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「世界史替え歌を読む」第1回 「ちがう!!!ドイツ版」から考える歴史の視座part2

前回に引き続き、「ちがう!!!ドイツ版」を楽曲分析します。

統一以前~「ドイツ人」概念の歴史性~

世界史用語「ドイツ統一」は2種類の出来事を指す。
①1871年のドイツ(第二)帝国成立
②1990年の「東西ドイツ統一」
今回の替え歌は②の内容だが、まずは①の「ドイツ統一」からドイツの民族主義の背景を探っていきたい。
そもそも、①の「ドイツ統一」以前、ドイツという単一国家は存在しなかった。というのも、1648年のウェストファリア条約によって領邦君主のほぼ完全な主権が認められたことで現在のドイツ一帯には主権国家が乱立ししていた。これらの国々を北ドイツのプロイセン王国が統一したことでドイツ(第二)帝国が成立した。その一方で産業革命を興したイギリスや市民革命を達成し、さらには市民革命を達成したフランスにはナポレオン戦争で敗北したこの「分裂と後進性」という経緯がドイツの民族主義を特異なものとした。それが「ドイツ民族」の一体性という概念である。これはフランス等の、市民革命によって自由を勝ち取った「個人」が民主主義によって国家を運営する中で、「自由、平等、博愛」を尊ぶ「フランス国民」という概念を得た様なナショナリズムとは異なる。ドイツの民族主義とは、文化や歴史観を共有する民衆が一体となる動きである。そして、単一の「ドイツ民族」という現代の神話を強化するためにグリム兄弟の「グリム童話」編纂の様な民俗学が発展した。しかし、このような「民族の一体性」を打ち出すドイツの民族主義には欠点もあった。それが、同じ文化、歴史を持たない民族、例えばユダヤ人やロマ族(ジプシー)には民族主義が適応されず、彼らは国民国家から疎外される、というものである。その結果、ナチス政権下で彼らは「民族主義」神話にもとで迫害を受け、その多くが殺害されることとなった。
このように、「民族の一体性」に裏打ちされた民族主義には問題があるが、それは後々また触れるとして、まずは東西ドイツ統一における民族主義を考えながら、替え歌の分析をしたい。

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