臨場猫はきょうも刑事にお供する 第2話 美しき死体 #2

 部屋へ向かうと、近藤ふみはベッドに腰掛け、隣に座る年配の女性に肩を抱かれていた。
「飴智です」
 飴智警部補が手帳を見せて声をかけたので、わたしもそれに倣った。
 年配の女性は名刺を差し出して石垣と名乗った。
 ゼネラルマネージャーという肩書きがあったが、十年ほど前からずっと夕月朱音の担当をしているという。
 芸能方面まで手広くやっているプロダクションの敏腕マネージャーというより、寮母のほうがしっくりくるような、素朴で雰囲気の柔らかな女性だ。

「夕月は自ら命を……?」
 石垣は単刀直入に、考えても得られなかった解答を我々に求めた。
 ずっと彼女のそばで仕事の様子を見てきた石垣でも、今回の事態を把握できていないようだった。
 亡くなった場所が場所だけに病死や事故死というのは考えにくい。
 百歩譲ってそうだったとしても、わざわざ誰かが冷蔵庫内に遺棄したことになる。
 事故死や他殺、自殺、どちらにしたって身近な人間がそのような亡くなり方をしたら信じられない思いだろう。

 飴智警部補はいつものように淡々と言った。
「我々もそれを調べています。ここへやってきたときのことを詳しく教えてください。話せますか?」
 近藤ふみに問いかけるもうつむいたまま無反応だった。
 近藤ふみは夕月朱莉よりさらにやせていた。
 上はキャミソール一枚で、背中を丸めた姿は貧相に見えるほどだ。
 見かねた石垣が代わりに答えた。

「私が答えられるところはお話しします」
「わかりました。近藤さんがここへやってきた経緯は? 同居人ではないですよね」
「夕月はひとり暮らしです。朝が弱くて、たまに遅刻するんです。今日もなかなか来ないし、連絡もつかないので近藤に立ち寄ってほしいと連絡したんです」

 近藤ふみはこのマンションから徒歩3分のところに住んでいるので、ちょくちょく夕月をたたき起こす役割をしていたらしい。
 今日は撮影のため2日間の予定で沖縄へ行っていたが、別件の穴を埋めるために早朝の便でたまたま帰ってきたそうだ。
 近藤ふみは若手ではあるけれど、想像していたより事務所からあまりいい扱いを受けていないようだった。

「いったん自宅へ戻ってからこちらへ?」
 自分に問いかけられていることはわかっているのか、うつむいたまま近藤ふみは首を振った。
「直接こちらへ来たとなると……荷物は」
 キャリーバッグなど置かれてあっただろうか。
 飴智警部補とわたしは辺りを見渡したがなにも無い。
 ベットの上に質のよさそうなパジャマがたたんでおいてあり、ベッドの下には夕月朱莉のものと思われるルームシューズがそろえてあるだけだった。

 あ、パジャマ。こんなところにあるじゃないか。直前まで着ていたと思われるものが。
 声を上げたくなったがとどまった。近藤ふみが「外に……」となにか話し出そうとしている。
「玄関の外ですか?」
 飴智警部補がちょっと強い口調で問いただすものだから、気圧された近藤は声を絞り出して「……はい」と答えた。

 旅行カバンは玄関の外に置きっぱなしなのか。
 気づかなかった。玄関のドアは開け放たれていたので、その裏に隠れて見えなかったのだろう。
「それほど慌てて中に入ったんですか」
 部屋に入る前から夕月がどうなっているか知るはずもないので、おかしな質問であるがあまり気にする様子もなく近藤はかぶりを振った。

「いえ。朱莉さんは潔癖症なので、地面を転がしてきたものを中に入れると怒るから。置きっぱなしに」
「鍵は開いてましたか」
「一応チャイムを鳴らして、わたしが開けました。いつものことです」
「鍵を預かっているんですね」
「……はい」
 やや間があったのは何かしらの疑いをかけられていると思ったからだろうか。
 だが、なんかしらの言い訳をするような気力は残っていないようだった。

