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他人の体験を享受するだけの人生

YouTubeやTikTokなどの動画投稿サイトや、Twitterや InstagramなどのSNSで他人の人生が簡単に覗き見れる時代。

コンビニ飯や質素なご飯のお供に豪華な食事や、大食いをするYouTuberの動画を見る日々。
そして、他人が食べているのを見て自分も食べたつもり(欲求を満たしたつもり)。

または、YouTuberが何か自分が欲しいものを買って、レビューしている動画を見ては自分も買ったつもり。
ゲーム実況者がゲームをしているのを見ては自分もプレイしたつもり。

果ては、カップルチャンネルを見ては自分も恋愛したつもり。
(AVなどの他人の性行為を見て欲求を満たそうとするのと本質的には同じだと思う)

こうして、食欲や物欲、性欲を満たしていく。

ネットが当たり前に普及し、日々多忙な現代において、他人の体験を享受するだけで満足してしまっている人は多いのではと思う。

とは言うものの、このことは悪いことなどではないだろう。
お金や時間を使わずに欲求を満たせるなら結構ではないか。
他人が楽しんでいるのを見て自分も楽しい気持ちになる。
日々の退屈な生活に彩りを与えてくれる。

そう、大勢の人にとって日々は退屈で、苦しくて、辛くて、満たしたい欲求はたくさんあるのにそんなお金も時間も、精神的余裕もない。
だったら他人の体験を享受することが中心になってもしょうがないのではないか。

インターネット、YouTubeやSNSは、学校や仕事で忙しくて、精神を摩耗している現代人に許された数少ないオアシスなのかもしれない。

こうして自分では何もせずに生きていく。やりたいことはあるけど実行しない。できない。
このことが良いのか悪いのかは、他にも数多くの問題を考慮しなければわからないし、極端なことを言っているのかもしれない。
(そもそも良い悪いの問題なのかもわからない)

しかし、そうした他人の人生を享受して生きていく自分の人生に少し疑問を抱いたのは事実である。

まぁ、つまりは、お金と時間が山ほど欲しいだけ、というわけ。

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