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憧れのCEOは一途女子を愛でる 第4話
<第3話 https://note.com/wakaba_natsume/n/nca16b614d264>
#創作大賞2024 #恋愛小説部門 #小説 #胸キュン #CEO #頑張る女子 #オフィスラブ
<第4話 会いたくなかった>
本店の照明工事が終わるまで落ち着かないので、伊地知部長と私の歓迎会は延期にしてもらっていたのだけれど、週末の金曜である今夜それが行われることになった。
店舗運営部は部長を含めて十名いて、男性が六名、女性が四名で構成されている。部長と私のために今日は全員が参加してくれるそうだ。
ちなみに幹事は氷室くんで、会社の近くにある大手チェーンの居酒屋の座敷席を予約してくれたらしいので、仕事を終えた私たちは全員でぞろぞろと歩いて向かった。
「乾杯~!」
それぞれ頼んだ飲み物が到着したところで、氷室君が音頭を取ってグラスを合わせた。
私の左隣に座った伊地知部長が「労働のあとのビールはおいしいわね」と言いながら、いきなりジョッキの中身を半分くらい空けている。
実は彼女はなかなかの酒豪で、泥酔した姿を私は今まで見たことがない。
「部長、お疲れ様です。香椎、飲んでるか?」
しばらくすると氷室くんが私たちの正面に座って話しかけてきた。私とは同期なのに、彼がこんなに社交的で周りに目を配れるタイプだとは知らなかった。
「氷室くん、香椎さんはそんなにお酒が強くないから勧めすぎないでね」
私が自己申告する前に、部長が氷室くんに忠告してくれた。
氷室くんはそれを聞き、先手を打たれたとばかりに口をへの字に曲げておどけている。
「じゃあ、酒は控えめにして、たくさん食べろよ」
そう言うが早いか、氷室くんが唐揚げをふたつ私の取り皿に乗せる。
「この唐揚げ、塩レモン味でさっぱりしていておいしいね。今度家で作ってみようかな」
「香椎って料理が得意なの?」
「いろいろチャレンジして作るのが好きなだけ」
加那太のために作っていたときは私の腕前もまだ未熟で、パスタやオムライスなど簡単なメニューばかりだったけれど、今ではタンドリーチキンやブイヤベースなど、洒落た料理も作れるようになった。
「いいよなぁ、料理上手だとモテるだろ」
「モテないよ。家族以外の誰かに振る舞う機会はないから」
私が家で料理を作るのは、母に家事を全部押し付けたくないからで、要するに自立のためだ。
家庭的なアピールをして男性の気を引きたいというあざとい考えは微塵もない。
「食べる係なら俺に任せてくれよ。俺の家のキッチンでよければいつでも使ってくれていいし」
「なんでそうなるのよ」
氷室くんは酔いが回ってきたのか、いつも以上に饒舌だ。
私と彼のやり取りを聞いていた伊地知部長がテーブルに頬杖をつきながらクスクスと笑っている。
「あ、そうそう。この件を部長に聞きたかったんです」
部長に声をかけつつ私にも見える角度で、氷室くんがスマホを操作して画面をこちらに向けた。
「なに?」
「真凛の熱愛報道ですよ。相手の男って、どう見ても神谷社長じゃないですか?」
氷室くんが見せたのは、ウェブ版の週刊誌に掲載されたスクープ写真だった。そこには夜の街を歩く男女の姿があり、女性のほうは真凛さんだとはっきりわかる角度で写っている。
彼女の右隣にいる背の高い男性は、目元が黒く塗りつぶされているものの、氷室くんの言うように神谷社長で間違いないだろう。
記事のタイトルも【真凛、イケメンスポンサー社長と高級焼肉デート】と書かれてある。
「ふたり、付き合ってるんですかね?」
なにげない氷室くんの言葉がグサリと胸に刺さった。
幸い、撮られた写真では腕を組んだり手を繋いではいないけれど、スタイルのいいふたりが並んでいるだけで絵になるし、どう見てもお似合いだ。
『冴実が勇気を出して手を伸ばそうとしていないだけで、届くかもしれないよ』
