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冬の黄色い花に捧ぐ

退院してから今日でちょうど十年だと気づいたのは、窓の外で咲く小さい花を見た時だった。殺風景な冬の庭に咲く花は黄色。カラー診断によると私に合う色は黄色。あの花は「普通じゃない」。

自著の刊行はもうすぐで予約も始まっている。


私は「普通」とは何か、幾度となく考えてこの初の著書を書いた。刊行後もこの問いを追いかけようと思っている。

黄色い花は私に「そろそろ、十年前のことを書く訓練をしないとな」と思わせた。どのような形態になるだろう。小説かもしれない。エッセイかもしれない。これからまた何年か、かかるかもしれない。それでも必ず、商業出版で出す。「普通」に苛まれた精神病棟での二カ月は、十年前は、絶対に無駄にしない。

入院中、「普通じゃない」私は、高校生から40代までの患者たちと仲良くなった。同年代の患者は統合失調症を患っている人が多かった。
統合失調症はどんな病気だろう?
スマホもパソコンも取り上げられているので、インターネットで検索したのは外出許可がおりた日だ。
統合失調症に苛まれながら、入院したばかりの私に声をかけてくれた友人の姿が心に浮かぶ。
人の持つ苦しみの重さを測ることはできない。それでも、なぜ統合失調症になる人とならない人がいるのか不公平すぎると思った。
一方で、自分は統合失調症じゃないと知ったことによって、野次馬になったような気分になった。
外の世界とつながれる外出許可のおりた日に限って、入院中の私の元気は、からっぽになる。

もうひとつ、私の病棟の入院患者に多い病気があった。双極性障害だ。
ソウとウツを繰り返すこの病気は、ソウの時は眠らず過ごせて、大金をはたいて衝動買いをすることもあるらしい。それなのにウツの時は沈んで起き上がれなくなる。
その「ソウ」「ウツ」を自分ではコントロールできない。
ウツの症状は私にも経験があった。だけど入院していた時の、病棟での私はウツじゃなかった。二カ月間、とても元気で、元気すぎたので気づけば患者たち十人ほどが集まる仲良しグループのリーダーのような存在になっていた。

「理央ちゃんって、普通、やんね」

当時の私より20歳くらい年上の女性は、うらやましそうに言った。すっきりとした美貌の持ち主で、年下の私たちの憧れの存在だった。急に言われて驚いたが、彼女は私を否定しているのではなく、私をここに閉じ込めた、私の元夫に怒りを感じているようだった。

「元気な子になんでこんなひどいことをするんやろ」

早くここから出してほしい。医療保護入院……つまり、強制的に隔離病棟に入院させられた私たちは、毎日のように「早く退院したい」と言っていた。仲良くなった患者はみんな繊細でやさしくて、「なぜ理央さんはここから出られないのか」とグループの皆がだんだんと疑問視してくれるようになった。
元気すぎた私はほとんどの患者と仲良くできるし、リーダー扱いをされるし、時には看護師さんのぼやきを聞く存在になったのだ。医療者が患者にぼやくのは完全にアウトだと思うが、二カ月も元気な人が患者として居座っていたせいでもある。

みんなと同様に退院したくて仕方なかったのだが、医療保護入院は入院させた保護者と主治医の許可、両方がなければ退院できない。私の保護者は元夫で、私が入院してから数日で音信不通になり、主治医が「奥さんが入院中なのに連絡がとれないなんて」と代わりに憤ってくれた。このあたりの経緯は本筋からぶれるので省略する。

ともあれ、入院中、患者仲間はみんな、やさしかった。
苦しくて、コントロールできない自分の気持ちと向き合っていて、外でさんざん「普通じゃない」と言われていた私たちの、入院中の心のよりどころ。それは、患者仲間と過ごすひとときだった。ただ精神科の患者なのにいつも元気な私は例外だと思われていたのかもしれない。

退院の決まった日、耐えられなくなった私は医師に診断名を聞いた。いよいよ精神科病棟に入院した理由がわかる。しかし医師は「そうですねえ……」と考え込んだ。先に書いておくが彼は真摯に患者と向き合う名医だった。まだ、精神医療は今より進んでいなかった。それだけだ。

考えたあと、入院時の主治医は私に告げた。

「義両親との不和ですね」

「はあ……」と答え、医師が去ってから「ええっ」と声が出た。入院中にいちばん仲良くなった、隣のベッドの女の子が来て、「ええっ」といっしょに驚いてくれた。

「それならなんで入院させられたん?」

大人以上に他者を気遣えるその子とは、退院後二度と会えなくなってしまうのだが、私は彼女によって何度も慰められた。本当は私が言いたいことを、彼女が口にしてくれた。

「理央さんも、普通じゃないって言われてしんどい思いしたやんな」

退院は明後日。女の子が「さみしい」と言って、夕日の差し込む窓に立った。私は隣に行って、手をつないだ。その情景を、なぜか私は第三者の目で見たように、思い出すことができる。

「普通じゃない」のに、診断名がつかない。つまり私が苦しいのは、私が弱いからなのだ。私がなまけているからなのだ。

退院後、周囲にいる多くの「普通」の人たちもそう受け取った。元夫とは退院後すぐに離婚した。

あれから十年。大人の発達障害を診断できる医療機関は増え、双極性障害は従来のⅠ型のほかに、「ソウ」状態のかるい、つまり物を買いすぎたり眠らなくても元気だったりということがないⅡ型があると一般人に知られるようになった。Ⅱ型の「ソウ」は軽い、しかし「ウツ」はⅠ型と同様に重い。

2024年の現在に時を戻す。
現在、私は、ADHDであり、二次障害で双極性障害Ⅱ型を患っていると診断を受けている。双極性障害の「ウツ」に共感した理由を、時を経て知ったのだ。
そして「普通じゃない」と呼ばれる立場を確立したからこそ、私は、
「普通」って何だろう?」
という問いを投げかけることができるようになった。

精神科病棟での日々を言語化する。来るべきその日のために、私は自分だけのレンズで物事をとらえる訓練を始めている。
学ぶのだ。自分の過去の経験を通して学ぶのだ。
その経験は角度によって見え方は異なるし、表に出すにあたって、レンズを磨くかあえてぼやけさせるかも選ばなければならない。

私は小説を書き続ける。エッセイを書き続ける。商業出版で書籍も出して作家になる。そんな中でも途絶えさせることはしない。「普通」について考えることを。

今日の私の目に映る寂れた景色の黄色い花は、いじらしくもあり、憎たらしくもある。

退院してから今日でちょうど十年だと気づいたのは、窓の外で咲く小さい花を見た時だった。十年後の私は、何かを見て、「今日で二十年だな」と思い出せるだろうか。

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