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礼拝中は睡魔に完敗していた

僕は母親のお腹の中にいるときから今に至るまで教会に通い続けている。洗礼を受けたのは小学2年生の終わり頃。最近は礼拝中、賛美のときにギターを弾いてたりもする。

ここまで聞くと、お手本のようなイケてるクリスチャンに思われるかもしれない。いわゆる意識高い系ってやつ。引け目を感じたり、近寄り難いイメージを持ったりする人もいるんじゃないかな。

でも実際は、優れたクリスチャンライフを歩んできたわけじゃない。尊敬されるようなことも対してしてきてない。代々クリスチャンの家系に育ったわけでもない。

僕の両親はクリスチャンだけど、2人とも神様を信じたのは成人してから。今でも聖書読んでて分からないこととかたくさんあるはず。爺ちゃん婆ちゃんとか、叔父さんとか、従兄弟とかはまったくイエス・キリストを信じていない。

僕は幼い頃から教会に通っていたおかげで、教会が大好きだ。それでも中学生の頃は礼拝が退屈で、牧師先生が壇上で話してるときはいつも寝ていた(母親がいつも叩き起してくるまでがセット。ちなみに今でも時々睡魔に負けている。神様ごめん)。そもそも、親が半ば無理やり教会に連れて行っていなければ、僕は礼拝をサボっていたはずだ。だって毎週寝てるんだもん。そんな奴が自分から行くわけないでしょ。

中学生は多感な時期。悩みも色々あった。神様ほんとに僕を愛してくれてるのかなって思うことばっかりだった。自分はいてもいなくても対して変わらないんじゃないかって思うこともたくさんあった。でも、その時期を通っても今までずっと教会に通えているのは親のおかげだと思う。教会に、話しかけてくれるお兄さんや友達がいたことも大きかったと思う。

こんな感じで弱さばっかりの僕だけど、今はこの人生歩めることに幸せを感じてる。今の僕があるのは支えてくれる存在がたくさんいるから。

今後は、僕が人生をどのようにしてここまで歩んできたのか、どんな存在に支えられてきたのか、少し詳しく記していきたいなって思ってる。ひとつひとつが長くなりそうだから、何回かに分けてシリーズ化すると思う。暇なとき、気が向いたときに読んでもらえると嬉しいな。


うめ

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