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雑感:官僚側のカウンターパンチ?~財務省現役事務次官の寄稿~

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで。

 最近なにかと話題になっているのが財務省の事務方トップである矢野康治事務次官が「文藝春秋」11月号に論文を寄稿したという事です。(参照: https://bunshun.jp/articles/-/49082 )官僚組織のトップがこうして論考を出すというのは、中身の良し悪しは一旦横に置いていくとしても政治に喧嘩をふっかけているようなものでとても驚きました。今回は、これをテーマに書いてみたいと思います。

1.政治家と公務員の関係性

 上記画像は、今回話題となった矢野氏が事務次官を務めている財務省の本省の組織図です。黒線で囲った内部がいわゆる国家公務員と呼ばれる人達が担うポジションで、一般的に事務官(厚労省みたいに専門性な知見が問われる政策に関するポジションで力を発揮する専門職の公務員は技官と呼ばれます)と呼ばれています。

 日本という国は民主主義という手法で統治されていると言われています。一口に民主主義と言っても色んな捉え方が存在すると思いますが、一番分かりやすいと思われるのは自分達の事は自分達で決めるという手法ですが、人口の全てが直接統治に関わるのは難しいため、代表者(政治家)を選出(選挙)してその代表者が統治をしていきます。だけど、代表者だけで支配をしていくのは現実的に不可能なため、選出された代表者の監視の下で支配の業務を担う行政職員が登場します。この人たちを一般的に公務員と呼びます。(参照: 『行政学講義』金井 利之 (著) pp28~29)実際政治家という呼ばれる人達は法令上特別職公務員と呼ばれ、日本国憲法15条2項で全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。と規定されています。それ即ち、政治家と呼ばれる人達が政策という言葉を介して日本国全体にとってプラスになるやり方に対しての実働部隊として公務員が存在するという図式が生まれます。

2.政治と行政の関係性を変えた?政治主導

 私自身、幼少期から政治をはじめとした社会の変化をウオッチしたりするのが好きな物好きな人間だったため、そういった資料を通じて見ていた昔の日本は城山三郎の小説『官僚たちの夏』の中で政治家と喧々諤々やり合う姿やハマコーの愛称で晩年は親しまれた故.浜田幸一氏のような気骨のある政治家が政党内はもとより官僚とも喧々諤々やり合っていたというイメージを持っています。(下記動画)

 しかし、その過程においては政治と官僚(政と官)の癒着体質等、色んな事柄が問題視されてきました。その政治と官僚の関係性を大きく変化をさせる考え方として登場したのが政治主導またの名を官邸主導という考え方です。政治学者御厨貴氏は、著書で官邸主導の始まりであった小泉純一郎政権と第一次安倍晋三政権の違いとして、小泉政権における官邸主導は小泉氏が主導して派手に進めて官僚が文句を言ったらクビにするという活劇モノの話である一方、第一次安倍政権では総理をサポートする補佐官を多数入れてその補佐官に政治家を起用したため、実際に法案を立案していく各省の大臣が冷ややかに見られてしまい破綻してしまったと指摘しています。(参照:『安倍政権は本当に強いのか』pp42~43)その反省を踏まえて安倍氏は民主党(当時)から自民党へ政権交代した後の第2次政権で発揮していきます。その代表例として言われているのは内閣人事局です。

 内閣官房のホームページによると、内閣人事局は、国家公務員の人事管理に関する戦略的中枢機能を担う組織として、関連する制度の企画立案、方針決定、運用を一体的に担っており、具体的には以下の3つの分野に関する取組を強力に推進しているとのことです。

(1)国家公務員の人事行政

(2)国の行政組織

(3)幹部職員人事の一元管理

 中でも、(3)幹部職員人事の一元管理については事実上各省の幹部職の人事は内閣(官邸)に首根っこをつかまれている状態なので、もしかすると今回の矢野康治事務次官が文芸春秋に寄稿したというのも一種の官邸主導政治へのカウンターパンチとしてかました要素があるのではないか?と私は捉えています。

3.寄稿の内容に想う事

 さて、今回の矢野次官の寄稿の一番のミソはここにあると思います。(引用: https://bunshun.jp/articles/-/49082 )

「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。

  数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」

「今の日本の状況を喩えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです。氷山(債務)はすでに巨大なのに、この山をさらに大きくしながら航海を続けているのです。タイタニック号は衝突直前まで氷山の存在に気づきませんでしたが、日本は債務の山の存在にはずいぶん前から気づいています。ただ、霧に包まれているせいで、いつ目の前に現れるかがわからない。そのため衝突を回避しようとする緊張感が緩んでいるのです」

