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『本山へ行く!』其の十四 大徳寺 

この企画は、50以上ある京都の仏教諸宗派本山をS木くんと一緒に参拝し、それぞれ興味のあるネタを探して、S木くんがInstagramに、わたくしF倉がnoteに、同時にネタをアップするInstagram&note連動企画です。
そして、専属カメラウーマンT辺さんが帯同してくれて、すばらしい写真を撮影してくれています。

今回の『本山へ行く!』で訪れたのは、京都市北区にある大徳寺さん。

大徳寺さんは鎌倉時代末期正和4年(1315)に大燈国師・宗峰妙超禅師(しゅうほうみょうちょうぜんじ)によって開かれた臨済宗大徳寺派の大本山です。

今回取り上げるネタは”門”。門にも構造や形状、用途、方位によってさまざまな名称が付きます。臨済宗や曹洞宗など禅宗の本山には「三門」があり、よく三門とは「三解脱門(さんげだつもん)」の略で…云々という説明がありますが、どこでも記載していることなのでここでは省略。

総門

大徳寺さんには便利なことに駐車場があり、2時間500円という格安料金で駐車することができます。駐車場に車を停め、まず最初に目にするのが「総門」。この門は、二本の大きな角柱が立派で、両脇に塀を備えた「棟門(むねもん)」という形状の門です。

勅使門

総門を潜り抜けると、見えてきました「勅使門(ちょくしもん)」。一般的には、天皇や上皇から派遣された使者が通過する専用の門のことを指して、普段は開いていません。

三門

さらに、勅使門に正対すると、その背後にはひときわ大きな三門が見られます。大徳寺さんの三門は柱と柱の間が5つある「五間(ごけん)」、五間ある真ん中三間には扉を備えた「三戸(さんこ)」、という「五間三戸」様式の門で、さらに下層と上層の間に屋根〈庇(ひさし)〉が入る「重層門〈二重門〉」という構造を持つ三門です。千利休が切腹するきっかけとなった件(くだん)の門ですね。ちなみに、下層と上層の間に屋根〈庇〉が入らず、縁と欄干などで上下層の間をつなぐ二重構造の門を「楼門(ろうもん)」と呼びます。

山廊

二重門の両脇にはこのような小さな建物が設置されることが多く、「この建物の名称ってなんなんやろ?」というのが以前からの疑問で、ようやく調べることにしました。「山廊(さんろう)」といい、二重門の上層に上がる階段のために設けられた部屋で、ここで靴を脱いで上層に上がります。


唐門

大徳寺さんには、通常は見ることができない「唐門」という方丈に続く門もあり、緻密な彫刻に彩色が施された立派な門で、軒先には弓なりの唐破風を持つ格式高い門です。現在受講している京都市文化財マネージャー講座の現地研修で特別に拝見することができましたが、この時は撮影禁止でした。しかし、なんと今回の特別公開では撮影してもいいとのこと。お言葉に甘えて撮影してきました!

大徳寺さんの門にはいろいろな由縁があります。勅使門は御所の南門であった陽明門を譲り受けたものですし、方丈へ続く唐門は聚楽第の遺構といわれ、この場所にあった明智門が明治時代に南禅寺金地院に売却されたため、三門横から現在地に移築されたという経歴を持ちます。大徳寺さんの唐門は「桃山三唐門」として、西本願寺と豊国神社の唐門と並び賞される非常に見ごたえのある門です。そして三門には千利休像が設置されたことで豊臣秀吉の怒りを買い、利休切腹のきっかけとなったことは有名な話。大徳寺さんのそれぞれの門にはドラマがあって、見ているだけでいろいろな思いが湧き出てくるすばらしい門です。


若林工芸舎 F倉


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