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【限界福祉労働者のエッセイ②】とりあえず本を処方してください

2023年7月14日(金)

働き始めてから、自分には「支援事業の最前線」で戦うのが圧倒的に向いていないことに気が付いた。

支援事業、というのは療育のことであり、最前線とはまさしく療育を直接子どもたちに提供する人たちのことを指す。保育士とか、支援員とか、その辺の人たちのこと。
もちろん療育じゃなくて教育のことでもいい。その場合、最前線とは教師になる。

元々は教員になる予定だった。
だが「公立学校の教員はさすがにできねぇなぁ」と実習先のマッチョ先生を見ていて、じわじわと諦めたい気持ちが高まり、教員試験に応募はしたが当日にバックレた。
マッチョ先生とは私の指導教員で、残業しない日がなく、平日と休日と体力と精神力と人生の全てを教育にかけている右翼だった。熱心だったけど、「良いか悪いかはさておき、俺は家に帰ってもずっと授業のことを考えている。夜は11時まで学校にいて、朝は6時半に学校へ行く。家では奥さんに自分のクラスの子どもの話ばかりしている」と熱弁しており……おまけにアジア太平洋戦争のことを大東亜戦争と言う先生だった。
というか、私の先輩で教師になった人も、左翼であることを除けば大体みんな目くそ鼻くその限界生活をしていたので、ワークライフバランスを考えた私はすっかり何もかも嫌になってしまった。

結局私は、ちょっと職場環境が良さそうな民間の福祉事業所に飛び込んだ。
前回書いた通り、事業所自体が子どもや障害者の人権に高い意識を持っているので、こんな私でも少しは居心地が良いのかもしれないと、淡い期待を抱いていたのだ。
そして今、まぁやれるわけがなかったなと自責の念に追い詰められている。
自分がその事業所で上手くやれなかったことそのものより、上手くやれない自分が面接で面接官に刺さりそうな言葉を連発し、会うたびに上層部の人から「うちを選んでくれてありがとう」と微笑まれていることに対して。
すみません、私は口だけのクソです。
そんなクソに期待させてしまって本当に申し訳ない。

冷静に考えれば、何も教育や療育の仕事――それも最前線の仕事にこだわる理由はなかったはずだ。
私は気分の浮き沈みが激しい性格で、できる日とできない日の差が激しい人間でもある。ごく短い睡眠時間で大量の仕事をこなせる期間があったと思えば、突然起きられなくなり、仕事中もぼやっとし、何を言われているか分からなくなる期間もある。
昔から口頭の指示を理解するのに時間がかかる。聴力には問題ないのだが、聞いてから理解するまでのタイムラグがあるので聞き返すことも多々。あと周囲がざわついていると、全然関係ない話が耳にいきなり飛び込んで来たりして、聞くべきことを聞き落としてしまう。
で、何回も聞き返すことに不安を感じて、よく分からないまま「あ、ハイ」と言っちゃう。後になって焦るのは分かっているのに、何度も聞き返したときの周囲の呆れるような視線がどうしても耐え難い。電話なんかもっと嫌い。音が割れて余計に聞き取りづらいからだ。

ついでに融通も利かない。具体的な指示がないと、自分で想像して実行するのが苦手なのだ。そんな私の気持ちを具体的に示すため、ここで突然ですが「事業所でよく言われる嫌いな指示」ワースト3を発表したい。

「なるべく早くお願い」
「良い感じのものがあったら教えて」
「やれるときにやっといて」

頼むから死んでほしいけど、残念ながらうちの事業所では全員がこの言葉を使うので、全員死なないといけなくなるだろう。なぜ世の人々は「最終的な締め切り」や「良いもの・悪いもの」を具体化することができないのか。

「できるだけ早くしてくれたらありがたいけど、金曜の定時までに提出して欲しい」とか、「今回は子どもたちにハサミを上手に使えるようになって欲しいから、ハサミを使った水遊びのグッズとか考えようか~カラフルなのがいいな~」とか、そんなふうに言ってほしい。
「なんかかわいいやつ」「なんか子どもが楽しめるやつ」とか言われたら本当に殺意が湧く。そして私がおかしいのか?と悩む。だってそれで職場が回っているんだもの。

