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思春期とエロの功罪

ボンバーヘッド

セクハラ事件の後、勢いで髪の毛をショートカットにした。
その時は、気分の変化ぐらいにしか受け止めていなかったし、内田有紀のブームだったこともあって真似したかったのだろうと思ったが、今更その出来事との関連性について振り返ると私が人生でショートカットにしたのはその時以外に無いのでそれなりに思うところはあったのだろう。

なぜ、ショートにしないかは毛量が多すぎるのと、超直毛なのでショートにすると大惨事になることをそのときに思いしった。
毎朝、寝癖と格闘するはめにもなった。
そして、性格のみならぬ髪の毛の質まで頑固なので、私の当時の技術ではどうにもならなず度々敗北しボサボサのままで通学することもあった。
中学まで習っていたエレクトーンの発表会では着た服装と頭髪のギャップは最早うけ狙いの衣装かネタにしか見えなかった。
そんな中で弾いたのは、確かドナウ川のさざ波だった覚えがある。
ヘルメットみたいな毛の女が申し訳程度にリボンつけて、それ弾いたらそれはそれはシュールだったに違いない。
実際、可笑しさに私が笑った。
髪が伸びるまでの中2の夏辺りまで「ボンバーヘッド」とからかわれることもあった。
これも、m.c.A・Tのブームによるものだが。
すごいタイミングだったし、私にとっては都合が良かった。

恋愛モラトリアム

思春期真っ只中、皆ませていきヤンキー校に恥じぬ恋愛模様もほとんど皆早熟だった。
1日に一度は「誰々と誰々が付き合ってるんだって」とか「誰々が誰々のこと好きなんだって」とか「◯◯君はモテルよね」「◯◯君は優しいんだよ」とかそんな話は耳にするだけで、蚊帳の外にいられたのはとても気楽な身分だった。

石村のセクハラにあって以降、私は恋愛についてはもう少しモラトリアムでいたかった。幸い、もともとのキャラクターも手伝ったのと、職員室で石村を堂々と公開処刑に処した様の噂も広がって、男子からも「お前は男の中の男だ」と言われるような有り様だった。石村は大体の生徒から嫌われていたので武勇伝扱いとかなったが、その立ち位置が心地よかった。

あの一件があってから、一度、怒り衝動を押さえられず、部屋の物をぶちまけたことがあったが、それを自分で片付けるシュールさを体験し、馬鹿馬鹿しくなったので、それ以上のことをすることはなかった。
無駄すぎる行動だったと我に返ってから、即座に冷めてしまった。

ヤンキー校の特殊な校風

私の通っていた中学校は特殊だったので、授業中に先輩方がチャリで廊下を通過してみたり、もれなくご機嫌に片手にラジカセを持っているので、大体XJAPANか尾崎豊の曲が、先輩方の移動と同時に鳴り響いていた。移動販売のラーメン屋のようだった。来れば音楽とともにわかる仕組みのあれである。そして音楽室では横浜銀蝿が流れているという校風で、中2のときには窓ガラスが80枚割られて全国ネットに放映された。
そのような環境だった。
そのような環境で皆が普通に笑いあり涙ありの青春ドラマを繰り広げていた。

また、先輩方のうちの誰かが私が石村を一人で公開処刑している姿をみていたようで、その勝ち気さと度胸が「面白い」と気に入られてしまい、音楽室へのお誘いを頂くこと(はめ)になった経緯がある。入ったら別世界。そこは昭和へトリップした。
世の中はTRFなどのテクノサウンドが流行る中で、堂々と現在は化石のボンタンに長ランと短ランをお召しになられた、こてこてのビーバップにインスパイアされた不良がそこにいた。もちろん、ほぼもれなくリーゼントで決めていた。
なので彼ら曰く、XJAPANも尾崎豊も「ナウい」のだった。

モテ要素とは

そして、よくみると中庭でドラムを叩き狂ってる先輩も居たりと奇妙な風景だった。もちろん曲は「紅」
ドラムを叩きすぎて大体のいつも首にコルセットを巻いていた。
そこにもれなく付いてくる、うっとり顔で佇む女の先輩方。
後々に入手した情報だが、その先輩は心臓に持病があったようだ。
そんなんあるか?ってくらい少女漫画の王子設定と被るので、すこぶるモテていたが、所謂イケメンでは無い。
これはある意味良い時代だった。
脚の早い男子がモテたりしていて、イケメンが必ずモテるわけではなかった。
秀才も密かに人気があった。
つまりは何かに秀でる男子がモテ要素の時代だったんだろう。
しかし、今にも持病の悪化のリスクを物ともしないのが青春の功名だ。カオスだった。

忌々しい第二次性徴

しかし、私の平和な学校生活は第二次性徴により崩壊した。それまで、いやその日まで私は「女」という性別を誰からも認識されてなかったように思う。
平日の学校終わりや夜、男子達とよく公園でバスケしたりしていて、ここでも女の子らしい遊びをしていない。
しかも、エレクトーンを習っていたこともなんだか恥ずかしくて誰にも言わなかった。実の兄の記憶からも抜け落ちるほど、私にはそういう印象が薄い。
なんなら男子と女子の激熱イベント夏祭りでさえ、男子連中は中坊でも一丁前に格好つけて、女子にジュースを奢るのに「お前男だからいいよな」と私は同族扱いだった。
野郎でいられた。あの日まで。

