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ともに考える

子どもたち同士のトラブルに何度か出会いました。「傷つけるつもりはなかった」「遊び半分だった」は今回に限らず、あらゆる場面でよく聴く言葉です。もちろん、本当に「相手に嫌な思いをさせてやろう」とたくらんだことではないかもしれません。だからと言って「仕方ないね」で済まされることでもありません。
ここで必要になるのが想像力です。「相手も本当に楽しいだろうか」と少し想像できるだけで取る行動が変わってきます。落ち着いた時にじっくりとこういうことを考えることによって、少しテンションが高くなったときの判断力につながってきます。
「他者と共に楽しく過ごす」ためには、相手に対する思いやりが必要です。自分の笑顔も相手の笑顔もどちらも大切にして過ごしいけるといいなと思います。昨日は、こうしたことを学級のみんなと考えました。1回で全てのものが無くなるとは思っていません。他者と関わる中での問題は、大人になってもずっとまとわりつくものだからこそ、たえずこうして「考える」ことを大切にしていきたいです。

2019年12月19日:学級通信「キラリ」(若松)

前記事と同様に、こちらも学級通信で書いたことです。常に子どもたちとの「過程」を共有できるようにしていました。

「どんなことをいっしょに考えられるといいかな?」

と考えながら記事を書いていました。そうなると、書きたいことは山ほどありますね。ただ、そんなに書き過ぎてもしんどくなるかもしれません。僕もお家の人も。その内容や量も絶えず模索していたように思います。

「ともに考える」ことを大事にするとき、やはり自分から何かしらのアクションを起こさないと始まらないのでしょう。そのアクションをどのようなものにするかが悩みどころですが。

「いっしょに考えたい」

が前提ですね。そこを忘れないようにしたいものです。その自分をすっ飛ばして「いっしょに考えよう」「いっしょに考えなければならない」となるとよくわからないことになります。

「いっしょに考える」
「ともに考える」

これからも見つめ続けたいです。「子どもたちとともに」「同僚とともに」も含めてです。ワクワクするところを大事にしながら。

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