 10月末には総選挙も予定されており、各政党は、まるで古代ローマ時代の「パンとサーカス」かのように大盤振る舞いを競う。だが、日本の財政赤字はバブル崩壊後、悪化の一途をたどり、「一般政府債務残高/GDP」は256.2%と、第二次大戦直後の状態を超えて過去最悪。他のどの先進国よりも劣悪な状態にある(ちなみにドイツは68.9%、英国は103.7%、米国は127.1%)。

 かいつまんで要約すると、GDPに対しての政府債務残高(借金)の比率が約2.5倍(256.2%)の現状において、 数十兆円もの大規模な経済対策を行うとする一方で、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されているというのはどないやなん?国庫(国の通帳みたいなもの)に無尽蔵なお金があるわけではないんやぞという事です。

 私自身は経済学者ではないため、この考えが正しいかどうかは正直分かりません。ただ、この考え方を検証する手段としてこういう見方をしてみるのはどうだろうか?とおもえる要素はいくつか私なりに理解できた部分があるので、それを述べてみたいと思います。

3-1.国債の持ち主は誰?

 一般的に国の借金は国債という言葉を使って表現されます。さて、その国債とやらはだれが持っているのでしょうか?

 上記の図は日本銀行が2021年9月17日に発表した2021年第2四半期の資金循環(速報)のなかにある国債の保有者別の内訳と前年同月比の増減を現した図になります。ここでいう国債には「国庫短期証券」「国債・財投債」の合計であり、一般政府(中央政府)のほか、公的金融機関(財政融資資金)の発行分を含んでいます。この図からも見て取れるように、国債のほとんどを国内で保有しているため、外国の経済(為替)に左右されることがほとんどありません。ただし中央銀行(日本銀行)で国債の4割を保有しているという偏った状態は、金融緩和政策の下では最も安定した買い手として便利なのかもしれない反面、リスクもそれなりにあるんじゃないのかなぁ?というのが素人ながらに想う私の見立てです。

3-2.消費税と経済成長

 法政大学教授で経済学者の小黒一正氏は、著書で財政赤字の体質を脱却するためには税収を増やすか歳出を減らすかのどちらかで、税収を増やす手法として消費税を挙げています。実際、著書内ではアトランタ連邦準備銀行上級政策顧問のアントン・ブラウン氏と南カリフォルニア大学のダグラス・ジョインズ教授が行った試算を引用して、社会保障費の抑制が進まない状態で財政安定化を目指す場合消費税率は33%程の割合が必要になると述べたり、慶應義塾大学教授で経済学者の小林慶一郎氏との共著内で2050年ごろの消費税率を約31%と推計しています。(参照:『財政危機の深層 増税・年金・赤字国債を問う』pp113~114)確かに消費税一辺倒でなんとかしようと考えるのであればそういう見方もできると思います。

 しかし、度合いに違いはあるにせよ経済は成長をします。ただし小黒氏が著書内で指摘しているように、少子高齢社会において高度経済成長期並みの投資を望むのは難しいかもしれません。(参照:『財政危機の深層 増税・年金・赤字国債を問う』pp62~63)だけど、産業の進歩は時代のニーズに比例します。ニーズに合った投資を国が後押しすることは、国債保有者のほとんどが国内で帰結している日本の強みではないか?と私は考えます。

4.終わりに

 今回の矢野次官の寄稿は、財務省の国家公務員として長らく勤めてきた矜持からくる選挙目当てで金を配る政治に見えてしまう事へ一石を投じたという側面が大きい一方で、元来多くの経済学者やエコノミストから指摘されている緊縮財政の考え方を見せているという見方もできなくはないなと思います。

 この寄稿に対して、岸田文雄首相はフジテレビ番組で「議論した上で意思疎通を図り、政府・与党一体となって政策を実行していく。いったん方向が決まったら協力してもらわなければならない」とくぎを刺し・自民党の高市早苗政調会長はNHK番組で「大変失礼な言い方だ。基礎的な財政収支にこだわって、困っている人を助けないのはばかげた話だ」と語ったとのことです。また、公明党の山口那津男代表は党本部で記者団に「政治は国民の生活や仕事の実情、要望、声を受け止めて合意をつくり出す立場にある。役割は極めて重要だ」と指摘。財源の制約などを「考慮しながらわれわれも行っている」と反論したとの事です。(参照: https://www.jiji.com/jc/article?k=2021101000191&g=pol )恐らくは自身のポジションを賭してでも伝えたかったという想いに対して、今後政府がどう向き合っていくのか?は政治と官僚のパワーバランスを考える上で非常に興味深いと私は思います。

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