倹約夫と散財妻。

夫と同い年の人が、夫が喋ってることをそのまま書いたのかと思う本を書いていた。お金を貯めることに恐ろしく長けており、自給自足力が圧倒的な人の話。

昔の私なら「これでお金が貯まる!少ないお金で豊かに過ごせるなんて、こんな暮らし方私もできるかなぁ!」と思っていたに違いない。


今は知っている。倹約は才能だ。


後天的に倹約する力を身につけることはできるのだけど、そもそも「倹約」なんて意識しておらず、息を吸って吐くように金が貯まる人間の横にいると、どうやったらお金が貯まるんだろうと、本を読み漁ることが、バカバカしくなってくる。

そうやってお金を貯める方法を、知ることに一生お金を突っ込んでる人間に、貯められるお金なんてないよと、優しい夫は私に、婉曲に婉曲を重ねて教えてくれた。
本質情報です。カモと呼んでください。


夫は優しい人だけど、私が目についた程度で「スタバに行こう」と言うと、すっごい渋い顔をする。そして「カフェに行きたいなら、探すから待って」と言う。

その度に、スタバに親でも殺されたか?と思うほどの苦虫噛み潰しフェイスで、美味しくてゆっくりできる、チェーン店でないカフェをネットから探し出すから、いつも笑ってしまう。


夫はスタバの味が嫌いなわけじゃない。
ブランド力のことを「店の家賃と人件費」と思っているだけ。
だから、味と適正な人件費以上の部分までなんで俺が負担しなきゃならないんだ、それなら俺が作ると思っているフシがある。


実際、お出掛けのときは、ちょっといいティーバッグで作った紅茶を、スタバのボトルに入れて、家から持っていくことが多い。

目に留まったカフェにふらっと入るなんて、私が「行ってみようよ」と言わない限り、有り得ない。そういえばないね。今書いててびっくりした。ないわ、ほんとにない。

それぐらい、夫はお金を出すか出さないかの判断を、シビアにシビアに繰り返している。キャラにブレが見られない。


「衝動買い」という単語と無縁な夫曰く、「1ヶ月経っても欲しければ、買うことを検討してもいい」とのこと。


買えば????それはもう買えばいいんじゃないかな????1ヶ月って、服だったらちょっと季節が移ろってるじゃん!しかも1ヶ月欲しかったら買うんじゃなくて、買うことを「検討してもいい」ってなんだよそのスピード感で生きてたらなんも買えずに死ぬじゃん!!

と、まくし立てたけど、「1ヶ月経って検討して欲しくなくなったんなら、その程度の気持ちってことでしょ」と切り捨てられた。


夫の弟は「俺も衝動買いはしないけど、1週間経っても欲しかったら買うかな〜」と言っていた。

だよね!!買うか迷うのは、一晩でも長いと思うほどの思考力のなさで、私は衝動買いと共に生きていたから、義弟のバランス感覚が一番いいなぁと思った。

買う機を待ちすぎるより、さっさと買ってしまって、失敗したとしても、「あー、これは違うんだ」って早く知れるし、切り替えて次探す方が良くない?と義弟は付け加えていた。


私もそれは好きな考え方だ。私の場合は買い物に失敗しても気にしないどころか、そもそも失敗とも思ってない。SDGsにボコボコにされてもおかしくない精神性だけで生きている。


義弟の話を夫は、またも苦い顔で聞いていた。言葉にしなかったけど、あれは「共感はしかねる」の顔だった。

言ってることは分かるけど、俺の性格には合わないな〜の顔。埋まらない分断の溝を目の前で見てしまった。そう、正解はない。性格があるだけ。



私が倹約を才能だと思うのは、倹約が呼吸と同じくらいの自然さを持つ人は、「お金を使う」ことに直面するたび沸き起こる感情が、普通の人より強い。これなんて言ったらいいのか分からないけど、とにかく、「強い」。


まず嫌悪の顔。スタバにあんな憎々しい顔をするほど「ここで金を使うのは嫌だ」と思う気持ち。強い拒否反応。

金持ちはケチだというけど、ケチになろうとしてるのではなくて、衝動買いや、本当に欲しいか分からない段階でお金を払うことへの「マジで嫌だ」という気持ちが普通の人より本当に強い。

目の当たりにしたら一瞬で「金持ちはケチだ」の意味がわかる。あの顔を一度見てくれるだけでいい。

夫の辞書に衝動買いなんてものは無く、あるのは「比較、検討、諦める」の3つ。買わない理由をメインで探してない?と思うときさえある。

迷って迷ってどっちも買う私。
迷って迷ってどっちも買わない夫。
その様を見る度、お互いにビックリしている。

自販機でジュースでも買おうものなら、家から飲み物を持ってこなかったことをずっっっっと悔いている。その悔い方が後天的に身に着けられる感情の湧き方じゃない。

自販機で飲み物を買うことを「もったいない」と思うに留まらず、「こんなことのためにおれはお金を持っているんじゃない、自販機に金突っ込むぐらいなら、カラッカラの喉で家に帰ったほうが絶対にマシ!!!」という強い強い気持ちが、心から沸いていて、自販機への出費を140円を超える熱量で悲しんでいる。

私は今からものすごく非道なことをしようとしているのかな、と思って自販機でジュースを買うことを何回かやめた。

「それ本当にほしいの?ちょっと歩いたら美味しい飲み物があるカフェあるよ、今買わなくてもいいんじゃない、そっちに行こうよ」

と、やんわり伝えてくる。優しい物言いなのに、表情には有無を言わさぬ迫力と、若干の嫌悪が滲んでいる。怖いよ。ごめんて。

「それだけはやめてくれ」みたいな顔を、自販機を使おうとする度に見せられたらね、配偶者へのそんな苦しめ方があんのかよと思いながら、財布を仕舞うしかない。仕舞ったよ。ごめんね。帰って水でも飲もうね。

私は出費に対して、負の感情があんまり湧かないので、買い物の成功と失敗に、一喜百憂してる夫を見ていると面白い。

義母に「ケチで面倒くさいと思わない?」って言われて、「面白いなぁとは思ってます」と言ったら笑っていた。義父こそまさに、夫の倹約魂の根源だからだろう。夫とそっくり。いや、夫がそっくりなのである。


夫の倹約ぶり、私の散財ぶりは、たぶんすごく両極端。大喧嘩はいつもお金の使い方のことだけど、相手への好意のみで妥協点を見つけている。大体は私が論破されて終わるけれど。好意と妥協がなかったら戦争だ。

倹約は才能。才能ある人といるのだから、私は今日も文句を言いながら、結局はそれに全力で乗っかっている。

不憫な旦那さんに全額寄付します。