ふと彩羽の助言が頭に浮かんだ。あの言葉で私にも望みがあるかもしれないと、うっかり真に受けるところだった。
社長のお相手は真凛さんくらい華のある女性でなければ釣り合わないとわかっていたはずなのに。
「それは……デマじゃないかな」
枝豆をつまみつつ、伊地知部長がフフフと笑う。
「え、付き合ってないんですか?」
「真実は知らないけど、違う気がする。社長の口から真凛さんの話は聞いたことがないからね」
「部長が言うと説得力がありますよ。社長や専務とは長い付き合いなんですよね?」
伊地知部長がふたりにとって大学の先輩であることはジニアールでは周知されている。
愛想笑いをしながら、部長は氷室くんに向かってコクリとうなずいた。
「私は社歴は浅いけど、あのふたりのことは十代のころから知ってる。昔は朝陽くん、五十嵐くん、って呼んでたなぁ。ふたりとも当時からイケメンだった」
どこか遠い目をしながら、部長が懐かしそうに話してくれた。
社長と専務が昔から女性に人気だったのはたやすく想像できる。大学ではきっと、キャンパスに存在するだけで騒がれていたに違いない。
「いいなぁ。うらやましいっす! かわいい女の子たちと遊び放題じゃないですか」
「それがね、そうでもないのよ。朝陽くんは綺麗な顔してるからすごくモテてたけど、昔から真面目だしね。だからこそ今回の熱愛報道も違うと思うの。いくら相手がかわいいからって、すぐに熱を上げたりしないよ」
あんなにかわいい真凛さんですら社長の心に響かないのだとしたら、どんな女性も無理なのではないだろうか。そう考えたら自然と私は眉根を寄せてむずかしい顔になった。
だけど“いくら相手がかわいいからって”という言い方をしていたので、もしかしたら社長は容姿以外の部分も重視しているのかもしれない。
「もったいない。俺が社長みたいなイケメンに生まれてたら、女の子をとっかえひっかえして遊びまくりますけどね。一日でいいから顔を交換してほしいくらいですよ!」
腕組みをして力説をする氷室くんを目にして思わず笑ってしまう。
社長がたくさんの女性と遊ぶだなんて、そんな軽率な行動は絶対に取らないだろう。
「あ、ウソ! 今のは冗談だから。本気じゃないからな!」
なぜか氷室くんが私に向かって誤解するなとばかりにあわあわと弁解を始めた。遊び人のイメージを持たれたくないのかもしれない。
「別に氷室くんが遊んでてもいいよ。私には関係ないじゃない」
私が静かな口調で返事をした途端、隣にいた伊地知部長がトントンと軽く机を二回叩き、アハハと大声で笑った。
そんなにおかしなことを口にしただろうかと驚きながらふたりの様子をうかがっていたら、氷室くんは参ったとばかりにげんなりとした顔で頭を抱えていた。
彼は酔ったのかもしれないが伊地知部長はアルコールに強いので、お酒のせいで爆笑したわけではないと思う。
「氷室くん、今のカウンターパンチは効いたね」
「部長に笑ってもらえたのが救いです」
「個人的な意見だけど、アプローチはわかりやすいほうがいいと思うよ。どっちなんだかよくわからない態度が一番困る」
伊地知部長がジョッキを手にしながらアドバイスらしき言葉を贈っているけれど、私には話の内容がさっぱりわからない。
氷室くんは若干顔を赤くしつつ納得するように小さくうなずいていた。
「結局、部長はなにについて大笑いしたんですか?」
素朴な疑問として尋ねてみたが、部長は「いいのいいの。気にしないで」と濁して教えてはもらえなかった。
視線を氷室くんに移すと「とにかく俺はチャラくないから」と再び力説されたので、首を縦に振っておく。
「そうだ、社長がサーフィン好きだって噂で聞いたんですけど本当ですか?」
話を変えようとしてなのか、氷室くんがわざとらしく人差し指を立ててつつ部長に質問をした。
「それは半分当たってる。専務がサーフィン好きなのよ。社長は専務に誘われて一緒に行ってるんだと思う」
社長の趣味はソロキャンプだと辰巳さんから聞いていたから、サーフィンのイメージはなかった。
