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Last Love Letter

今年もまた、ひとつ、としをとり。

きっともう十数年、欠かさず「誕生日おめでとう」を言ってくれていた親友はいま都会の片隅で押し潰されていて、
もう三年もその言葉を聞いていない。
誕生日についてわたしが考えるのはいつもそのことだ。

三年前は、来るべきものが来なかったので、呆気にとられた気分だった。まさかそんな、狐につままれたようなとはこのことか。
二年前は、期待しないように必死で。
去年は、確か。もしかしたら、この日なら。一縷の望みを懸けるならこの日しかない。そう、思っていた。

毎年毎年、判で押したような「おめ!」だと感じていた。いや、感じてもいなかった。日々の「おは」「おつ」と大して差もないような。
もちろん、心がこもっていないとかうれしくないとかではなくて、一年に一度のやり取りさえ日常になっていたという意味でしかない。

クラスが違い、学校が違い、住む街が違っても、
いつだって誰よりも。それが彼女なのだ。

一時期本当に連絡がつかず、既読がつかなくなって、さてどうしたものか、と思案した。
安否確認の必要性すら本気で考えたが、一度実行にうつそうとしたタイミングを逃してしまうとそのままになった。
自分の人生に追われながらも時々、遠く離れた空の下にいるであろう彼女を思った。
ふと思い立って、細々としたものを詰めたレターパックを送り、数日後に追跡番号を入力してみると
「配達が完了しました」と表示されて少し安心したことを覚えている。
きっと、とりあえず、命はあるだろう。闘っているのだ。彼女の心を思うとどうしようもなく歯がゆかった。

今年の六月。
家族を増やし、わたしの人生は加速していて、自分の正体も分からないような日々を過ごしていたある日。
いつものように郵便受けをのぞき、またチラシだろうと思いつつ開けると
何度受け取ったか知れない、クラフト紙のいつもの封筒と、
もう本当に自分の筆跡以上に見てきたかもしれない、彼女の筆跡が数年ぶりに目に飛び込んできて。

集合ポストから2階の我が家まで、階段をのぼる足が興奮でもつれた。

そういえば、中学に入学して最初のテストの順位を聞いたとき、
学年トップを告げられたときもそうだったっけ。
興奮して、職員室から教室に向かう中央階段、何度も足をもつれさせたっけ。

そうしてまた、数年間の音沙汰なんてずうっとあったように、
ふたりのおしゃべりは続けられたのだ。

それがたった、二か月前。
だから、
今年はくるだろうと、信じも疑いもしなかった、「おめ!」だった。

誕生日の日を迎えた深夜0時にも、
誕生日の日と同じ時間にも、
夜になっても、
トーク画面は動かなかった。

きっと。

いまも彼女は闘っているのだ、とわたしは思う。
都会の片隅で、四方八方から見えない何かに押し潰されて、両肩をぎゅっと縮ませている彼女が、まるで目の前に存在するかのように思い浮かぶ。
片道切符を握りしめて、移り住んだその街で。
わたしの知らないその街で。
彼女は彼女の人生を、生きている。

なぜか突然、飛行機が怖くなってしまったわたしが
いつかそれを克服するとしたら、
もうどうしようもなくなってしまった時がきた彼女を抱き締めに行くときだろうなと、本気で思っている。

タイトルは、わたしと彼女の人生の伴奏者、
チャットモンチーの1曲より。

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