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フラカンの「深夜高速」

先日、さんぽ岩永さんの『深夜の救世主』刊行記念トークイベントに行った時のこと。

読者から「この本をCDアルバムに例えるとしたら何ですか?」という質問があった。
岩永さんは少し考えた後でフラワーカンパニーズの『世田谷夜明け前』と答えた。

トークライブが2週間近く前だったので細かいことは忘れてしまったのだが、アルバムに収録されている『深夜高速』と言う曲についての話が印象に残っている。

2年前の秋にフラワーカンパニーズのワンマンライブに行った時に初めて聴いて以来、私のお気に入りの一つとなったこの曲。(旧アカウントで書いたその時のnote↓)

歌詞がとにかく良く、何度も繰り返される「生きてて良かった」と言うフレーズに背中を押されて前を向いて歩こうと言う気持ちにさせてもらえる。

しかし、岩永さんによるとこの『深夜高速』はフラワーカンパニーズのメンバーが仕事も家庭もどん底の状況だった時に作られたと言う。

苦しみの最中に生み出された曲に当てはめられた真逆の歌詞。
それが時間も空間も超えて多くの人に届き、誰かを勇気づけている。
なんだか衝撃的な話だった。

ちょっと違うが似たような話をお笑い芸人さんからも聞いたことがある。
漫才コンビ三拍子の久保さんがYouTube生配信で言っていた。(アーカイブを探せないのでうろ覚えだが)

「だからお笑いは素晴らしいんだよ。」
「ミスしたことや嫌な思い出も笑いに変えることができる。」

これを聞いた時にめちゃくちゃ格好良いなと思うと共に羨ましくも思った。

私は創作に携わる人間ではないので自分の経験や感情を元に何かを生み出して誰かを楽しませると言うことはできない。
ミスも嫌な出来事も自分の中で終わってしまう。

音楽やお笑いだけでなく、演劇や小説、絵画や漫画なども自身の経験や感情を昇華させて作品を創り上げている面は多々あると思う。

例えば美術館でピカソのゲルニカを見た時、作者の感情がそのまま眼前に突き付けられているような気持ちになった。
何回か見た演劇では脚本家や演出家、演じる俳優達の気持ちが物語とシンクロしているような生々しさを感じたものもある。だからこそ感情を揺さぶられたのかもしれない。

お笑いで言えば、最近だとスピードワゴンがTHE SECOND準決勝で敗退して悔しいと言う話を散々した後に準決勝〜決勝をネタにした漫才をやっていた。
三拍子は大会で負けた悔しさそのものをネタにした時事漫才をやってる。

どれもその人にとっては悲しかったりつらかったり悔しかったりする経験をもとに、誰かを感動させたり勇気づけたり笑わせたり楽しませる何かを生み出している。

岩永さんの「深夜の救世主」もまさにそれ。

すごいなぁ……と、フラカンの深夜高速を聴きながらお弁当のおかずを作り置きしている時に思いました。


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