「それからどうしました?」
「呼びかけても返事がなくて。奥に入っていったらテーブルの上に物が一杯載ってて。それで冷蔵庫になにか物を入れるために出したのかなって、気になって開けてみたら、わけがわからなくて。最新の美容法かと思ったけど、全然反応ないし……」
 そこまでいうと、言葉を詰まらせた。人が亡くなっているところを見たのは初めてなのかもしれなかった。

 遺体の温度からいって、床の上で倒れていたのを冷蔵庫の中にいたと近藤ふみが偽ったというのはなさそうだった。
 まさかこんな華奢な体つきで、キンキンに冷えた遺体を外部から運び込んだというのはもっと考えられない。
 これくらいのマンションならどこかに防犯カメラがあるはずだから、スーツケースに詰め込んでいたとしても、屈強な男性でもない限り、人を運んでいたかどうかの判断はつくだろう。
 彼女の供述に破綻は見られなかった。
 飴智警部補もそこは追求しなかった。

「通報したのはあなたですか」
「どうしていいかわからないから、とりあえず石垣さんに連絡して。引きずり出して毛布で暖めてやれっていわれたんですけど、毛布なんてないから、ベッドルームからタオルケットを持ってきたんです」
 うなずきながら聞いていた石垣があとを続けた。

「ふみから連絡が来てすぐに救急へ通報して私もここへかけつけました」
「書き置きに気づきましたか」
 石垣だけが「はい」と答えた。
「よく意味がわからなかったのでふみにも見せました。そうしたら、雑誌の専属を辞めると発表した頃、SNSに投稿した物だそうで。一応、SNSで確認してみたら、同じ物のようでした。その頃からそれとなく考えていたのでしょうか……」

 そういいながら納得いかないような、悔やまれるような、残された者の心情の揺らぎが垣間見えた。
 これが事件ではないとするなら、ずっと同じ思いが頭の中を巡るのかもしれない。

「雑誌の専属モデルを辞めたということですが、夕月さんとそのことで揉めたというようなことは?」
 飴智警部補が言い終わらないうちに石垣は「それはないです」と強く断言した。
「彼女は新しい事をやりたがってましたし、自然志向の暮らしを提案する雑誌のイメージモデルをやることも決まってました。どちらかというと、先端を走っていくことに疲れていて。おしゃれな人というのはどういう人のことをいうのかと、彼女とはそんな話しをしたばかりで……新しい夕月朱莉を模索することを楽しんでいるようにも見えたんですけど……わかりません。どうしてこんなことになったのか」
 明瞭に夕月朱莉の話しをはじめたが、やはり最後には混乱で終わっていた。

「そうですか。夕月さんと最後にあったのはいつですか」
「二日前です。今日の撮影の打ち合わせを。ふみは? 会ってる?」
 近藤ふみは首を横に振った。
「夕月さんが仕事以外の方で親しくしていた人はいらっしゃるでしょうか」
 ふたりは顔を見合わせていた。石垣がうなずくとふみが答えた。
「付き合っている人がいます。手を怪我するといけないからって、よく料理をしに来るっていってました」

「そういえば……」
 と、ダイニングの煩雑なテーブルの上を思い出した。
「テーブルの上に作り置きがいっぱいありましたよね」
 わたしはほとんど自宅で料理をしないので、持って帰りたいくらいだったが、さすがにこの暑さで長時間常温で置いていたものを食べるのはよした方がよさそうだ。

 わたしがいうと、近藤ふみは「朱莉さんが作ったものではないと思います」ときっぱりといった。
「昨夜も、そのお付き合いされている方は来たんでしょうか。作り置きがタッパーに詰まったまま減っている様子がないので、作ったばかりという気がしますが」
「どうでしょう。そこまでは」
 なにも聞いてないのか近藤は首をかしげた。
 それはそうか。近藤はきのうからずっと沖縄に滞在していたのだし、昨晩、先輩が恋人と逢瀬しているとか、正直興味ないだろう。

