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結局はただ浮いていたいだけ

SUP、スタンドアップパドルボードを始めて数年経つ。

大昔、葉山の森戸大明神近くで1人ゆったりとSUPを漕いでる人を見かけた。その姿をすごく羨ましく思ったのが初SUP認識だ。そこから5年以上たってからやるきっかけを得、思わず飛びついた。

でも羨ましく思った人の姿と現実は大違いで、毎回結構な荷物で移動し、あせあせとした感じでやっている。ただ、水上に浮き、目の前に広がるのが海や川や湖だけだったりするあの感じは最高に気持ち良く、超絶飽きっぽい自分でもまーまー続いてる。

森戸大明神近くで、あのゆったりとSUPをしていた人は、SUPが日常にある気がする。わざわざと言うよりはふらっとSUPができる人なのだろう。

サーフィン同様、海の近くに住み、ボードもパドルも所有し、経験を積んだからこそ単独で海に浮けるのだ。

今年の夏、熱海でSUPをした。現場の詳細をよく把握せずに予約したのだが、乗ったタクシーの運転手さんは行き先が「プライベートビーチ」だと繰り返し言うので更によく分からなくなった。

「これ以上車は先に行けない」とタクシーが止まった所から坂をそれなりに下った先にあったのはホテルの有料エリアで、プールやバーベキュースペース、レストランなどがあった。そして運転手さんが言っていたプライベートビーチも。

SUPコースの予約日は一日中、施設は使えるようになっていた(別途施設使用料は発生するのだが)。海水浴シーズンから若干外れていたからか、時間帯だからか、海で遊ぶ人は無く、浜辺の奥では乗馬用のポニーよりは大きいが、小ぶりな馬三頭が(後で与那国馬と判明)水を浴びたり、浜辺に転がったりしていた。

一緒に来ていた妹が「水着着てないけど濡れていい格好だから海入ってくる」とズンズン海に向かった。
海はただただ見ているだけでもいいのだが、SUPの時間まで特にやることも無いので、私も妹に続く。

2人共すでに若くはないのであっちと向こうでプライベートビーチにはしゃぐことなく、波に押されたり、潜ったりする。

好きなように水と戯れるのはかなり久しぶりだと気付く。

日常でそうそう無いことだ。特に日本では。
プールに行っても人にぶつからないように気を使うし、スポーツクラブでもひたすら泳ぐか歩くかしないとならない。

SUPでも海に何度も落ち続けたりすると段々ボードにつかまり、ただただ浮いていたくなる。でも目的は"スタンドアップ"だから、ボードに上がれと急かされることに。

好きなように水と戯れるているとやっと思い出す。自分はただただ水に浮き、漂っているのが好きなことを。
そして妹はひたすら潜ることが好きだった子供の頃を思い出したらしい。

その後のSUPは水の澄んだ所に移動したり、洞窟を通ったりと短くも楽しい経験になった。

でもその日、一番記憶に残ったのは、自由に水と戯れ、浮くあの心地良さ、好きものに再会できた幸せな感覚となったのだった。

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