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わかり手が生まれるまで

はじめましての方ははじめまして。
Twitterで僕を見たことがある人はこんちゃす。

わかり手と申します。

普段は大学生をしながら、人様の話をきいて「わかる」と返すわかり手という活動をしています。

ほら、アイコンもわかるって言ってるでしょう?

プロ奢ラレヤーさんのnoteを人から奢ってもらったことをきっかけにnoteに興味を持ったのではじめてみようと思います。

Twitterでは、依頼の様子などをいかにおもしろおかしく書くかに力をさいているので、noteでは普段考えてること、依頼を通じて感じたことなどを少しだけ真面目に書いていけたらなと考えています。

さて第1回の内容ですが、そもそもわかり手ってどんな人?なんでわかり手をはじめようと思ったの?という話をしようかなと思います。

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わかり手は1997年の4月生まれ、島根県の松江市で生まれ育ちました。

頭のよい両親のもとに産まれたことが幸いしたのか、地元では頭の良い感じの小学校、中学校に通っていました。

正直、小中学生の頃はそれなりに頭が良いとはいえ学校での成績は平均ちょい上程度、特に特徴のある人間ではなくただの読書と音楽が好きなヲタクだったと思います。

「この職業になりたい!」
と言う夢もいろいろありましたが
「最終的には普通の会社に入って普通のサラリーマンになるんやろうなぁ」
と漠然と思っていました。

そんな僕に転機が訪れたのは高校一年生の時です。

ちょっと脱線しますが、わかり手は診断されてはいませんがADHD気質です。
母も弟もそういう気質なので多分わりとガチでそういうタイプの人間です。
家族全員片付けと掃除が世界で一番苦手なタイプの人間です。

小学生の頃から宿題を忘れ続けて、「宿題やったけど忘れた!」(本当にやったけど忘れてた)を繰り返して先生から怒られ続けていました。

高校に入ってすぐに、そのことで数学の先生にめちゃくちゃ怒られました。
その数学の先生が、所謂みんなが怖がる怖い先生で、もうガクガクしながら怒られました。

それから数学の授業で予習を忘れていたりするときはうしろの席の上田くんに
「俺、次の授業お腹いたくなるから先生に言っといて」
と伝えて保健室に逃げたりしてのらりくらりと一学期を乗り越えました。

毎回先生に伝える役目負わせてごめんね上田くん……

一学期を終えた高校生には、夏休みという青春(≒ニート)が等しく与えられます。

僕は夏休みに彼女が出来て、数学の授業からも解放され、有頂天でした。

そして夏休みを終えて登校初日

学校いきたくねぇ!!!

そりゃそうですよ。
彼女ができてめっちゃいちゃいちゃしていて天国だったのに、また数学の先生に怯える日常に戻るなんてまっぴらごめんです。

学校に行く前にトイレいこーと思ってトイレを済ませてから、便座から腰が上がらなくなってしまったのを覚えています。

当然のように両親や先生と話し合いになりました。

その時にはじめて知ったのですが父も同じように高校一年生で不登校になり、その後大学に行ったようです。
その父からは
「秋にある高卒認定試験(旧大検)に受かったら好きにしてよい。」
という条件を言い渡されました。

高卒認定試験に関しては特に苦労することもなくぬるっと取得できました。

そして晴れて自由の身(≒ニート)になった僕は、音楽で食っていきたいと考えていたので音楽をやりたいだけやり、通信制高校に籍だけ置いて、授業には出ずに友達だけ作って遊んだりやりたい放題やっていました。

17歳の頃から音楽でお金をとるようになり、バイトで稼いだお金を機材につぎ込んだり東京に行ったりして少しずつ仕事の規模を大きくしていきました。

まぁ僕自身が振り返っても「変な奴」と思うような人生を歩んでいるわけで、当然周りにも変な奴がたくさん集まってきます。

変な奴らはみんな何かしらコンプレックスや悩みをかかえており、変な奴ゆえになかなかそれを相談できないことが多かったみたいで、僕はもともとのお節介焼きな性分から、そんな彼らのお悩みをきいて飯を奢られたりしていました。

思えばわかり手的な役割をこの頃からこなしていたんだなぁって思いますね。

さて、18歳で上京し音楽の専門学校に入学、一年だけ通って中退し一年間遊び惚けてから現在の大学に入りますが、わかり手活動にはあまり関係が無いので省略します。

去年(2018年)の年末、僕は地味な窮地に立たされていました。

そう、大学の単位がとれていないのである

単位がとれていないのである

半同棲していた彼女とは大学に入るあたりから関係が悪化しフラれ大いに精神を病み、その上フリーランスとして音楽をやりながら大学に通うのがなかなか厳しかったのです。

血迷った僕がとった行動は、「資金を調達して仕事の規模をさらに拡大し、自分が働かなくても良いようにして大学の近くに引っ越そう」というものでした。

これに関しては正直僕は大失敗を現在進行形でしています。家賃は高いし、仕事になかなか結び付かず同居人に充分に仕事をふれず、毎月赤字を垂れ流しながら生きています。ストレスから家に居づらく最近は放浪癖が身に付き始めています。もしこのノートを見ている人で曲書いてほしいとか歌を録音してほしいとかあったら連絡ください。めっちゃ仕事します。

そんな地味極限状態な僕が現実逃避的にはじめたのがわかり手のTwitterアカウントです。

仕事の規模を拡大するにあたりTwitterの運用に関して学ぶ機会があり、それを活用していっちょ有名になったらぁ!と思ってはじめました。色々な相談を受けてきたという自分の特徴をいかして、相談に乗る人、じゃあわかり手だ!となってわかり手は誕生しました。

わかり手、自分でいうのもなんですが悪くない勢いだと思っています。

現在アカウントを作ってちょうど三か月。バズりはせずとも、フォロワーは着実に増えてこれを書いている現在は4406人、一か月に1000人以上のペースでフォローしていただいています。「Twitterを運用する」という意識があるからこそ出せている数字だなぁと感じています。

幸い、いろいろな変な奴から相談を受けていたためネタには困らず、最初の一か月はひたすら変な奴からの相談などについてツイートしていました。

そこから実際にお悩み相談や、これをしてほしいという依頼などが舞い込むようになってきて、現在に至ります。

そんな具合に、現実逃避と承認欲求から生まれたわかり手というアカウントも、気付けば色々な人とつながり、地味に人の役にたったりもするようになってきました。世の中何があるかわからないですね。

駆け足になりましたが以上がわかり手がわかり手になるまででした。

まだまだわかり手をはじめたばかりですが、ゆるゆると曖昧に活動を続けていくのでのんべんだらりと生暖かい目で見守ってくれればと思います。

それでは

基本はTwitterにいるのでよかったらフォローしたってください。

わかり手のTwitter

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