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『本山へ行く!』其の十五 本法寺

この企画は、50以上ある京都の仏教諸宗派本山をS木くんと一緒に参拝し、それぞれ興味のあるネタを探して、S木くんがInstagramに、わたくしF倉がnoteに、同時にネタをアップするInstagram&note連動企画です。
そして、専属カメラウーマンT辺さんが帯同してくれて、すばらしい写真を撮影してくれています。

今回は京都市上京区にある日蓮宗本山、本法寺ほんぽうじさんへ行ってきました。
豊臣秀吉の聚楽第建設計画のため、堀川寺ノ内に寺地移転を余儀なくされた日蓮宗本山は多く、室町時代後期に隆盛を極め”二十一ヵ寺本山”と言われた本法寺さんと並んで、妙顕寺さんや妙覚寺さんなどが伽藍がらんを構えています。
本法寺さんの伽藍は、天明8年(1788)に起こった大火で経蔵と宝蔵を残して烏有に帰し、紀州徳川家の援助のもと本堂は文化3年(1806)に再建、角柱を基調とする少し珍しい御堂だと思います。
他の建物も順次再建を果たし、開山堂・客殿・方丈・仁王門・唐門・多宝塔・庫裡・書院・鐘堂を伽藍に配し、現存します。

今回気になったのは、ここ。そうです、虹梁!

本堂向拝虹梁
鐘楼虹梁

……………。
の一部、”絵様えよう”!!!

本堂向拝虹梁の絵様
鐘楼虹梁の絵様
開山堂虹梁の絵様
摩利支尊天堂虹梁の絵様

実は、「いつ取り上げようか?」と思っていました。

この絵様は、寺社建築の年代判定に大変重要な部分なんです。
まず、このクルクルした彫刻は「うず」と呼ばれ、柱に虹梁を渡すために少し細くする「袖切そできり」が装飾化されたものです。


本堂虹梁の袖切

「本堂虹梁の袖切」の写真を見ていただくと、虹梁が柱にかかるために非常にシンプルな切り欠きが見て取れます。この袖切から絵様は発展していきました。

「渦」はだいたい室町時代後期以降出現し、当初は線も細く、彫も浅いといった特徴があります。形状は、時代が下るにつれて丸形から木瓜形や楕円形に変化します。
若葉彫刻は17C中頃までは渦にくっついていましたが、少しずつ離れていき、18C末以降は離れた若葉に渦や芽が付随するように彫られ、より加飾性の高い彫刻となりました。
また、18C中頃から波濤・雲・植物など、写実的な彫刻で表す絵様が出現してきて、その境目が宝暦年間(1751-64)あたりと言われています。
細部でいうと、渦彫刻の断面がかまぼこ型であったり、凹型であったりという特徴も、年代判定の要素の一つに挙げることができます。

禅林寺阿弥陀堂(1597〔慶長2〕年)向拝虹梁の絵様

禅林寺さんの絵様は、線が細くて浅く、渦も丸型で、葉もくっついていますね。

東本願寺御影堂(1895〔明治28〕年)虹梁
東本願寺御影堂(1895〔明治28〕年)虹梁の絵様

東本願寺さんは線が太くて深く、楕円型に近いですね。

ただし!
絵様だけで年代判定が可能かというとそういう訳ではなく、文献や史料、棟札の墨書、斗組などに使用された技法、材の風食など、複合的に判断しないといけません。虹梁が改変された場合もありますし。

ちなみに、本法寺さんに近隣する妙顕寺さんにも『本山へ行く!』の取材をしていて、その時の記事は下のバナーからご覧ください。

若林工芸舎 F倉


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