「小柳くん」
「はい」
 飴智警部補に呼ばれ、思わず背筋を伸ばす。質問の内容がよくないと、たしなめられるのではないかと身構えた。
「佃煮海苔のことも聞いておいたら?」
「え?」
「美容にいいかもしれないよ」
 内心、「ええっー!」と大きな声を上げた。いいのだろうか。そんな無駄話。

「佃煮海苔がどうしました?」
 近藤のほうから尋ねてきたので仕方なく聞いてみる。
「佃煮海苔って、美容にいいんですか。なんか、それだけちょっと浮いているというか、食の好みと違うように思いましたので」
「ああ、それですか。美容にいいかは知らないですけど。たぶんそれはわたしが千葉の房総へ行ってきたときのお土産として買ってきたんです。あまり興味なかったみたいで、嫌がらせかと勘違いされたのかもしれないですけど、冷蔵庫入れといてっていわれたので、しまっておきました。食べていたみたいですか?」
「いえ。減ってはなさそうです。あ、別に海苔になんか小細工したとは考えてませんからね。気にしないでください」

 近藤は再び沈んだ表情になってボソッとつぶやいた。
「あ……。わたし、やっぱり疑われてるんですか」
「いえいえそんな。近藤さんにはアリバイがありそうですし、夕月さんが亡くなられた状況をこちらもしっかりと把握しているわけではありません」
「ええ、そうです」と飴智警部補が続ける。「こちらもなにかわかりましたら連絡しますので、気になることがありましたらいつでも連絡をください」

 とりあえず我々はおいとますることにした。部屋の鍵は近藤ふみが持っているし、そのあとのことは事務所がなんとかするだろう。
 玄関まで来ると飴智警部補は立ち止まった。
「どうしました?」
「これはどう思う?」
 指さしたのは壁に掛けられたオブジェのようなものだった。
「これ、見たことあります」

 少し力を入れてさわるとぐにゃっと形を変えた。
 金属でできているのだが、すごく柔らかい素材だった。銀色の1枚の板からできたシンプルな物だ。
 七夕飾りにある、折り紙に切り込みを入れてつくる投網のようで、編み目を伸ばし、自分で好きな形を作れる。それを胸の高さぐらいの場所に、ハンモックのように壁に掛けてある。握りこぶしが入るくらいの大きさだろうか。
「これに物を入れるとしたら、鍵だろうね」

 たしかに、そうだろう。玄関には作り付けの収納扉があるが、下駄箱など何か上に物が置けるような家具は置いていない。
 決められた場所に鍵を置いておくとしたら、ここしかないってくらい適切な場所だが、何も入っていなかった。
 近藤ふみは鍵がかかっていたと証言している。夕月が内側から自分でかけたか、それとも誰かが夕月の鍵を持ち出して……。

 飴智警部補のスマホが鳴った。金属音が響いているような昔ながらの呼び出し音だ。
 警報を思わせるような音で、実のところ落ち着かない。
 ただ、常に緊張感のある現場ばかりなので、緩み始めた気持ちを引き締めるためと思って密かに身を正している。
 実際、かかってくるのはいつも仕事がらみで、飴智警部補がプライベートな連絡を受け取っているところを見たことがない。

 相手は鑑識の桑田さんだった。「……ああ、ちょっと待て」とスマホを耳に当てながらリビングの方へと向かった。わたしもあとをついて行く。
 ダイニングテーブルではエセネコが寝そべっていた。
 桑田さんはテーブルの上のものをすべて持ち帰ってしまったようだ。
 夕月朱莉はテーブルもきれいに磨き上げていただろうが、冷蔵庫の中に置いてあったものが置かれていたので、跡がくっきりと残っている。
 当然ながら実態のないエセネコの毛皮ではモップのようにはならないらしい。ゴロゴロと退屈そうに行き場をなくしていた。
 幽霊の時間の過ごし方を考えてみたこともなかったが、案外と暇そうだった。

