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バリ島ウブドに住み始めて、そして東へ

ニュークニンで初めて1軒屋に住み始めた!

パダンテガルのホームスティから、今度は本格的にお仕事を開始する為に
ニュークニンで1軒屋を借りてみた。
ここは知り合いが管理してるアメリカ人オーナーの家だったのだけど、月150ドル(確か)と破格だったので住んでみたのですが、お隣がお寺の為にオダランの日などは朝から晩までものすごい大音響が鳴り響いて(濃厚接近な位近かったので、ものすごい音量だった)、なかなかお仕事にならず。
その後サヌールに引っ越した訳ですが、50歩100歩と言う感じで、ここも色々あった…
このニュークニン時代に、初めて買ったバイク(スープラX)で社長とボンチェン(二人乗り)して、遥々とバリ島の東・カラガッサムはトゥガナン村まで行きました訳なのです。

バイクでトゥガナン村まで走る~

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最初は道も分からないから相当時間掛かって、カラガッサム県トゥガナン村に到着!
未だに仲良くさせてもらってる、元祖アタを作り始めたヌガケダップのアリちゃんのお店で色々と物色を始めました。あれも良い~っ、これも欲しい!と。

Nengah Kedapの若女将!?アリちゃんがこの方

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ピュアラバリで既に10年働いてくれているナナちゃんも、この時は20代後半とめちゃ若いっ!今じゃ3人のお母さんになりましたが、相変わらず元気でお仕事がんばっております!

ちなみに、トゥガナン村に行きますと本家とか元祖とか、日本語の看板を出してるお店がありますが、これは本当ではありません。
本当の元祖アタのお店は、I NENGAH KEDAPさんと言って、少し前に亡くなってしまったAriちゃんの義理父であるおじいちゃんが商業用アタとしてアタバッグやキッチンで使うアタグッズ、アタ製インテリア商品などを始めたのがトゥガナン村の工芸品アタ雑貨の始まりです。

皆さん良く知らないのですが、トゥガナン村のアタ製品ってものすごく歴史があると思っているのですがアタのバッグやアタインテリア雑貨をトゥガナンで作り始めたのって、ここ30年とかの話なんです。
分かる人にしか分からないのですが、トリジャタのイブもパンデのおばちゃんも、子供がまだ小さい頃は、工事現場で頭の上に砂を乗せて運ぶ(バリでは女性が工事現場の仕事などもします)仕事をしてた位ですので。
商業的なアタが始まったのは、ここ30年~35年前位からのお話なのです。

もっと昔から伝統的にあったアタを使った物と言えば、ガレットパンダン(*)の時に使う、あの盾に使う道具とか魚釣りに行った時に魚を入れる魚籠位でしょうか?

*ガレットパンダン(ムカレカレ)とは、トゥガナン村の伝統の勇壮な戦いの儀式で、パンダンドゥリの葉を
剣とし、アタで作られた盾で相手と応戦し、儀式を終えた男性の体は擦り傷だらけ、もちろん血だらけとなります。
以前、トゥガナン村の男性スタッフがオフィスにいたのですが、この儀式の後の背中は本当に痛そうだった~っ!

そして、日々ネット上のお店を構築して行った。

話がトゥガナン村の伝統の方に行ってしまいましたが、私たちがアタって良いねーと一目惚れ状態になって、日本向けに売ってみようと思ったのがちょうど20年ちょっと前。
仕入れに行って、写真を撮ったりして、発売したのがちょうど20年位です。
商材探しも、魅かれたバリ島の東部とウブドを中心に。

その頃のネットショップは、ただ商品の写真を撮ってアップロードしてた感じだったのですが、勘の良い社長が、実際に手に取って見れないネット販売なんだから、グレードを決めてグレード分けしたらよりお客様の為になるんじゃない!?と気づき、インターネット至上初のアタのグレード分けを始めました。
今じゃ当たり前のアタのグレードも、実は当店・ピュアラバリが日本で(多分世界でも)初めて格付けした物だったのです!

その後、アタのグレード分けはごくごく当たり前の事になったのですけどね。
バリ雑貨のネットショップは片手で納まる位しかなかったのが、雨後の竹の子のようになったと同じように。
あっ、でも今はアジア雑貨ブームがかなり過ぎ去ってしまいまして、雨後の竹の子時代よりはかなり減ってるかと思います。

こうして、日々グレード分けしたりして、アタの魅力に引き込まれてるうちに、さらに惚れ惚れする幻のアタ芸術作品と言っても良いような究極のアタと出会ってしまったのです!
それが、ピュアラバリイチオシ!のグレード7のアタ製品なのです。

極上&ハイグレードなアタ製品・アタバッグ一覧。厳選した極細編みをご紹介*ピュアラバリ

続く

wakana



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