マルチタスクが苦手で、口頭の指示が聞き取れず、あいまいなことを言われてもピンと来なくて不安になる。自分で考えて動く前に、不安が来て動けなくなる。上司の「○○せなアカンで!」という非難めいた言い方に凍り付き、いつまでたっても気持ちを切り替えられない。
これに加えて、仕事自体が有給も取りづらいし土曜日の出勤も時々ある。フル回転して目減りした脳みその容量を、回復させるだけの時間がない。それでも出勤しなければ回らないこの仕事。
特に私は、「子ども」という休む理由に足る存在を持たず、男のパートナーと二人暮らししている。暇な若者は休めない。
でも私に休みなく働くことはできない。だから、できるはずがなかったのだ。

私は第一線にこだわっていた。教師はムリ、と諦めをつけたあとも、しつこく現場の仕事にこだわった。
それがなぜかと考えてみて、ある結論にたどり着いた。
私はおそらく「労働者」になってみたかったのだろう。
政治運動を始めてから、私はこの日本においてあまり政治を意識しないで生きている、日々の仕事に疲れ、ささやかな休息時間をそれなりに満足して楽しむ、ごくごく一般的な人たちがいるところで働きたかった。伊藤野枝みたいなものかもしれない(『100分deフェミニズム』で読んだくらいの情報しか知らないけど)。
それは別に、私が政治にうんざりしたからではなく、むしろ政治をやるためだった。大学生の頃、福祉労働者や教員の待遇改善を訴えながら、一番苦しいところで働いたことがないという事実に、私は矛盾を感じていた。「あんた現場知らんやろ」と思われている気がして、これは何としてでも現場で働き、しんどい中でも学び続けることが必要だと思った。
それを乗り越えてこそ、私は心の底から待遇改善を訴えられる――まぁ無理でしたが。

で、紆余曲折の果てに、この話はタイトルへと繋がる。
今まで何度も本に救われ、本のおかげで生きのびてきた私だが、今こんな状態の私を救う本が何もない。上に書いた通りの性格でこんなに生きづらいのに、どの本もしっくりこない。
職場では手帳を持っている障害児を何十人も見ているので、自分が発達障害でないことだけは分かる。日本社会における生きづらさのレベルが、彼ら/彼女らと私とではあまりにも違い過ぎるのだ。
「自分らしく生きる」という言葉も、HSPという言葉も、内心どこかうさん臭く感じている。調査と研究に基づいた、生きづらい現代人を生み出す社会構造についての本には、絶望しかない。それで私の生きづらさが本当に変わるのだろうか。結局今の社会が変わるまで、ひとまず受け入れるしかなくない?

どこか希望を感じさせるような「カウンセリング等でこんなふうに生きづらさが改善しました」という本に出てくる事例は、私よりもっと深刻な状況にある人たちの話ばかりでピンと来ない。
貧困家庭に生まれてえげつない虐待を受けた末に高校中退、非行に走ったけど最後には更生した、のような。
ちなみに私は二十歳の頃に実家が家庭崩壊し、特に小学生の頃と家庭崩壊寸前の時期の、父親によるDVに悩んでいた。でも父親が大企業にいたおかげで中流家庭だったし、自分自身、勉強はできたから普通に大学まで出ている。父による暴言と暴力も、日常的なものではなくて、激しい時と優しい時とがあった。それに友達やパートナーもいて、人間関係に関しても決して貧困なわけではない。
だから私よりひどい状態から社会復帰したストーリーを聞くと、「なんかもうほんとすみません」という気持ちにさせられる。

不登校の子どもや、何となく学校でしんどさを感じる子どもに向けた、希望溢れる書はたくさんある。例えば――なんだろう。『友だち幻想』とか?
それなのに――大卒で、ひきこもりにもなり切れず、一緒に暮らすパートナーや友人たちに支えられていて、でも職場では不安と緊張とエトセトラで耐え切れずに行けなくなる、そんな26歳女性を支えてくれる本が見当たらない。

こんな社会でも生きていく術が欲しい。
私にぴったりな本が読みたくて読みたくてたまらないけど、どこかにそんな本は落ちていないだろうか。
世界よ、私に本を処方してください。

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