め
つまらない日々をピックアップ!!
※不快な内容が含まれがちです
※下ネタが含まれています
【注意:人によっては不快極まりない下ネタと感じるかもしれません】 大昔のこと、ニートを残念ながら卒業して仕事をはじめた 半年後くらいでしょうか、崩壊した阿部寛さんに麒麟の田村さんをかぶせたような感じの、同じ課の同じ係の先輩がよく食事に誘ってくれるようになりました 何にでも「おそらく」って前置きをしておくに越したことはないと教えてくれた人間でした…常にメチャ腰が低い…とてつもない保身…いい人でした 横浜に出かけようと誘われました “これはデートかあ、なんか厄介な事態になりそ
わたしは小さな飲食店でアルバイトをして暮らしております 仕事の文句をXに書き殴る日もありますが、立地やお店の雰囲気などの要素からか客層は良く、これまでの仕事と比べれば平和に過ごしております (体調はマジで最低ですが、平和なことには間違いありません) 客層が良い、とは言っても変わったお客は沢山います 人間って普通が少数派の可能性ある お客なので、別に変わっててもいいんです 帰った後に「あの人、あいかわらず変わってたな…」って、それでおしまいです が、長らく頭を悩ませられ
高校時代、追っかけレベルにライブに通っていたバンドがいた。 週に1度は、下北沢だか新宿だかにいた(当時千葉在住)。 これは古参アピール(と、中年の証)になってしまうが、メジャー前のアジカンもレミオロメンもフジファブリックも小さなライブハウスで観た。 わたしの大好きなバンドもそうやって同じように手の届かないところまで行ってしまうものだと当然に思っていた。信じていた。 だけど世の中そう上手くいかないのと同じで、フジロックのルーキーにだって出演したのに、あれに出たのに、これをし
※わたしのnoteが交際していた人のエピソードばかりなのは、友達が少ない、だからです そんな数少ない友達…友達と呼んでいいのか悩む知人がいるのですが、そんな知人の彼女から、知人のアカウントで、さきほどよりLINEがバコバコ届いてる なぜこんなことになっているのか 知人(同級生、女、30半ば)とその彼女(女、40代)のゴタゴタに巻き込まれてしまった模様 わたしは年々知人のことが苦手になってきていて、たまに来るLINEもあんまり返事をしていなかった ただ先月、「彼女が免停中
交際してる相手に「わたしのどこが好き?」と聞いてみたい気持ち、程度はあれどみんなありますよね?そうでもないでしょうか? でも「わたしのどこが好き?」って聞かれたらこわいじゃないですか 加えて、わたしは己の自己肯定感の低さから「こんな自分のどこがよくて一緒にいてくれているんですか?」という問いも投げかけたくなります(自己肯定感が低いくせに、そのことに甘えたクソみたいな質問ですね) どっちがマシかと消去法で「こんな自分のどこがよくて一緒にいてくれているんですか?」の方を選び、
わたしの躁鬱、鬱がベース、ちゃんと理解している はずなのに ふつう〜軽躁〜ヤバ躁の状態がやってくると毎度そのことを忘れる、これが本当のわたくし、そうなっちゃう(アッ、冗談じゃないです…) だから余計に元気な状態から鬱に落ちていくときは本当に最悪な気分になる、絶望する 躁鬱病の人間は抗うつ剤が飲めない、危険だからだ(説明する元気がないので、検索を) ※躁鬱と判明する前は抗うつ剤をいろいろ飲みました、がっちりキマって素晴らしい世界を見たこともあります(鬱転したときの反動がすごい
高校は、普通科の中にある、1学年につき15人くらいの美大受験コースに通っていた (これに入ったのも、学校に通うことさえ嫌なわたしに「絵描くのは好きでしょ」と母親が勧めただけ) 学校自体には推薦で入れたので受験は実技だけで、たまたまそのとき軽躁状態だったので寝ないでデッサンの練習をしてた 結論、入学したと同時に嫌になってしまった、絵を描くのってなんか凄い怖いと思った あと普通に、練習のときの4倍くらい紙がデカいので塗りつぶす時間が普通に嫌だった 小さい紙に描かせてくれ!拡
【注意:読まないほうがいい家族の自死話が主、かつかなり不謹慎です】 わたしのTwitterのおすすめ、やたらと希死念慮のツイートばかりである、そのうえ最近は、家族や恋人が自死して嘆いているアカウントの方たちも混ざってきてる… (希死念慮にいいねしてしまいがちな自覚はあるので希死念慮おすすめされてしまうのは仕方ないけど…なんなんだろうね、おすすめ) みんなのTwitterのおすすめの状態、気になる GW、実家に帰りました 安心して帰ってこれるようになったのは父親が死んでか
