交流アレルギーになった
創作者の中できっと何人かが思ってるけど言えないであろうことを言ってやろうか。
作品を見てもらうために交流するの疲れる。
自分の作品を見てもらうために、同じようなことしてる人と交流して、相手の作品見る代わりに自分の作品を見てもらう。
交流をやめたら、もう見てくれない人もいるかもしれない。
そういうこと考えるのが本当に疲れました。
正直言って、見てもらうために興味のない人にまで営業しなくても勝手に視聴者が増えてファンになってほしいよ。
でも現状、自分の作品見てもらうために相手の作品を拡散したり感想言ったりしないと1歩も始まらない。それ以外のやり方をわたしは知らない。
それに、こっちが相手に尽くしたからといって100%返ってくるとは限らないんですよ。そして、継続して交流をしてないとすっかり忘れられて信用度0から始まるんですよ。
本当にそんなの疲れる…
いっそ交流を完全にやめれば、交流しなくても反応くれる人だけが自分の元に残る、という考え方もあるんだけどね。
わたしに反応返ししてくれない人の事まで考えるのが本当に疲れました。
これ系の記事でたまに出てくるのは、不特定多数に向けようとすると反応が来なくて心が病んだりする。だから、いつも反応をくれる数少ない理解者に向けて発信するようにする、というもの。
でもさ…この人は、交流をしなくても自分の作品を好きでいてくれる人だ、って信じている人がいたとして、その人にが反応くれたら嬉しいなと思って投稿しても、必ずくれるわけではないじゃん。
そうなると、嫌われた?とか、飽きたのかな?とか、色々思ってしまって、最終的に「裏切られた」と感じてしまう。
でも、そんな風に思うのって最低じゃないですか。
勝手に期待して勝手に嫌うなんて。
そういう風に嫌いになってしまうのが嫌だから、わたしは不特定多数に発信したいしなるべく多くの人から反応がほしい。
いつも反応くれる数少ない友人を無下にしてるわけではないんですよ。でもその人を人柱にしたくもないんですよ。だから、これは好きな人を嫌いにならないようにするための対策でもある。
期待して裏切られるのが怖いから、最初から期待しない。そうすると、人からの好意も無下にしてしまう可能性がある。難しいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?