
【結論】
愛をたくさん受け取れる人が、愛をたくさん与えられる人。
その逆もまた然り。
そうして世界を良い感じにしている。
だから日々、『大好き!』で自分の心と生活をいっぱいにしよう。