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○○ファーストという言い方について考えた

昨日は金沢にいて、白山比咩神社を参拝して、そのまま青春18切符で京都に帰ってきた。その車中でこんなツイートを見た。

リプも引用RTもたくさんついていて、それに目を通していて、「〇〇ファースト」というのは難しい言葉だなと思った。異論をはさませない強さがあり、そのぶんだけ目を引く。調べてみると2017年の流行語大賞トップテン受賞語でトランプ大統領や小池百合子都知事が使っていたらしい。

ということは、誰かに何かを訴えかけるのには効果を発揮しそうだ。「〇〇のことを一番大事に考えますよ」というふうに。     

子どもを持つと「自分ファースト」ではなくなるのか。そうかもしれない。さらにいうと、親であれば「子供ファースト」にすべきなのだという強いメッセージ性も受け取れる。親と子の日常やその人なりの考え方や家族や仕事やそういった「ひだ」のようなものを何かで塗りつぶしたように感じてしまう。

自分のことを少し振り返ってみる。この15年ほど、仕事をしつつ双子を育ててきて思うのは、その時々によって何を優先させるかという判断が実に難しかった。いつも○○ファーストではなくて、その時々に応じて○○は変わるからだ。

それでも、保育園に子供を預けて仕事をしているときは、学生ファーストだし、「親が倒れた」と電話を受けたときは親ファーストだった。子宮内膜症の手術で入院したときはもちろん自分ファーストだし、子供の幼稚園や学校のイベントなどでは子供ファーストだった。でも、それがかち合う場面が出てくる。そういった場面は協力者によって乗り越えてきたとおもう。

母親だけでは子どもは育てられない。とはいえ、子供が熱を出してしんどそうにしていたら、病院に連れて行き暖かくして寝かしてやったり、遠足の日には弁当を作ってやり、準備を手伝ってあげたり。誰かの手を借りていたとしても、子供が小さい間はとにかく忙しい。

でもそんな日々は意外に早く終わりを告げ、思春期を迎える。子供自身が「自分ファースト」を意識し自立へと向かいだすと、親はその「子供ファースト」に意識的にブレーキをかけなければならない。そんなとき、一抹の寂しさと戸惑いを感じるだろう。

そのようにして、親子の営みはさざなみのような感情によって支えられている。また、子供がいようといまいと、誰かの人生も色々な出来事と喜びとかなしみで彩られているはずだ。そこからその人が導き出した決断はどんなことがあっても馬鹿になんかできないし、「〇〇ファースト」といった言葉でまとめてほしくはないなと思った。

逆説的になるけれど、自分をしっかり大事にできる人は、他人も大事にできる。反対に自分を大事にできない人は他人を大事にできない。このことが子育てほど当てはまることもないということに最近ようやく気がついた。このことについてもまた考えてみたい。

では、また!


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日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

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