和敬清閑、 一煎の温もりを心の温もりに 【小笠原流煎茶道五代家元】小笠原秀道氏インタビュー
取材・文/『和華』編集部 写真提供:小笠原秀道
日々インターネットで膨大な情報にふれ、慌ただしい現代社会において、礼儀作法を通じて心のゆとりを伝える小笠原流煎茶道は、日本を始め、世界中で多くの門下生とともにもてなしの心を通して日本文化を伝えている。五代家元・小笠原秀道氏に小笠原流煎茶道の理念、そして中国での交流などお話をうかがった。
特別インタビュー: 小笠原 秀道(おがさわら しゅうどう)小笠原流は建久元年(1190 年)、小笠原流の遠祖である遠光氏が鎌倉幕府の初代将軍源頼朝に使え、公達の誕生儀式を行って以来、その礼儀作法を今日に伝える。芦屋市を拠点に全国に8総支部、9地区 63 支部、南カリフォルニア、中国の北京・上海・杭州に支部を有し、平成
3年に「財団法人煎茶道小笠原流瑞峰庵」を設立、平成 21 年 12 月にはロサンゼルス総領事館公邸での「天皇誕生祝賀献茶式」において茶道の家元として初めて、海外で天皇皇后両陛下の写真の前に玉露茶を献じる。平成 22 年4月旭日双光章受章。平成 30 年 4 月一般社団法人全日本煎茶道連盟副理事長就任。
▲小笠原流煎茶道の雅なお茶席
Q 小笠原流について簡単に教えていだけますか。
A 小笠原流は鎌倉幕府の初代将軍源頼朝に仕えた遠祖遠光氏が公達の誕生儀式を行って以来、その礼儀作法を今日に伝えています。もともと弓道、馬術、礼儀作法という大きな三つの流れがありました。足利時代の末期には伊勢家の掌っていた内向の礼法をも同時に包括してきました。三蓋菱定紋の由来は宗祖遠光が礼王の位を受け王の字を結んだものです。江戸時代に入る頃には、小笠原流といえば礼儀作法の代表語のようになるなど、一切の他流の礼法を支配して、今日に及んでいるといわれてます。
昔の宮中の礼儀作法は非常に厳しく、それが庶民の中に浸透していったのですが、その流れを汲むのが私どもの小笠原流です。初代唐津藩、最後の城主が小笠原流煎茶道を作り上げ、世の平安を維持していこうというのが始まりでした。明治末期には小倉唐津城の城主が初代と一緒に小笠原流を確立しました。
▲小笠原流の煎茶点前
Q 日本の煎茶道と抹茶道に共通する精神とは何でしょうか。
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