見出し画像

20240329-父が死んで2年、パートナーと別れて1ヶ月経って

昨日、どうしても実家に居づらくて自分の家に帰った。
元パートナーに連絡してなかったら、元パートナーは24時くらいに帰ってきて、その後誰かと電話をしていた。

誰と電話しているんだろうと気になった。
気になったから、わたしはまだ彼に対しての未練があるって分かった。

だからやっぱり、思ってることを伝えて想像するのではなく気持ちをちゃんと確かめる必要があると思った。
1ヶ月経って、辿り着いた自分の今までのよくなかったところと、自分の認識、これからどうしていくつもりで動いているのか。
それを伝えたら、もしかしたら考え直してくれるんじゃないかってずっと妄想していた。
でもきっとそうじゃないって分かるために。

少し話したいと伝え、別れて1ヶ月経って思っていることを伝えたら、彼はなんで別れるまでに至ったかを説明してくれた。この数ヶ月、お互いに辛かったことも、その中で彼がどう考えて、行動していたいたのかも。
それからわたしの今の状態は不安神経症、病気なのだからだって、そのせいにしていいんだって言った。
別れ話やその後の話し合いの中で分からなかったことがやっと分かって、納得できそうだった。

でもまだもやもやした。
彼は私へのケアの仕方が分からなかったけど、私がもし仕事を辞めたら稼ぐことができることだと思ってきたと言っていた。わたしはもっと早くヘルプを出して、休んで頼っていれば、変わっていたかもしれないそう思った。
それなら、今からでもと思ってしまう気持ちがあった。

だから今朝、それを聞いた上で昨日の夜、言えなかったことを伝えた。
父の死でわたしが変わった。それから元々の敏感さが加速したし、良くない考えとそうでなものの区別の付け方がわからなくなっていた。
わたしはとにかく認められたかった。
自分で自分を認められなかったから、他者に肯定してほしかった。
確実に別れの原因だからこそ、今はそれに気付いたからすぐとは言わずとも、少しずつ回復していく中で、お互いの関係性をちょうどいい距離感を擦り合わせていくことはできないだろうかと思ってしまってること。それは無理だと分かっているけれど、この話を聞いてどう思ってるのか知りたいと伝えた。

色んな復縁方法などの記事では、何も言わない方がいいと書いてあった。時間を置いてから伝えた方がいいとも書いてあった。
でも小手先の駆け引きはわたしには向いてないし、彼にそうやって駆け引きをしたくなかった。
私がいま前に進むためには復縁の記事の言葉じゃなくて、私と彼との話し合いが必要だったし、それを蔑ろにする人じゃなかった。

彼は、私の不安定さを回復すればうまくいくということなら、同棲解消だけでよかったと思うと言っていた。私の不安定さだけで別れようというのは違うと思ってたし、それだけを理由に別れるつもりはなかったと。
それだけで別れに至ったわけじゃなく、私に対する気持ちの変化があったと。
元々の考え方の違いの溝を埋められないと思ったし、わたしが何に対してストレスを感じるのかなどが3年間一緒にいても分からなかった。それが分からないまま一緒にいるのは怖いと思うと。
それから、恋人関係とかでなくともこれから私とどうゆうふうになっていくかというビジョンは僕にはないと。わたしと一緒にいる自分の立ち回りをもう想像できないと言った。
それはあなたと一緒にいて、自分らしくいられないということだと受け取った。

そこで分かる。実際、彼に頼り切っていた私もずっとそうだった。自分を見失っていたし、このままでいいのだろうかとずっと思っていた。自分のことを好きになれないまま、いつか大丈夫になる日を望んで、何もしていなかった。
2人でバライティー番組を見て過ごした。私たちは別れる前の数ヶ月もうそれしかできていなかった。
離れた方がいいのかもしれないと何度も思っていた。それでも好きという気持ちだけで、離れられなかったんだ。そしてそれは今もそう。