社長がサーフボードを持って浜辺を歩く姿はさぞかしカッコいいのだろうな、と頭の中で想像してみる。
もしかしたらマリンスポーツもウインタースポーツも、なんでもできるすごい人なのかもしれない。
「専務もかなりモテそうですよね。でも浮いた話を聞かないのはなんでですかね? コミュ力も高いから女の子が群がりそうなのに」
「さぁ、なんでだろうね」
氷室くんがするのと同じように部長はおどけて首を捻っていたけれど、本当はなにか知っているような気がした。
だけど本人のいないところで勝手にペラペラと喋るわけにいかないので誤魔化しているのだろう。
「ちなみに部長の好みのタイプってどんな男ですか?」
めげずに前傾姿勢で尋ねる氷室くんを見て、部長は盛大にあきれた顔をする。
「それってさ、本当に聞きたい相手は私じゃなくて香椎さんでしょ? 遠回りしないで直球でいきなさいよ」
そう言われ、氷室くんは苦笑いをしてしばし固まっていたものの、私のほうへゆっくりと視線を移した。
部長はというと、「ごめん、はっきり言いすぎた」と氷室くんに向かって軽い調子で謝っている。
「えっと……こういうのは照れずにサラッと聞けばいいんだよな。香椎の好きなタイプは?」
笑顔を引きつらせつつも、氷室くんは照れているように見える。
顔が赤いのはお酒のせいだけではなさそうだけれど、そんな態度を取られたら私も意味なく緊張してきた。
なぜ氷室くんが私の好きなタイプに興味を示しているのかわからない。だけど答えなければいけない流れになっているので、仕方なく私は口を開いた。
「そうだなぁ……私だけを見てくれる、とか?」
「浮気しないってこと? 当然だよな」
「あとは私って重いみたいだから、それを受け止めてくれる包容力のある人」
素直に思いついたことをそのまま口にしてみたけれど、面倒くさい私を受け入れてくれる男性はなかなかいないのだろうなと考えたら気持ちが沈んでくる。
「重いって、誰かに言われたの? 元カレか?」
氷室くんに指摘された途端、今は無意識に加那太と真逆のタイプを想像して言ったのだと自覚した。
浮気や二股をせず、私を重いと敬遠しない男性を思い浮かべるあたり、私はまだトラウマから完全には逃れられないでいるのだろう。
「ごめん、元カレの話はしたくないや」
「いや、俺のほうこそごめん。デリカシーがなさすぎた。でも……香椎は見た目については重視しないんだな」
たしかに私はそこまで面食いではないはずだ。
今までそう思ってきたけれど、なぜだかふと社長の顔が頭に浮かんできて、本当は綺麗な顔のほうが好きかもしれないとそれまでの考えを打ち消した。
「香椎さんは美人なんだから、イケメンを狙っていこう」
しばらく隣で黙って聞いていた部長が、冗談めかしながら両手で拳を作って私を激励してくる。
「私は美人ではないですし、イケメンと言われましても……」
「そこそこのレベルじゃなく、どうせならとびきりのイケメン。神谷社長なんてどう?」
部長は鋭いから私が社長に恋心を抱いていると勘付かれた気がして、思わずゴホゴホとむせかえしてしまった。
視界の端に見えた氷室くんはというと、ギョッとしながら「そんな提案はしなくていいです」と部長に訴えている。
社長は誰しもが認めるイケメンだけれど、だからこそ私なんかが簡単に手を伸ばすなんておこがましい。
「さすがに無謀ですよ」とつぶやくと、部長は「そうかな?」と意味深な笑みを浮かべていた。私がシンデレラになれるはずがないのに。
週が明けた月曜日、私は本店へ足を運び、ゴルフウェアのマネキンスタンドの件を吉井店長に話してみた。
今は営業中だけれど、試しに展示台の上にマネキンを乗せてみる。すると動線がかなりすっきりしたので、それでいこうということになった。
「この前、スタンドに足を引っかけそうになったんです。ここの通路は少し狭いからお客様も危ないと思って……」
「なるほどね。たしかに上のほうがいいかな」
