見出し画像

わかおの日記254

誕生日だった。側から見る他人の誕生日なんてものは最悪で、直接本人に言えばいいのにわざわざインスタグラムのストーリーズで「〇〇ちゃん、お誕生日おめでと〜✨」とか書いて、それを本人が気持ちよさそうにメンションする流れが嫌いだ。それは誕生日を祝っているのではなくて、誕生日を祝い合う関係であることを第三者にアピールしているだけだ。

ここ数年は、そういうことを言うから誰にも誕生日を祝ってもらえないんだろうなと勝手に納得していたのだが、今年はどうやら違ったようで、色々な人から誕生日おめでとうのメッセージが来た。自分は本当に駄目な人間で、他人に誕生日おめでとうなど送ったこともほぼないのに、自分ばかりこんなに祝ってもらっていいんだろうかという気になる。じゃあお前も祝えよという話なのだが、それがなかなか難しい。

去年は長崎の自動車学校に幽閉されていたため、同居人の飯田に無理やり「おめでとう」と言わせて自尊心を保っていたのだが(このとき飯田の顔は笑っていたが、目は死んでいた)今年はそういった惨めなことをする必要もなかった。非常に遅々とした歩みではあるが、自分も少しずつ社会性とか人間力といったものを獲得しているのではないかと感じる。自己ベストの更新だ。

この社会性の獲得に間違いなく1番貢献してくれているのがぼくの彼女で、ぼくは彼女からこの1年近く様々なことを学んだ気がする。いわゆる「一軍」の彼女の隣で付き人のように勉強させていただいたことで、常識的な大学生の感性や、女性との接し方など自分が数年間排除してきたものを吸収することができたのだ。コンビニ店員の目すらまともに見られなかったぼくに、彼女は大きな恵みを与えてくれたと思う。自分にとって大切な存在だ。

そんな素敵な彼女はぼくの誕生日を、ソラマチの最上階のイタリアンでお祝いしてくれたし、アルコールが飲み放題のラウンジがついたホテルの予約も取ってくれたし、もちろん銀色の風船を膨らませてベッドに配置するサプライズもしてくれたし、夜から朝にかけてしっかり3回性交渉してくれたので、ぼくの股ぐらの風船のほうはシナシナになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?