思考と気持ちがこんなにもかけ離れた場所にいることが辛い。

別れ話の時は、私の不安定さを受け入れて過ごしていくこともできるけど、価値観が違かったと思うからと言われた。私はそれで心底納得してなかったんだと思う。
今日言ってくれたことはほとんど同じなのだけれど、端的な言葉では納得できなかった。
私は本当の理由を知りたかったし、納得できないと進めなかった。

復縁したい、だから無闇に話したり、聞いたりするのはやめよう。と今まで伝えずにいたけれど、伝えて話を聞けてよかったと思う。
話した後は彼が誰と電話していたのか気にならなくなった。

それから、父親のこと以外にも、もっと根本的な根っこに私の問題があると確信した。それは我慢するとか、考え方を改善していかなくては!ということでなく、自覚して認めていくことが第一段階で、私はまだそれができていなかった。

それから、最後までもう好きじゃないとは言わなかった彼に、好きじゃないと言ってほしいと伝えた。
その言葉を聞かないといつまでも可能性に縋ってしまいそうだったから。
彼は「好きじゃないし、これからも好きになると思えない」と言った。
「これからのことは分かんないよ」と笑っていった。これもめんどくさいと思われそうだなと思ったけど、もういいや!という感じだった。
そしたら「未来のことは分からないけど、今は好きじゃないから、これから好きになるとは思えないよ〜」当たり前じゃんのニュアンスで笑ってた。

そのあと仕事へ行った。
一つだけもやもやしてることがあり、もうここまでくればもやもやしてなにも言わないより伝えた方がいいという精神で、そのことを書いて(彼への否定などではない)それからいまでありがとうのLINEを送った。
送った瞬間、わたしは完全に彼に依存していたんだと思った。
彼にまだよく思われたい、認めてほしい、分かってほしいと思っている。だからこんなふうに送ってしまうんだと。

それから、それはここ最近のことでなくて父親が死んでからずっとだったんだと分かった。
離婚しているので、離れて暮らしていた父が死んですぐのまだ実家暮らししていた時、私は一人暮らししていた彼の家に逃げるように通っていた。
実家にいると自転車で行ける距離の父親の家にずっと行ってないことが気がかりだった。私は自分だけ、日々を楽しんだら悪い気がした。だから、彼の元に逃げていた。

それまではもちろん好きだったしお互い学生で、やることがあって、その傍らパートナーという存在があるというくらいの感覚だった。休みが会えば会いにいく。忙しかった会えないけど、それで充分だった。
でも、彼に会うと安心していた。
父が亡くなってから、その厚みが増え、種類が徐々に変化した。実家から遠く離れた場所で、もうすぐには帰れない場所で穏やかでいてくれる彼と過ごす時間は、わたしにとってある種の夢みたいなものだった。
悪夢を見てうなされるわたしを彼が起こして抱きしめてくれた。安心した。
生きてて大丈夫だと思った。
それから私は実家を出たかった。それには色んな理由があるけれど、早く自立して、早く大人になって、早く落ち着いて自分の生活を手に入れられれば、父のことはきっと次第に過去のことになり、大丈夫になっていくと信じた。
ひとりくらしをしたかったから迷ったけど、金銭的な問題もあり、彼と住むことに決めた。
穏やかな日々が待っていると思ったし、彼を大切にしたいと思っていた。
ただそんな日々の中でも、知り合いの精神的に不安定になってる連絡や、芸能人の亡くなったニュース、電車が人身事故で止まっていても、父を連想させた。
自分の顔さえそうだった。
バイトが終わり化粧が落ちた自分の一重は父親にそっくりだった。夜の電車の窓に映る自分が父親の顔そっくりで、私は窓の外を見るのをやめた。家に帰り、手洗いうがいをすると鏡に写るのはまた父親だった。だから鏡に映る目を指で潰した。彼に内緒で夜にアイプチをして二重を作ったこともあった。次の日の朝は少し二重になっていた。よかったと思った。
とにかく父を思い出す要素が世の中に溢れていた。
そのことは誰にも言えなかった。