スマートなポーズを取った女性のマネキンは、柔らかなストレッチ素材でできた白のハイネックシャツとビビットなピンクのミニスカート姿で、サンバイザーをかぶっている。
手袋やシューズはもちろんのこと、ゴルフバッグも展示されていて、アミュゾンでの全身コーディネートも可能だ。個人的にはすごくオシャレだと思う。
「あっちの展示なんだけど、ちょっと相談したくて……」
吉井店長がレインウェアのほうを指し示して私を誘導したため、私たちはこの場を離れ、移動しながら話をしていた。
内容を忘れないように、立ち止まって手帳に走り書きでメモを取っているときだった。突如店内にガシャンという大きな音が轟いた。
なにごとかと吉井店長があわてて音がしたほうへ向かったので、私もそのあとを追う。
すると、先ほど展示台の上に乗せたマネキンが倒れて下に落ちていた。
「申し訳ありません! お客様、お怪我はありませんでしたか?」
偶然近くにいた女性客にぶつかったかもしれないと、吉井店長が丁重に頭を下げながら声をかける。
「なんなんですか?! すごくビックリした! もうちょっとで身体に当たるところだったじゃない」
驚いたとばかりに左胸を手で押さえながら吉井店長に向かって苦情を言っている女性の顔を見た瞬間、私は衝撃を受けて息ができなくなった。
彼女の顔を見るのは三年以上ぶりだ。会話を交わしたのはあの電話が最後だった。
当時ショートボブだった髪が、今はセミロングの長さに変わっているものの、目の前にいるのは紛れもなく百合菜だ。
「最近アミュゾンが人気だって聞いたから来てみたのに、なんて店なのよ!」
あとから駆けつけたアルバイトの男の子が、すぐさま倒れたマネキンを起こして少し離れた場所へ引っ込めた。
彼が申し訳なさそうに顔をしかめて「僕がきちんと設置しなかったからですよね。すみません」と私に小声で謝ってきたので「大丈夫」と言葉を返す。
これは彼だけの責任ではない。確認を怠ったのは私だし、そもそも展示台の上に乗せようと提案したのも私だ。
よりによって百合菜とこんな形で再会するなんて、と思いながら様子をうかがっていると、この場になぜか神谷社長が現れた。
「こちらの不手際でお客様を驚かせてご不快な思いをさせてしまいました。心よりお詫びいたします」
平日の昼間なので幸い店内は混みあっておらず、マネキンが倒れたそばには百合菜しかいなかったようだ。
百合菜はというと、いきなり現れて頭を下げる社長を目にし、少し怒りの感情が収まったように見えた。
「あなた誰ですか?」
「ジニアールのCEOをしております。神谷といいます」
「ここの社長さんなんだ……」
百合菜は私に気付いていなかったようだが、彼女へ向けて視線を送り続けていた私に目を止めた。
「百合菜……」
「え……冴実? なんでここに?」
「私、ジニアールの社員なの」
百合菜も私と同じように、こんな偶然があるのかとひどく驚いた顔をしていた。
彼女には二度と会いたくなかったのに、と思わず心の中で思ってしまう。
街でばったり再会したのなら仕方ないけれど、自社店舗でのクレームがらみというこの状況が最悪だ。
「本当に申し訳ありません」
今は仕事中だから、当然私は会社の人間として百合菜に向って深く頭を下げた。
相手が誰であろうとマネキンが倒れたことについてはこちらが悪いので、きちんと謝罪しなければいけない。
「冴実が私に謝るなんて、さぞかし屈辱だろうね」
チラリと百合菜の表情をうかがい見ると、勝ち誇ったように薄っすらと笑みを浮かべている。すぐに人を見下すところは以前と変わっていない。
最後に話をしたあの電話のときも、彼女はこんな顔で笑っていたのではないかと考えたら、途端に悔しさと情けなさで胸が締め付けられた。
「この度のお詫びといたしまして割引券をご用意いたします。店長、ご案内して」
神谷社長はしばらく私たちの会話に耳を傾けていたが、吉井店長に指示を出して百合菜をレジのほうへ誘導しようとした。
「その前に。神谷さんは独身ですか?」
「……はい」
「へぇ、そうなんだ」
