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死ぬかと思った私の出産レポ

どうも、 ミートキャリアのきたむらです。
本日が出産後3日目になります。自分でもこのタイミングでnoteを書いてるのが不思議です。(一応、病院のベッドの上から隙間時間に書いてお送りしています。)

3/1に初めての出産を経験しました。正直、想像を絶する体験だったので、記憶が薄れないうちに残しておこうと書いています。

出産までの過ごし方

予定日は2/26、予定日を過ぎた2/28から入院をし、計画無痛分娩の予定だった。
今年はうるう年。「順調に産まれれば、2/29産まれになるね」なんて家族で話していた。

2/27までなんだかんだ気が休まらず、出来る範囲での仕事をして、2/28に予定通り入院した。

入院〜出産まで

2/28

計画分娩のため、陣痛促進剤の投与をして、まず陣痛を進める処置をする。入院して30分後には、バルーンという風船のようなものを入れて子宮口を広げる処置や薬を投与して、ただただ陣痛を待った。

この日は無痛の麻酔も入れておらず、気づいたら歩けないぐらいの陣痛が来て、1日目はとにかく「痛い」だった。

1日目の景色

2/29

2日目の朝、さらに大きいバルーンを入れる処置が痛すぎて半泣きになり、「あの…麻酔はいつですか?」と質問してみるも「もう少し先やね〜」と言われて絶望する。この時の絶望感は忘れられないが、出産のときにもっと大きな絶望を味わうことになる。

あまりに痛そうだったからか、その後すぐ分娩室で麻酔投与が始まり、そこからしばらく無痛の恩恵を受けられる。
朝10時から分娩室で、ただただ陣痛促進点滴をする時間が始まる。

2日目の景色

点滴の陣痛促進剤をMAX投与したが、夕方になってもなかなか進捗がない。でも産道が柔らかくなってきてはいるということで、先生たち数人の判断で陣痛促進を継続する判断になる。

さらに2回目の陣痛促進剤の点滴をMAXまで投与すると、麻酔で痛みを緩和できる限度を超え、ただただ陣痛に耐える時間が続く。その時もう3/1を迎える時間まで来ていた。

3/1

0時を過ぎたあたりで無理やり破水させ、やっと進捗があり「3/1の明け方には産まれるでしょう」と言われるが、そこから進捗しないまま午前2〜3時になった。

だんだんと先生や看護師さんが入れ替わり立ち替わり診察に来て、「赤ちゃんの心拍が下がるときがある」「赤ちゃんが旋回しない」など赤ちゃんに何か問題が起きてそうということが分かってきた。

破水をしてしまったので、出産まで時間をかけるとさらに赤ちゃんへのリスクが高まるのだが、陣痛促進MAXを2回やったことの私の疲労蓄積もあり、このまま陣痛促進を継続するのか、それとも明日の朝仕切り直すのかの意思決定を迫られることになる。(疲労困憊かつ深夜に、圧倒的情報不足かつ正解のない意思決定をさせられるのがしんどかった)

結果として、とりあえず3時間だけ休憩してから再開しようという結論になり、分娩室でそのまま疲労困憊で眠った朝4時。

すると、いきなり初対面のベテランっぽい別の先生が突然やってきて起こされる。

「今までなんて説明されたか教えて?」と言われ、とりあえずこれまで聞かされた継続or再開の選択肢のメリデメを発表する。頭が回らない中、最後の力でものすごく頭を振り絞って話した記憶がある。

すると先生が、「多分ここまでやって進まないと明日も進むことはないと思うし、明日まで待ってたら赤ちゃんが危険な状態になる。これは僕の勘でしかないけど、明日まで待たずに今すぐ帝王切開した方がいい。どうする?」

そう言われた朝4時半。もう先生の勘を信じるしかなかった。

正直、帝王切開の選択肢は全く考えてなかったので、どんなことが行われるのか・リスクや術後のことなど気になったが、理解している余裕がなかった。

「先生信じて今すぐ帝王切開にします」

何枚かの書類にサインをし、急な展開に気持ちが追いついてない自分がいた。ずっと横にいてくれた助産師さんが「こうなったのはママのせいじゃないからね!誰がなんと言おうと!」と言ってくれ、まだ「ママ」と言われても自覚がなくて誰のことなのか分からないながらも、急展開に困惑していた私は大号泣した。

直後、麻酔の影響なのか分からないが、私は高熱に襲われた。ほんの30分くらいの間に身体がぐったりし、話しかけられても答えられないほど意識が朦朧とし始めた。

分娩室では、ずっと家族にLINEで状況を報告していたが、途中で途絶える。帝王切開が決まってすぐ夫が駆けつけてくれた。

一晩中待機してくれていた夫と両親とのLINEグループ。
朝4:30に帝王切開になった連絡をし、
その30分後に意識が朦朧とし始める。


その後、遠くで声が聞こえる中、手術室へと運ばれた。気づいたら服を脱がされ手術台に乗せられていて、手術ライトの下で6〜7人が私を囲って「今から緊急帝王切開手術を始めます」と言っているのが聞こえてきた。
この辺りは意識がほとんどなくて、うろ覚えだ。

触られている感覚と、無理やり小さな穴から赤ちゃんを取り出そうと身体を押しつぶされ揺らされていることだけは分かり、私は手術台の上で吐き気に襲われていた。

丸2日以上も待ち侘びていた赤ちゃんが取り出されるまではすぐだった。手術中、遠くで泣き声が聞こえてとても安心した。
術後の縫合の最中、麻酔の影響で震えが止まらなくなり、身体をガタガタさせながら、全て終わった安堵で手術台の上で静かに泣いた。

これは結果論でしかないが、赤ちゃんには首に2周と身体にタスキ上にへその緒が絡まっており、出てくることが難しい危険な状態だったらしい。本当にあのまま陣痛促進を続けていたらどうなっていたことだろう。あの先生の勘は当たった。

術後、早朝にも関わらず駆けつけてくれた夫と両親に、手術室からベッドで運ばれる瞬間に10秒だけ話せた。

色々と言葉をかけてくれた気がするが、なにも言葉が出て来ず、わんわん泣いてから一言「…死ぬかと思った」とだけ言った。

気づいたら朝の7時をまわっていた。

出産後の3日間とこれから

産後、1日目は手術の麻酔もありベッドの上で何もできず、水も飲めずに過ごした。2日目からは歩行練習が始まるが、とにかく手術痕が痛い。痛すぎる。子宮まで切られたことを考えたら、当たり前ではあるのだが、初めは2mも歩けなかった。

その2日間は、世の中の母たちへの尊敬しかなかった。みんなこんな経験をしているのか。母って恐るべし。

そして今はまだ上手く歩けない中で、出会って3日目の赤ちゃんと一緒に過ごす母子同室生活となり、必死に生きてるだけで1日が過ぎていく。

10ヶ月前から母であったつもりではあったけど、出会ってからは3日目。まだまだ我が子とどう接すればいいのかよくわからない。この子がお腹から出てきたのかと思うと、不思議である。

きっと、子供の成長とともに徐々に母になっていくんだろう。
大変な1日だった3/1という誕生日は、母と父になった記念日でもある。これからの我が子と、そして親としての成長も楽しみだ。

生後2日の我が子

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