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Movie review 真珠のボタン

真珠のボタン

全長4300キロに及ぶチリの長い国土は太平洋に臨んでいる。その海の起源はビッグバンのはるか昔まで遡る。そして海は人類の歴史をも記憶している。チリ、西パタゴニアの海底でボタンが発見された。--そのボタンはピノチェト政権により政治犯として殺された人々や、祖国と自由を奪われたパタゴニアの先住民の声を我々に伝える。火山や山脈、氷河など、チリの超自然的ともいえる絶景の中で流されてきた多くの血、その歴史を、海の底のボタンがつまびらかにしていく。

以前観た、「光のノスタルジア」と同じく、チリが舞台。美しい映像美と、残酷な歴史の対比で心が乱される映画でした。

ヨーロッパからの入植者による、先住民の虐殺。そして、独裁政権による政治犯の虐殺。

どちらも遠い世界、遠い歴史の話であり、「今の世界、今の自分は大丈夫だよ」という傍観者的な気持ちも大いにあります。

しかし、「歴史の罪は、今を生きる自分も責任を負っている」というような言葉が出てきて、はっとしました。

「誰かを野蛮だと見下すこと」「思想の違う人を受け入れないこと」は、今の自分にもある感情で、それが大きく発露するかどうかの違いではないかと。

最近の「医療関係者の子供を保育園が受け入れない問題」。理屈で考えると、差別的なことはやめようなのですが、いざ仮に親や保育園の立場ならどうすべきか悩みます。

「観光地が来ないでと言っている問題」も、単に「自粛だから行くな!」と単純化していいものか。そこには、いろんな当事者のいろんな意見があるのではないか…など。

世間一般の意見をぼんやりと受け入れるのではなく、今の自分を当事者として、物事を考えることを大切にしたいなと思っています。

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