なぜそんな関係ないことを尋ねるのかと、この場にいる百合菜以外の誰しもが思っただろう。
それに加えて私はひどく胸騒ぎがした。恋愛対象として神谷社長に興味を示している気がしてならない。
「名刺を頂戴できますか?」
百合菜の言葉を聞いて、吉井店長が「今回のことでなにかあれば、まずこの店にご一報ください」と横から口を出していたが、彼女はそれには見向きもしない。
すぐさま社長はスーツの内ポケットから名刺を一枚取り出して百合菜に差し出していた。欲しい物が手に入った彼女は途端にうれしそうな笑みを浮かべる。
私はなにも言えずに口を真横に引き結んでいたら、吉井店長が「こちらへどうぞ」と百合菜を店の奥へ案内してくれた。
「君が本店の様子を見に行ったと伊地知さんから聞いて、きっとこのマネキンの展示を変えるんだろうと思ったから、ちょっと寄ってみたんだけど……」
「申し訳ありません。マネキンは今は元の展示に戻しておいて、あらためて対策を考えます」
社長は深々と頭を下げる私の左肩にやさしくポンポンと触れる。まるで大丈夫だと慰めるように。
「誰も怪我をしなくてよかったよ」
「はい、本当にそれだけは幸いでした。あ、伊地知部長にも電話で伝えないと……」
社長が私の言葉にうなずいていると、店の奥から百合菜がこちらに向かって歩いてきた。
吉井店長から割引券を受け取ったものの、今日はなにも購入せずに帰るようだ。
「真凛のポスターを見ていたら思い出したんですけど、神谷社長って真凛と歩いてるところを写真に撮られた人?」
再び社長の前で歩みを止め、百合菜は馴れ馴れしい態度で答えにくい質問をした。
社長はさすがに苦笑いになり、否定も肯定もしなかった。
「私ね、冴実と同じ大学だったんですよ。友達なんです」
「……え」
驚いた私は思わず声が出てしまったが、聞き間違いではないと思う。彼女は私との関係を“友達”だと説明した。
百合菜がそれを言うのかと怒りの感情が遅れてやってきたけれど、この場で責め立てるわけにもいかない。
「これを機に私とも仲良くしてくださいね」という言葉を言い残し、社長になにか小さなメモを手渡しているのが見えた。
ジニアールの社員だという立場を忘れて「やめて!」と叫びそうになるのをぐっと堪えた。
百合菜は面白がって、私をまた攻撃対象にしたいのだろうけれど、そのために社長を利用されたくない。
いや、今回のターゲットは私ではなく、真凛さんと熱愛の噂がある男性を横取りしたいという欲望が芽生えたのかもしれない。どちらにせよ、よこしまな考えであることは間違いない。
スタッフ全員が丁寧に頭を下げる中、百合菜が満足げな表情で帰っていき、私はとりあえずホッと胸をなでおろす。
今は仕事に集中しようとゴルフウェアの展示を直していると、心配そうな面持ちで吉井店長から声をかけられた。
「あとはやっておくよ。香椎さん、大丈夫? ごめんね、俺もきちんと確認しなかったから」
「いえ。私の責任です。ご迷惑をおかけしてすみません」
苦笑いをしながら店長は首を横に振ってくれたけれど、やるせない気持ちでいっぱいになった。
「次のアポイントがあるから俺も行かなきゃ」
社長が腕時計で時間を確認しつつ、私にやわらかい笑みを向けてくれた。
会社のため、社長のために役に立ちたいのに、任された仕事を成し遂げられないどころか足を引っ張っているようで自分が許せない。悔しさで涙目になりながら社長の背中を見送った。
店を出た私はすぐさま伊地知部長に電話を入れ、急いで本社に戻った。
部長も外出していたのだけれど、私とほぼ同時に帰社したので、あらためて今回の件について詳しく報告をした。
「怪我人が出なくてよかったわね」
「本当にすみませんでした。始末書を書きます」
「始末書は……そうね、そのほうがいいかな。私も書こうか」
部長は力のない笑みを浮かべて小さく溜め息をついた。
私がしでかしたことなのに、直属の上司である部長を巻き込んでしまって心が痛い。
「社長からも電話が来たのよ。偶然あの場にいたんだって?」
