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婦人参政権運動は「有閑夫人の暇つぶし」だった

陰謀論フェミニズムに汚染されていない女性人権史」を独自に綴る連載の第4回。第1回では市民革命と同時に産声をあげたフェミニズムの芽生えを、第2回と第3回では産業革命とそれに伴う社会環境の変化がいかに女性の権利を向上させたかについて扱った。

【目次】
第1回:フランス革命とフェミニズムの芽生え(1780年代-1790年代)
第2回:産業革命がもたらした「離婚の権利」(1800年代-1850年代)
第3回:労働者階級の誕生と「女性の私的所有権」(1830年代-1880年代)
第4回:有閑夫人の奢侈が生んだ「女性参政権運動」(1830年代-1920年代)

第4回となる本稿では、いよいよ第一次フェミニズムにおけるクライマックス、女性参政権運動について解説してこう。多くのフェミニストがドラマチックに語る「女たちの闘争」がひとつの絶頂期を迎えた時代である。

なるほど確かに「女たちの闘争」は存在した。彼女たちは女性参政権を要求し、現実にそれは叶えられた。しかしこれは「女たちの闘争が女性参政権をもたらした」ことを意味するのだろうか。答えは明確にNOであろう。少なくとも、「女性運動のみによって婦人参政権がもたらされた」という歴史観はあまりに多くの歴史的事実を乱暴に無視している。

そもそもなぜ「女たちの闘争」は突如として活発化したのだろう。19世紀に入るまで組織的な婦人運動が国際的に隆興したことは人類史上一度たりともなかった。それが1830年代ごろから英米を中心に爆発的な広がりを見せるのだが、その背後にはどのような社会の変化があったのだろう。

そしてなぜ、90年近く「女たちの闘争」はほとんど無視されていたにも関わらず、1910年代ごろから突如認められ、とんとん拍子に女性参政権が各国で成立していったのだろう。

これらの謎にはしっかりと答えがある。「悪しき家父長制による支配とそれを打ち破った勇気ある女性たち」式のあまりに単純化された勧善懲悪の物語は歴史的事実のほとんどを隠蔽している。

本稿は、フェミニストが「語らない権利」を行使する中に埋もれていった婦人参政権運動の複雑な実像について綴っていく。


「働かない女」の誕生

第2回、第3回で見てきたように、18世紀末から19世紀初頭にかけて起こった産業革命は社会のあらゆる階層の生活をそれまでとは一変させた。農業主体の中世的社会は近代的商工業の登場によって激変し、それは経済から政治から生活、ひいては軍事、医療、技術、交通、通信、信仰、家族、法制度などにいたるまで、人類社会のあらゆる面に地球規模の転換をもたらした。

女性参政権運動と特に関わりが深いのは、中産階級(ブルジョワジー)の拡大に伴う専業主婦の誕生だ。広く誤解されているが、産業革命はむしろ女性を労働から遠ざける結果につながった。それまで圧倒的多数であった農民階級において女性の労働参加はごく当然のこととして自明視されていたが、産業革命以降それが揺らぎはじめたのだ。

中世的社会における農業は複数世代にまたがって形成された拡大家族を基礎として営まれる。つまり種まきであれ、麦踏みであれ、収穫であれ、落穂拾いであれ、四季折々の農作業には子供や老人も含む老若男女が参加し、紡績や織布などの家庭内手工業においても女性の労働力は重要な役割を果たしていた。中世的社会の農村における女性の労働参加率は限りなく100%に近いと言って良い。

しかし産業革命以降に誕生した中産階級は、「家族」ではなく「会社」という奇妙な共同組織を基礎に事業を営んだ。そうでなければとても人手や資金が足りず、また協業に必要な機械工や会計士などの専門技術者は家族の外部に求める方が合理的だったからだ。産業機械が発達し商工業が大規模化するにつれてこの傾向は増していき、多くの産業が大規模な資金と複雑怪奇な分業を前提とする会社組織によって営まれていくようになる。(1)

こうなると、「中産階級の妻」たちは仕事を失ってしまう。まさか女工と一緒になって紡績機を回すわけにもいかないし、複雑に分業化された専門職に就くには教育が不足している。そもそも豊かな中産階級の妻であるから金を稼ぐ必要性もなく、子供の養育や家屋敷の管理や社交など女の仕事も色々とある。