中3の体力測定の結果の用紙が返されたあの日に悲劇は起きた。
私は発育の良い方だったのだと思う。

隣の席の男子が私の結果を盗み見し、最終的には私の手から取り上げて、デリカシーなんて子宮の中に置いてきたのだろうでっかい声で「え?お前体重これしかないの?」と。
そこまでで黙らせれば良かっのだが、人の思考を読めるわけでなく、そいつが何を意図してそんなことを気にしているのか皆目見当もつかないので「そうだけど」と素直に返事をした。

「え?お前ただの巨乳だったんだ」

と言葉が飛んできてたが予期せぬ言葉に目を丸くして咄嗟に「は?」以外何も言えなかった。
すかさず、そいつとのやり取りを耳にした近くの男子が「何々?何の話してんの?」と聞いてきたのにもデカイ声で

「春子さー、こいつ、デブじゃなくてただの巨乳だった!体重◯キロしかないぜ。見ちゃった!」

と、ご丁寧にジェスチャー付きで私の体型をクラス中に広めてくれやがった。
こいつとは小学校から一緒でその言葉に全く悪意も考えも無いことはわかる。
しかし、遂に、私の平和は終わりを迎えた。女の子要素を排除して守っていた平和が。
羞恥心で頭に血が登り、言葉で説明するより先に態度が表明されてしまい、次の瞬間にはそいつの頭を思いっきりはたいていた。バチコーンと良い音が鳴る。
よっぽど、頭が空っぽだったのだろう。

ターゲット

その日を境にバカな男子から、なんならクラスも違う男子から「お前、何カップなの?」「春子巨乳なの?」と定期的に質問をされるようになった。
中には「ブラジャー見せて」とまで言うアホさえいた。
そういう奴には「だからあんたモテねんだよ」と反撃した。でも、アホにはノーダメージだ。

そして洗礼を食らった。体育の授業中に校庭で長距離を走っているときだった。校舎のベランダから迷惑な声援が飛んで来るようになった。

「春子ー!!胸揺れてるぞーーー!!」

誰かが始めると、皆がそうやっていじっていいと勘違いし始める。 
そして私は毎回、それをやらかすやつに仕返しに教室に乗り込んで飛び蹴りかハイキックをお見舞いしていた。
だけど、もう、それすら「ひゅーひゅー」と言われる有り様で無意味だった。
反応することに疲れていた。
さすがに止めてと言っても何が面白いのかわからないが、やっぱりなくならなかった。

自由になれない

それから私はブラジャーのサイズはワンサイズ下を購入し、パットは必ず抜いて少しでも胸を小さく見せる努力をした。

水泳の授業も中3では生理を理由に押し通して一度も入らなかった。
先生にも「お前ずっと生理だな」と言われ「そう。不純だから」と馬鹿の一つ覚えで貫いた。
ちなみに、泳ぐのは割かし得意な方で小学生の転から100m以上は泳いでいた。
でも、どうしても水着になりたくなかった。
更に冷やかされることは目に見えていて、自分から火に入る夏の虫になってたまるものかと執念を燃やした。
またバカな男子が「お前一度もプールの授業受けなかったな」と言ってきた。
「水着着たくないから」とハッキリ答えた。
この「水着を着たくない」は高校にまで引き継がれた。なんと道路一本挟んで隣が男子校で私の学科は女子だけのクラス(通称、女クラ)だったので、プールの授業中隣の男子校生徒がそれを覗く様子を覗いていた。一体どんな光景だ!!と突っ込みたくなるのかだが、事実である。プールの立地は男子校から丸見えだった。
そんな訳で、警戒心ばかり強くなり遊びで海やプールへもほとんど行ったことが無い。
海は好きだし、プールも好きだけど「水着になりたくない」奴が皆と行っても場が白けるだけだから何かしら理由をつけて断ることが多かった。
高校も3年生くらいになってようやく、この呪いが溶け始めたので思春期のほとんどこの体験のせいで海やプールが縁遠くなっていた。
ジャージなら目立たないので良いが、夏の体操着で走る授業はほぼ歩いて通した。
揺れないようにするためだった。

いつの間にかこうやって、授業の科目でさえからかわれない対策をすることが目的になっていた。
私は足は遅い方じゃなかったが、本気で走るのもやめた。
からかわれたくなかったから。
当時はそこまで深く考えなかったが、大人になって事の全容がわかり、それによって奪われたモノに気付いて悲しくなることがある。

悩む権利が無い

そして、女子からはこの件について同情よりむしろ嫉妬の目線の方が強く寄せられていた。
「春子ちゃんは巨乳でいいよね」と。
私がむしろ喜んでいるとでも思っているようだった。
この時も私は自分の正直な気持ちを誰にも話せなかった。
この時代は悩んで良いのは貧乳女子だけの特権だったし、正直胸いらないと言えば、貧乳女子から「私の気持ちも知らないで」とそっくりそのまま返したい言葉が攻め口が飛んでくるだった。
だから、私は私なりに困っていて悩んでいて、なんなら授業に支障を来していても、被害とは困りとは認定してもらえなかった。
巨乳には悩む権利は無いものとされていた。
だからもう、この件については黙っていることくらいしか出来ることがなくなる。
言っても意味が無いどころか、真剣に悩んでいても「嫌味」と受け取られかねなかった。

しかし中学生にして度重なる出来事で「男は女の顔と体しかみていない」が強烈にインプットされてしまったので恋愛なんて、むしろその先の結婚すら一生しないかもしれない。とこの時点で密かに既に思っていた。

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