自立と依存。

私はかつて、明確に親、特に母親に依存していた。
成人して職に就いて一人暮らししていたにも関わらず。

母親から予定が空いているか?と聞かれると、予定があっても無理矢理予定を空けていた。
自分の意思を持たず、全てを母親の意思に委ねていた。
逆らうのは面倒だった。

逆らって怒られたくないと思い、
常に母親の意思決定に身を任せていたら、
どんどん自分が何をしたいのかわからなくなっていった。
子どもの頃からずっと、母親には従うものだった。
それが「依存」だと気づかなかった。

夫と結婚して「それは洗脳じゃないか?」
と言われて初めて、依存している自分に気づいたのだ。
ちょうど土星回帰(サターンリターン)した頃。

依存していた自分に気づいた時、初めて母親に反抗した。
反抗期が無かった自分にとっては大人になってからの初めての反抗だった。
あまりにも長い母親への依存だったからか、反抗も不器用だった。
一旦は縁を切ろうとまで思うほど、母親から離れたかった。
あれは今思うと「拗らせ反抗期」だった。

母親から少し離れてみて、
ようやく自分が依存していたことに気づいた。
「母が強かったから従っていた」
のではなくて
「従っている方が楽だったから従っていた」のだ。
問題は、母ではなく自分にあった。

意思決定を放棄して楽をしていたつもりが、どんどん自分の意思がわからなくなって自分を苦しくしていた。

自分が本当に何を望んでいるのかハッキリさせてそれを他者に伝えること。
それが自立の一歩で、
今もその訓練中だと思っている。

今は母ともある程度の距離をおいて付き合えるようになったし、
必要があれば、少し躊躇しながらもNOも言えるようになった。
ここまでくるのには結構時間がかかった。

今も自分には「依存性」が潜んでいると思っている。
目の前の何かを決められなくて、
夫の決断に賛成する時
「自分は今依存していないだろうか?」と
常に我が身を振り返るよう気をつけている。

たとえば。
夫がいない休日は、
何をするにも自分で家庭運営について判断しなければならない。
子どもとどこに行くか、
お昼は何を食べるか、
一日のおおまかなスケジュール。

それは当たり前なのだけれど、
やっぱり普段は夫の提案に救われている部分が多大にあるのだなあと気づく。

自分1人で決めて、やる。
簡単なようで、難しい。

自分がどうしたいのか、はっきりさせること。
それがあってはじめて「他者と意向をすり合わせて協力する」ことができる。

対等な関係を他者と築くには、
自分の意思をはっきりさせる必要がある。

自立が遅かった私は、
いまだに「自分の意思をはっきり表明する」ことの訓練中なのだ。

自立と依存。
ずっとずっと、私の中の大きなテーマである。


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