こうした社会背景は、「淑女が仕事をするなんてはしたない」という価値観を急速に広げていった。元々貴族社会には「青い血」、つまり肉体労働によって日焼けしていない血管が青く透き通るほど白い肌を称揚する文化があり、それが中産階級にも広まっていったのだ。(2)

中産階級(ブルジョワジー)が新たな貴族階級の外縁を形成しはじめたと言っても良いだろう。「勤勉な農家のおかみさん」は少しずつ数を減らしていき、「働かず屋敷からも出ない淑女たち」が都市部を中心に増加していった。この風潮は企業や工場を経営する大ブルジョワだけでなく官僚や医師や会計士や弁護士といった小ブルジョワにも広まっていき、こうした「淑女」たちの需要に応えて19世紀の都市は華やかな消費文化を花開かせていく。

こうして人類史上はじめて「専業主婦」という階級が誕生した。労働の免除などごく一部の王侯貴族にのみ許された特権だったのだが、それがある程度一般化してしまったのだ。ご存じの通り「専業主婦」という階級はその後女性の過半数を占めるほどに拡大していくが、これが人類史上きわめて希少かつ不自然な生活形態であることは強調しておこう。

専業主婦という階級の形成。しかしこの「働かない女」たちが、どういう歴史の皮肉か「婦人参政権運動」の形成へと繋がっていく。


有閑夫人の暇と贅沢と慈善事業

当たり前の話だが、仕事をしないと人間は暇ができる。

閑(ひま)のある奥さん、すなわち有閑夫人にとってそれは死活的な問題である。暇なのでなにか楽しいことがしたい。彼女たちは富裕層の妻であり、つまりは購買力もあった。ならばすることはひとつしかない。贅沢である。

手間暇かけた晩餐とパーティー、きらびやかなドレスに宝石、紅茶や珈琲を囲むお茶会、桟敷席から観る歌劇や演劇、異国の珍しい草花の収集、美術の展覧会、景勝地への小旅行ピクニック…。

もちろんこれらは産業革命が浸透した19世紀初頭に発明されたものではない。古くから宮廷や貴族社会において楽しまれていたものだ。しかしいわゆるヴィクトリア朝時代(1837-1901)の特筆すべき点は、そうした奢侈が中産階級に対して解放されたことだ。

1849年創業の高級百貨店「ハロッズ」はその典型例のひとつと言うべきだろう。様々な贅沢品を富裕層に降ろす商人は無論古くから存在したが、そうした事業者は基本的に「外商」(屋敷への訪問販売)の形を取っていた。しかし「外商を家に呼びつけるほどではないが高級品を買う購買力がある」中産階級が次第に拡大していき、それらの需要に応えるために「高級品を集めた大規模小売店」つまりは高級百貨店という事業者が誕生する。(3)

1909年当時の「ハロッズ」の様子。

ハロッズは「王室御用達」という宣伝文句もあり、なんとなく貴族社会や宮廷との関りが深いように感じてしまうが、あれは基本的に中産階級という「成り上がり」のための店なのだ。その証拠に王室御用達の指定を受けたのも1910年とハロッズ創業から半世紀以上経った後である。中産階級の購買力が完全に王侯貴族を上回り、商品仕入れ等において古い外商たちが太刀打ちできなくなってはじめて、王室はハロッズを認めたのだろう。資本主義社会を牛耳る新興中産階級に対する、旧い貴族社会の敗北のひとつの証と言うべきかもしれない。

さて、このようにして産業革命は贅沢を一般化させ、資本主義社会の典型的特徴である大量消費社会を築いていった。その中心は紛れもなく有閑夫人たちであり、何よりもまず婦人たちに喜ばれる商品を資本家たちは探し求めた。(4)

しかし、「人はパンのみにて生きるにあらず」という箴言はどうやら真実らしい。大量消費社会の到来は有閑夫人たちに様々な娯楽をもたらしたが、それのみで充足するのはむしろ少数だった。彼女たちはより高度な精神的充足を、つまりは奢侈としての「やりがい」ある事業を求め始めたのだ。

こうして女性参政権運動の雛形とも言える流行が誕生する。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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