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私がライフテーマにたどり着くまで

「子どもがほしいなら、すぐに不妊外来に行ってください」

婦人科医に告げられたあの日のことを、何度振り返っただろう。
私はフリーライターなので、商業媒体で記事化もしたし、『私たちが「産まない」を選んだのは』というZINE(個人で制作した冊子)を出してそこでも言語化した。

だんだんと婦人科医に宣告された時は遠のき、5年経った今、私には子どもがいない。
不妊外来にも行っていない。

産まない選択をした人として生きている。

産まないつもりではいたけれど


私は子どもを産んだ人、産む人、産みたい人、そして産みたいけど産めない人のことを否定しているわけではない。
むしろ彼女たちと異なる自分がおかしいのではないか、動物として持つべき母性がないのではないかと悩んだ。

「子どもがほしいなら、すぐに不妊外来へ……」

将来、自分が築く家庭のイメージがふくらみ始める子どものころから、自分は子どもがほしくないと自覚していた。
ところが婦人科医にそう告げられた瞬間、心が大きく揺れるのを感じた。

産むか、産まないか。
医師は「すぐに」と言った。
すぐに、決めないといけない。

私の前に大きな選択肢が置かれたのだ。
いま、選ばないといけないんだ。
ようやく、子どもを産むための道、産まない人生を歩む道、どちらを選ぶか決めるときがきた。

「産まないと決めてたんだよね。家族にも言ってたんだよね」
「それなのに、どうして?」

周囲の人たちは私に聞いた。
30代になってからまもない私は、どうして自分がすぐに選べないのか、わからなかった。
不妊治療をして子どもを産んだ友人が、いくつか不妊外来を教えてくれた。

私はそれぞれの不妊外来を吟味した。
行くべきだろうか。

婦人科医は嬉しそうに笑った


まだどの記事にも書いていないのだが、「子どもがほしいなら」と告げた医師に再び診察してもらったとき、思い切って「もしかしたら私、子どもがほしいかもしれないんです」と言った。

医師は驚きつつ、嬉しそうな顔をした。
嬉しそうに、笑ったのだ。

排卵していない。
多嚢胞性卵巣症候群だ。
だから、子どもがほしいなら不妊外来へ。

医師は「子どもがほしくないなら、このままでいいですよ。3カ月生理が来なければまた婦人科に来てくださいね」と言っていたのに、「私が子どもがほしいかもしれない」と話したとたん、嬉しそうな表情になった。

やさしい女性の医師だった。
それなのに。
私は重い岩が胸にのしかかったような気分になった。

産まないことに理由は必要?

妹に電話をした。
当時の妹は独身だったが、産みたい人だった。

「どうして産みたいん?」

私はよく「どうして産みたくないの?」と聞かれていた。
その逆質問のようなかたちで妹に聞いた。
「うーん」と考え込む妹に対して、さらに質問を投げた。

「将来、寂しくないから?面倒を見てもらえるから?」

思えばそんな発想が出てくる時点で、私は子どもを持つことに向いていないのだが、妹はこう返した。

「お姉ちゃん、そんな理由で産むならやめとき。子どもがかわいそうや」

妹は、老後の面倒を診てもらうなんてまったく考えていないらしい。
それなのに産みたいらしい。

「どうして」

聞くと、「そんなこと聞かれても」という言葉が返ってきた。
たしかにそうだ。

ーーーどうして産みたくないの?

そう言われるたびに、私は理由を必死で探して、相手が納得しそうなものを見つけて返事をした。

悪気のない言葉は痛みに


「子ども、産んだら可愛いよ」
「母性がないの、なんでだろうね」
「女性なら産む経験、したくないですか?」

今まで言われた言葉が私を追ってくる。
そのたびに、
「産んだら可愛いのかなあ」
「母性ないのかなあ」
「産む経験をしないと後悔しないかなあ」
と、悩んできた。

でも、私が子どもを産みたくない気持ちは、小学生くらいのとき、クラスの女の子が「将来結婚して、3人くらい子どもがほしいねん」と言い、「私は違うなあ」と感じた頃から変わっていない。

結婚はしたいけど、子どもはいらない。

この言葉もあまり理解されなかった。
20代、恋愛を繰り返していた私は「早く結婚したいだろうし子どももほしいだろう」と誤解されていた。

結婚は、したいけど……
そこからは、またいやな話題になる。
子どもを産みたくない理由を聞かれて、それから。

私の「どうして(産みたいの?)」に対する、
妹の「そんなこと聞かれても」が正確な回答だった。

選択のとき


私は自分の将来の不安に関係なく、子どもがほしいかどうか考えてみた。
答えは明確に見えてきた。

不妊外来を教えてくれた友だち、ごめんなさい。
「子どもがほしいかも」と言った私を嬉しそうな表情で見つめたお医者さん、ごめんなさい。
私との結婚生活を続けてくれた夫、ありがとう。

私は選んだ。
子どもは産まない。
子どものいない人生を生きていく。

日本では有名ではないが、私のような人をチャイルド・フリーと呼ぶらしい。
子供を持たない人生の方に豊かさを感じて、子供を作るつもりがないと考える人々のことだ。

Dinksではない。
子供をつくらない共働きの夫婦で、互いの自立を尊重し、経済的にゆとりをもち、それぞれの仕事の充実などに価値を見いだす結婚生活のことをいうらしいからだ。

私は精神的にも自立していないし、夫は私の収入を大きく上回っていたので「経済的にゆとりをもち」なんて言うと怒られそうだ。

絶対的に異なるのは、反出生主義だ。
”人は生まれてくるべきでなく、また、子を作るべきでないという思想”を指す反出生主義は、「産みたい人が子どもを産めたらいいなあ」と感じる私の考え方とは正反対だった。

