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肩書きについて思うこと

知人の男性で、
「職場で役職がついた」
「仕事で部下がたくさんできた」
みたいな話ばかりする人がいるのだけれど、
いつもあまり興味が持てない。

私が聞きたいのは
「部下とどんな距離感で話すの?」とか
「最近仕事で面白いと思った瞬間は?」とか
その人の人となりが見える話。
肩書きのもう一歩先、の話が聞きたい。

女友達だけで集まると、
仕事の役職の話にはまずならないし、
どんな仕事してるかよく知らない友達も多い。

大前提に
「仕事はあくまで仕事で、
いつ変わるかわからんし
仕事してようがしてなかろうが私は私」
と皆思ってる感じがする。

いわゆる社会的地位の呪縛が無くて、
そこは女性というジェンダーの方が
ある意味男性よりも楽なのかもしれない。

学生時代の友達が貴重だと思うのは、
まだ社会に出る前からお互いを知っているから、
今現在、
いくら稼いでようが無職だろうが既婚だろうが独身だろうが
「その人はその人」なので、
社会人として着ている
「肩書きという鎧」を脱ぎ捨てて、
素顔のままでいられるのが
楽だし居心地いいんだよな〜と思う。

「どんな肩書きだろうがその人はその人」
というのは仕事だけじゃなく、
結婚の有無にも言える。
誤解を恐れずに言うなら
「いつでも結婚/離婚できる自分である」
というのもめちゃくちゃ大事だと思っている。

肩書きは名札のようなものだから、
外したとしても中身の人間は変わらない。

ここからは本当に私個人の話なので
「そういう人もいるんだ〜」
くらいに聞いて欲しいのだが、
私の夫は私と結婚した時収入はゼロ、
就職したばかりで
どうなるか全然わからない状況だったけれど、
私は幸いにして
たまたま仕事をしていて収入があったし、
一緒にいられれば楽しいかな、
と思って結婚した。

夫は全く収入が無いことを
全然卑下しておらず
「これから稼ぐし大丈夫〜」
という感じで、
そのスタンスも良かった。

その時の夫は肩書きでいえば「無職男性」だったが、
一緒にいると居心地良いな、
という理由だけで結婚した。
こういうパターンもある、
ということは書いておきたい。

そしてもしこれが、
女性である私が無職で
男性である夫だけが収入ある、
という場合だったら、
「じゃあ結婚したら専業主婦だね」
とすんなり受け入れられるのも
本来ならおかしな話。

男女(男男でも女女でも)どっちが
生活の糧になる収入を得ていてもいいし、
それはお互いの状況次第で変わってもいい。
当たり前だけれど。

と、肩書きについて書いてみて
気付いたのだけれど、
私はどんな肩書きも
「今たまたまそういう状態です」
という意味だと思っているのだな。

全部一瞬で変わりうるし、
どんな肩書きもかりそめでしかないから
こだわっても意味ないじゃん、
と思ってるフシがある。

この一連の私の考え方って
すごく水瓶サインっぽい。
山羊サインできっちり肩書きヒエラルキーを体験したからこそ、
そこから自由になる水瓶サイン。

私の出生図でのアセンダント水瓶座1度が
効いているのかもしれない。
基本的なスタンス。

人としての平等。公平性。
肩書きや性別や人種や国籍を超えた、
「人間同士」として話したいといつも思っている。

※過去ブログ加筆修正

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