 飴智警部補はまっすぐ突き進み、キッチンの前に立ち止まった。
「黄色いミトンだな……わかった」
 電話を切ってわたしを振り返るといった。不意打ち過ぎてドキリとする。
「ビニール袋は持ってるか?」
「はいっ」
 わたしはカバンを引っかき回して、ミトンが入りそうなジッパー付きの袋を取り出した。

「佃煮海苔の瓶に黄色っぽい繊維がついていたらしい。それでここで撮影してきた写真を見たら黄色いミトンがあったからそれと照合したいんだと」
 桑田さんの現場に対する嗅覚は並ではない。
「ミトンでつかんだということでしょうか。開かないビンを開けるにしても余計に滑りそうですが」
「ほかの目的に思い当たったからこそだろ」
 どんな?と聞き返す前に袋を開けてさしだした。
 飴智警部補は手袋をはめた手でキッチンパネルに吊り下げられていたミトンを取ると、袋に入れた。
「冷蔵庫の中身をこれで取り出した人物がいるってことだよ」

 エセネコが撫でていた佃煮海苔の瓶が突破口になろうとは。
 テーブルの上に並べられていた冷蔵庫の中にあったであろうものの中で、唯一、亡くなった夕月朱莉の指紋がついていなかったのが佃煮海苔の瓶だった。
 近藤ふみの話しでは夕月がさわることなく冷蔵庫に入れたというので、佃煮海苔の瓶は夕月が直接ふれることなく取り出されたことになる。
 夕月がわざわざつかみにくいミトンをはめて物を取り出すのは考えにくい。
 やはり、誰かが自分の指紋がつくことを嫌ったということになる。

 そのほかの物では、作り置きのタッパーにとりわけ第三者の指紋がべったりとついていたという。
 これはおそらく夕月の恋人だ。
 料理を作って自分で冷蔵庫にしまったのだろう。
 防犯カメラの映像からも、夕月の部屋に出入りしたと思われる人物が前日の午後8時から11時半くらいまで滞在していたことがわかっている。
 いろいろなことを勘案するとその恋人が遺体遺棄に関わっていた可能性が高かった。

 恋人の名前は瀬尾広海。
 持ち込みの原付バイクでデリバリーのアルバイトをしているという。
 特定の店舗で雇われているわけでもなく、流しのように依頼があったら駆けつける仕事の取り方をしており、居所がつかめないので自宅で待ち伏せることにした。

 築年数も相当経っている2階建てのアパートは、そろそろサビ止めでも塗り直しておかないと崩れそうなほどに塗装が剥がれてぼろぼろだった。
 夕月朱莉のマンションまで原付バイクで10分程度といったところか。
 法定速度を守らないならもっと早く着くだろう。
 さほど離れてはいないが、まったく違う環境で生活をしていることに少々驚いた。

 帰宅したのは夜8時を過ぎたころだった。
 防犯カメラにも映っていたのと同じ大きなボックスを背負っている。
 ゴミ集積所のそばにバイクを停めたところで飴智警部補が声をかけた。
「瀬尾広海さんですか」
 フルフェイスのヘルメットを取った瀬尾は、短髪を軽く撫でつけてこちらをいぶかしそうに見た。
 目つきは鋭いが、短く刈り上げたというよりはベリーショートというほうがふさわしいほど女性的な顔立ちをしていた。

 警察手帳を見せると警戒心はそのままに「なにか?」と抑揚なくいった。
「夕月朱莉さんのことでお話しをうかがいたいのですが」
 どこかで夕月のことを聞いていたのか表情を変えることもなく小さくうなずいた。
「ここでお話を伺ってもよろしいですか? それとも?」
「え。ああ、じゃあ……」
 深い時間ともいえないが、通りから外れた静かな場所なので話し込んでいたら目立ちそうだった。
 瀬尾はヘルメットを抱えてアパートへ向かった。
 飴智警部補と顔を見合わせる。
 ついていったら203号室の鍵を開けて入っていった。
 瀬尾広海であることは間違いないようだった。

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