「はい」
「香椎さんが思い詰めそうだって心配してたわ」
社長のやさしい笑みを思い浮かべた途端、じわりと目に涙がにじんだ。
だけど泣いてはダメだ。社会人なのだから、きちんと仕事で挽回しなければ。
「あそこの動線は私も気になっていたし、香椎さんだけの責任じゃないからね」
部長から思いやりのこもった言葉をもらった私は、意気消沈しながら自分のデスクに戻った。
するとすぐに氷室くんが私のそばまで来て声をかけてくれた。
「本店は部長と香椎が担当だけど、俺にできることがあったら手伝うよ。なんでも言ってくれ」
「ありがとう」
氷室くんは本当に気さくだし、この部署では先輩だからに頼りになる。
私は両手でパンッと自分の頬を軽く叩き、本店の店内写真やレイアウトの図を見ながら対策を考えた。
気付けばとっくに定時を過ぎていて、ほかの社員が続々と帰宅したあとの店舗運営部には私と伊地知部長だけになる。
「こんなことだと思った」
部長がお手洗いのために席を外し、私がひとりでパソコンのキーボードを叩いているところに突然社長が現れて、思わず目を見開いた。
社長はコーヒーショップでテイクアウトしてきたコーヒーを両手に持っていて、ひとつを私のデスクの上にそっと置く。
「お、お疲れ様です! あの……コーヒー……」
「お疲れさま。それは差し入れ。まだ帰ってない気がしてね」
「お気遣いいただきありがとうございます。今、始末書を書いていました」
椅子から立ち上がったものの、すぐ隣までやってきた社長に会釈をしたまま顔を上げられないでいた。
社長はきっといつものようにまっすぐな視線を投げかけてくれているはずだから緊張する。
「伊地知さんもまだいるの?」
部長のデスクの上が片付いていない様子を見て、社長がもうひとつのコーヒーをそこへ置いた。
「はい。席を外されてますけど」
「始末書は書かなくていいって伝えたんだけどな」
その言葉を聞いた私は小刻みに首を横に振った。
実際にあの場にいた社長がそう判断したのかもしれないが、だからといって甘えるわけにはいかない。伊地知部長もそんな私の気持ちを汲み取ってくれたのだと思う。
「今日のことは単なるアクシデントでは済まされないです。ですから、きちんと始末書を提出して自分への戒めにします」
「わかった。でも……あまり思い詰めないでほしい。君は責任を持って仕事に取り組んでるし、本当によくがんばってるよ」
慈愛に満ちたやさしい声が聞こえてきて、涙腺が一気に崩壊しそうになる。
だけど泣いてはいけないと自分に言い聞かせ、なんとか涙がこぼれ落ちるのだけは回避した。
「ありがとうございます」
うつむいていた顔を上げると、目力のある社長の瞳と視線がぶつかる。
こんなときでも胸がドキドキするなんて、私は本当にどうかしている。
「あのお客様と君は友達?」
「違います」
百合菜との関係を即座に否定した私に、社長はもっと驚くかと思ったけれど、意外にも静かにうなずくだけだった。
「以前に彼女に言われたんです。……友達ではないと。大学は同じでしたが、卒業の少し前から完全に交流は途絶えました」
「そうか」
「……信じてくれるんですか?」
私の主張は百合菜とは真逆だから、どちらかがウソをついているのは明白なのに、社長はとまどうことなく私の言葉を受け入れてくれた。それがうれしくて再び涙目になってしまう。
「当然だろ。俺は君を信じる」
「社長……」
「そんな顔をされたら抱きしめたくなるけど、会社の中じゃ無理だな」
困ったようにふわりと笑う顔も、やっぱり綺麗でキラキラとまぶしい。
社長の瞳の中に私が映っている。それだけで充分に幸せを感じた。
だけどひとつだけどうしても望んでしまうことがある。
――百合菜には気を許さないでほしい。
<第5話 https://note.com/wakaba_natsume/n/naa5568f70996>
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