というわけで、私はチャイルド・フリーになった。

選んだことと、手放したこと


子どもに癒される未来も、子育てに四苦八苦しながらも愛情を感じる未来も、将来、子どもが孫を連れてくる未来も。

私は想像したことがなかった。
婦人科医の「子どもがほしかったら」という言葉を機に、無理やり考えようとしたが、できなかった。

不妊治療をしても、子どもを産めない可能性はもちろんある。
しかし不妊治療をして子どもを授かるかもしれない選択肢を、私は手放した。

あれから約5年経ったいま、私には子どもがいない。
夫は海外に単身赴任をしているので、オンラインで画面をつないで、毎日相手が側にいるような感覚で会話をしたり、お互いに好きなことをしたりしている。

後悔はするかもしれないけど


ときどき、「産まない人生を選んで、あとで後悔しないかなあ」と考えることはある。正確に言うと、少し前まであった。

2022年に発売された、イスラエルの社会学者の書いた『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト・著、鹿田昌美・翻訳/新潮社)を読んで、その気持ちが薄らいだ。

この書籍は、イスラエルのユダヤ人社会にいる母親たちのうち、「時を戻せるなら産まない選択をしたかった」と答えた23人の女性に関する報告書である。

産まない選択をしたかったということと、子どもへの愛情は異なるというのも私にとって新しい発見だったが、それ以上に私を驚かせたのは、
「産んでから産まない人生が良かったと思う人もいるんや」
という事実だった。

「あとで後悔しないかなあ」

このぼんやりとした悩みは、「産んで後悔した人もいる」と気づいたことで薄らいだ。

産む人生、産まない人生。
もちろん選べるとは限らない。
産みたくても産めない女性もいるからだ。

「子どもを望んでも授かれない女性もいるのに」

自ら「産まない」を選択した女性に対して、こう言って眉をひそめる人もいるだろう。
そのとおりだ。
しかし、産みたくない女性が子どもを産んで、後悔したら。
「産まない」を選びたかった女性を批判した人は、責任をもてるのだろうか。

彼ら、もしくは彼女たちは言う。

「産んだら可愛いと思えるよ」

そうかもしれない。
でも、そうではないかもしれない。

ZINEのテーマは「産まない選択」


引っ越したので、それきり「子どもがほしいなら不妊外来へ」と言った婦人科医とは会っていない。
やさしい女性の医師だった。
私が「子どもがほしいかもしれない」と言ったときも、無意識のうちに嬉しそうな表情になってしまったのだろう。

しかし、私は産まない選択をしようと決意した。

それから2年ほど経って、ふと疑問が生まれた。

世の中は広い。
産みたくないのに、それを言えない女性がいるのではないだろうか。
産みたくないと言ったことで、心ない言葉を投げかけられるのは、私だけなのだろうか。

私は当事者がいるかアンケートをとった。
何人もいた。
その中の2人にインタビューをして、当事者としてのエッセイや『母親になって後悔してる』の書評を書いた。
それを自主制作のZINEにまとめた。
タイトルはそのままだ。

『私たちが「産まない」を選んだのは』

読者の孤独感を共有したい


作ったZINEを文学フリマ(作り手が自らの手で作品を販売する文学作品展示即売会)に出すと、おそるおそる手を伸ばして立ち読みをする人もいれば、さっと買って立ち去る人もいた。
直接、「私もそうなんです」と打ち明けてくれた人もいた。

通販を始めて、書店で委託販売をしてもらった。

すると後日、たくさんの感想が届いた。
どの人も、私と同じような悩みを抱いていた。
また、嬉しいことに異なる立場でも新たな視点を得たと言ってくれる人もいた。

「女として欠けた部分があるのではないかと思っていた」
「今まで話す勇気がなかった」
「私は産んだけど、産まない人の気持ちになれた」
「本を出したのは勇気があることだと思う」

私に勇気があったのかはわからない。
ただ、ひとりじゃない、と同じように産みたくないと感じている人に伝えたかった。

ーーーーー私たちは、罪悪感も孤独感も、抱く必要なんてないんだよ。

私なりの、届けたいメッセージだった。

「対話しよう」ーーーそして新たな挑戦


今月(2023年8月)、私はオンラインで、産まない人生について考える対話の会を開く。
画面オン、オフは自由で、話しても話さなくてもいいし、誰も話さなければ私がひとりで話すので、まったく問題ない。
ただ、話さなくても交流の場になればいいな、と思う。
少人数だからこそ、共有できることもあるはずだから。

そして来年(2024年)2月、出版社から商業出版として、ZINE『私たちが「産まない」を選んだのは』を大きくふくらませた書籍が出ることになった。
担当編集の方から「本を出すことを言っても問題ない」と許可をもらったので、ここに記す。

執筆にいそしみつつ、見失ってはいけないと思うのは、あのとき、私が産まない選択をしたことだ。
理由は追求しなくても良いと思う。
ただ、私は自分の人生を選んだ。
選んだことで、今がある。

選択をしたことが、私のライフテーマに


これからも、たくさんの女性たちと対話をしたい。
産んだ女性、産みたい女性、産まない女性ののあいだに壁があるとしたら、その分断をなくしたい。
男性にも「産む」「産まない」について考える機会を提供したい。
それから、それから……。

考えればきりがないが、まず越えたいのはこの壁だ。
「産みたくないと思っても、自分を責める必要なんてない」
「産まない人生を否定する権利なんて、誰にもない」
「私たちは自分の意志で、自由に生きている。それだけなのだから」

この言葉を、産みたくないと感じている人たちの心に届けたい。
選択をしたから、私には目標ができた。
ライフテーマができた。

今もこの言葉が、誰かに届いていると信じたい。






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