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生きていればたまには、

高校時代、追っかけレベルにライブに通っていたバンドがいた。
週に1度は、下北沢だか新宿だかにいた(当時千葉在住)。

これは古参アピール(と、中年の証)になってしまうが、メジャー前のアジカンもレミオロメンもフジファブリックも小さなライブハウスで観た。
わたしの大好きなバンドもそうやって同じように手の届かないところまで行ってしまうものだと当然に思っていた。信じていた。

だけど世の中そう上手くいかないのと同じで、フジロックのルーキーにだって出演したのに、あれに出たのに、これをしたのに、みたいに色々あったけど、なかなか目に見える大きな変化がないまま、最終的には活動凍結となってしまった。
(わたしはバンド後期には音楽自体から離れてしまい、そのあたりの状況を全く知らないので何でも知ってるかのようにあまり言うべきじゃない)


つい先日、そのバンドがデビュー20周年記念にボーカルがゲストを呼ぶ形でトークイベントを行った。
メンバーが揃うわけじゃないのか…と思いながらも、高校生のあの頃のわたしのために行くことにした。

今も生きるのはつらいが、学生時代は(マジでほんとうに)毎日死のうと思っていた。生きることも集団生活も何もかもが極端に向いていなかった。
唯一の救いは音楽だった。カレンダーにつけた◯印(ライブ予定)は希望だった。

イベントは当時のバンドシーンなんかの話だったり懐かしかった。
わたしの音楽の嗜好は当時とは変わってしまっているけど、最後のミニライブも楽しめた。ドッキリみたいな感じで最後の最後はメンバーが出てきて揃って…っていうのに少し期待していた。
でも、ギターの存在が重要な曲でも出てこなかったために、やっぱりないかあ〜と思わされたら、しばらくして他のメンバーが控えめに出てきた。オイ!

ちょっと泣いてしまった。
イベントの終わりには活動再開予定の発表。

10代の時、大好きだったあのバンドが、おじさん(失礼)バントとして帰ってきて、おばさんになったわたしはまたライブに行ける。
また、下北沢シェルターやQue、251に行ったりするんだろうか。

ゲストの方が、タイトルと同じようなことを言っていたけど、わたしも全く同じことを考えていた。

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