高校1年の夏に知ったこと
高校に入ったとき、わたしはハンドボール部に入部した。
顧問は数学の先生、I先生だった。
ハンドボールなどしたこともなさそうで、ただそこにいて部員がハンドボールをするのを見ているだけの先生だった。
高校生になって初めての夏休み、I先生は亡くなった。脳卒中だった。
おいくつだったのか正確な享年は思い出せない。50代だったと思う。
先生が亡くなる3日前、先生は普段の通りに部活を見に来た。ハンドボールのコートは広いグランドの一番奥にあった。I先生は陸上部やソフトボール部が練習しているのもかまわず、夏の太陽の下を頭に帽子を乗せてゆっくりゆっくり歩いてきた。まだ夏が今ほど暑くなかった時代の夏だ。
その日の練習がどうだったか覚えていない。ただ、20年以上たった今でもなぜかI先生が歩いてくる様子が思い出せるのだ。
先生が亡くなった次の日、学校で先生が亡くなったことを、吹奏楽部の友達から聞いた。「嘘だ」と思った。その吹奏楽部の友達が憎らしかった。
部活の時間になり、部員が集められ、先生が本当に亡くなったことを聞かされた。お葬式はいついつで、部員はみんなで行くことになった。担任を持っていないから、ハンドボール部の2年のM先輩が弔辞を読むことになった。みんな泣いた。先生を診た医者がヤブ医者だったと怒り出す子さえいた。動転していたのだ。
葬式の日、その弔辞を読むM先輩は泣いていた。若い女性の先生に抱きかかえられるようにして、葬儀会場にあらわれた。大丈夫なのかと心配になった。でも、涙声ではあったものの、しっかりとした声で読み始めた。
「I先生、今でもグランドの向こうから、帽子をかぶって、部活に来てくれるような気がしています」
その一文を聞いた時、何度も泣いたはずなのに、また、涙と嗚咽が溢れてきた。その先生といえば、グランドを歩く姿だったからだ。「なんで真ん中歩くんやろ?」と言ってみんなで笑った。先輩の弔辞は、どんなに先生を慕っていたのかよくわかるものだった。それだけに参列者の涙を誘った。
きっとわたしだけではなく、その言葉を遺影としている人がいるだろうとおもう。M先輩の言葉は、I先生のありし日の姿を永遠にした。
高校1年の夏、わたしは言葉にそんな作用もあることを知ったのだった。言葉は消えゆくものに命を与える。その言葉さえ、消えてしまったときが本当の死なのかもしれない。
だからこそ、言葉を紡いでいきたい。わたしが生きている今、わたしの大切な人が生きている今が、永遠であるように。
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