それでも生きてこれたのは彼がいたからだった。だから色んなことを頑張れた2年間だった。
依存なんかじゃないと信じたかった。
わたしはこれから大丈夫になるんだと信じたかった。だから仕事を辞めなかった。
頼まれた仕事はやりたいと思った。
きっともっと未来に大丈夫になる日が来るんだって信じた。
でも、日常にあふれる棘はわたしを離さなかったし、わたしの身体に次々につきまくった。わたしは棘人間になった。
人と比べ、彼氏にぶつけ、他人を否定した。
彼に怒ってしまうことはわたしに原因があると思って、必死にアンガーマネジメントをした。
でも違った。わたしは誰かに許してほしかった。
父の死を止められたのはわたしだと自責し、自信をなくして、苦しかった。
そんなわけないよ、大丈夫だよ。あなたのせいじゃないよ。そうやってわたしはセルフケアをしなくてはいけなかった。
自分を認めることが、他人を認める第一歩だった。
でもそれすらも考えられない状況になった。
自分が自分でなくなることが怖くて不安で、もっと彼に求めて、依存した。
満たして。と思っていたことが分かった。

ここまで書いてきて、私は彼のことを全然考えられてなかったと自覚する。
それなのにまだやはりまだ彼との未来を望んでいる。完全に吹っ切れたわけじゃない。
でも望んでいるうちは確かに難しいと思っているし、そもそも難しい。彼は完全にわたしとの未来はないと考えているから。

最初に別れた時、納得がいかなくても飲み込んでいれば、わたしが父のことと向き合い、自分とも向き合って大丈夫になっていった時に、会ってくれたかもしれないと考えている。それが3年後5年後でも可能性はあったかもしれないと。
でももう、めちゃくちゃに駄々をこね、しつこく話し合いを求めた。
でもなんでこんなに複雑にしてしまったんだろう。別れたあと会った時何度も話し合いをしてしまったんだろうとは思わない。
わたしは今それしかできなかったし、仕方がなかった。
彼にとって私が大切だった彼女としてきれいに残るためにはそうした方が良かったかもしれないけど、できなかったんだ。
中学の短いお付き合い一回だけ。
それ以来初めて長くお付き合いした人だった。いろんな経験をたくさん一緒にした、そのほとんどが私にとっては初めてのことだった。そんなちゃんとお付き合いした初めての人と一緒に家を借りて住むところまでいけるなんて思ってもいなかった。お互い東京に実家があったから、余計に私はすごく特別に思っていた。
見る映画や動画、音楽は同じところもあったけどほとんど違った。でも彼の教えてくれる新しいものを知れるのが嬉しかった。
彼が喜ぶかもしれないと思いながら夜ご飯を作るのが楽しかった。
私が帰ると玄関まで来てくれてたのが嬉しかった。今日も家に帰って来れたと安心した。
もしかしたら、結婚するのかもしれない。ずっと2人で仲良くいられるのかもしれないと思っていた。
大好きだった。
彼が病気で倒れたらわたしが働いて養いたかった。どんな姿になっても、どんな格好をしていてもよかった。
だから自分が早く大丈夫になりたかった。
わたしは色んな理想の気持ちばかりを追いかけて、今の状況や状態を見つめられてなかった。

こんな気持ちも、もう彼には伝えることはないし、彼には私が沢山、自分が安心するための一方的な言い訳の言葉ばかりを残してさよならになった。
不安な気持ちが減ってきて冷静になるとなんでそんなことをしてしまったんだとやっぱり思う。

私はまだ全然大丈夫じゃない。

ただ、もうこの気持ちを受け入れようと思う。彼とまたいつか出会いたい。
沢山傷つけて、疲れさせて、最後をきれいに終わらせることもできなかった。

でも、私自身もまだ家の掃除も残っているし、引っ越しが完了したわけじゃないのもあるかもしれないけれど、復縁するために行動するんじゃなくて、自分の人生を生きた先に、もし出会える可能性があれば嬉しいなくらいには思えている。
それをちゃんと心の底から思えている。

明日には無理だー!と思うかもしれない。
3ヶ月後にはもう大丈夫と思ってるかもしれない。
でも、もう私は自分と向き合って生きていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?