変わらず体調がよろしくない 子ども〜若い頃あたり、強烈な頭痛や異常な生理痛、なんかわかんないけどメチャすごい腹痛、日々、どこかが痛かった 母親には「人生の半分は体調がわるいね」と言われた、日々、床に転げ回って痛え痛えというわたしを母親は心配して、よくわからない高濃度?酸素?を吸う高級な機械を買ってくれた(一応ナショナル製…) 非常に残念ながら効果は全く感じられなかった、入院中みたいに鼻の下でチューブみたいなもの巻く感じなんですが、ソレつけて床を転げ回る人間はだいぶシュールな
昔、好きな人と、わたしの好きな作家であるいしいしんじの「ぶらんこ乗り」の感想などを話し合った後、お互いに知らない街をあてもなく散歩した 知らない団地にたどり着き、中には人気のない小さな公園があった 公園にはブランコがあり、ブランコは“ギィーギィーキィー”と大きな音をあげていて、ブランコごと飛んできそうなくらいにぶんぶん漕いでる男の子がいた 男の子は団地に入ってきたわたしたちを見るなり駆け寄ってきた、障害を持っている子だと思う、年は中学生くらい見えた いきなり大きな声で「桐
このフレーズ何回言われたんだろうな 心療内科に通うようになって10年以上 はじめての心療内科ははじめてのひとり暮らしの部屋から1分の距離、何回引っ越しても病院を変えていない、だから心療内科あるあるは言えない 診察時間が1人につき大抵20分前後、長いと30分以上、したがって待ち時間がクソ長い、そんな病院にずーっと通っている 毎回思うのだが、役所など待ち時間が発生するシーンでキレているオジいますよね 病院の待ちでは、なんでみんな大人しくされてるんですか?大学病院初診なんてメチ
このごろ体調がいまひとつよくない。ねむい。過眠傾向にある。 気力もない。無気力なので、今更、気力もクソもないのだが、バイトにおいて最低限やらないといけないことも…やってませんね、掃除とか… 「やる気がまるでなくなってきたんですけど、死ぬんですかね、わたし?」などと店主に言い放ち、だまって掃除機をかける店主。寛容です。 さて、 スピッツの新曲「美しい鰭(ひれ)」、コナンの映画の主題歌だそうですね。 わたしの人生からスピッツは外せないので、MVも拝見しました。 上白石さんが”楓
日曜日のバイトを終え、今回も投票してきた。 とは言ったものの、恥ずかしい話、わたしがちゃんと投票に行くようになったのは、仕事をクビになり、ふらふらと暮らし、そのうちアルバイト生活をはじめてからである。 クビになる前の人生では、投票所のバイトを何度かやった。 投票所の職員たちを見て、わぁ〜大変そう〜って思ったことのあるひとはまずいないだろう。 でもこれが地味にキツい、始発でも間に合わないケースがあるくらい朝がはやい、そして永遠に終わらない。 投票するとき、記載台の向かいに
【イタいけど、痛い話ではない】 まず、中年がこのテーマで日記を書くことをどうか許してほしい この頃、入れ墨入れたい気持ちが上昇し続けている 2、3年に1回くらいのペースで訪れる、止まらない気持ち、胸の高鳴り 幸か不幸か今、わたしは中央線沿線に在住在勤であり、以前の暮らしより街に圧倒的に入れ墨人間がいる、わたしはバカなのですぐ、俺もやりてえってなっちゃう 幸か不幸か今、わたしは底辺と言っていいだろう、薄給のアルバイトである、現状はこの先覆らないだろう、社会で社会していない
いま、東京の夜、外を歩けばジャスミンの花の香りが何処からか、むわっと香ってくる 遠くからでもわかる濃厚な甘い匂い なんで匂うことに気づくのはいつも夜なのかな?と思っていたけど、夜に花を咲かせるかららしい 昔、やっぱりこのくらいの時期に、夜中に2人で散歩をしていた 「すごい匂いするけど、なんだろう?」と相手が言うので、ジャスミンの植っていた家で育ったわたしは「これはジャスミンの匂いだよ、絶対!」と言った 先に進むとやっぱりジャスミンがたくさん咲いていた 「すごい」と言って
【注意:幼児期の親からの暴力の話が主です。】 死ぬってことがまだわからなくて、ここからいなくなりたい、遠くに、どこかに行きたい、そう思ったのは幼稚園のあたりだった もう少し成長して、自分で死を選ぶこともできるって理解してから、死は常にわたしの頭に居座ることになった 幼稚園に入る前くらいの頃から、母親が異様なまでに教育熱心だった わたしは覚えがわるいので、いつも執拗に怒られていた 公◯式をやらされていた、進めないと殴られるので後に小学生を卒業するころには高校の数学、国語をや