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子育て・親育て

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子、親、家族のはなし。
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#お母さん

未来を生きるために必要なこと

この春、息子が小学校に入学しました。 入学式の壇上で、校長先生と一緒に祝辞を述べるロボットを見ながら『時代が変わる時は教育から変わると聞いたけれど、ホントだな。。』としみじみ。 常識がどんどんと書き換わっていくこれからは、今までの既存の考え方や学習法では対応できなくなっていく。『みんなと同じことができるように』ではなく、『一人一人が自分で考える力』を持ち、『一人一人がオリジナル』となるような生き方が必要になっていくけどついていけるかな? きっと子ども達は大丈夫だろうけど、大

今日も元気でいてくれてありがとう

毎年、義母への母の日ギフトは用意しているのに、我が母にはつい忘れてしまうことがある。 『母を思うなら元気でいること。』 これが1番の親孝行であると母は言うけれど、買い物に行ってカーネーションを見る度にさびしい気持ちになったりしないだろうか。。。 * それにしても『元気でいる』というのはなかなか難しい。我が子の体調やメンタルが不安定になる度に、『元気でいる』ことの価値を改めて感じ入る。 それを思えば『お母さんありがとう』というメッセージカードやプレゼントよりも、『お母

「人と人とは対等である」あたりまえなのに何故かあたりまえじゃない

まだ私が中学生だった頃、びっくりするほど勉強が出来る友人がいた。彼女は塾にも通わず成績は常にトップで、高校は県内屈指の進学校へと進んだ。 性格はおだやかで温厚。ロックも聞く、マンガだって読む、お母さんとケンカだってする普通の子。しかし、とにかく同学年の子ども達とは雰囲気がまるで違っていた。 きっと帰国子女や英才教育をされている別次元の家庭なのだろうと思っていた私は、ある日とうとう聞いてみることに。 「どんな風に育つと、よりちゃんみたいになるの?」 『普通だよ。みんなと

「自分より大変な人はいっぱいいる」じゃあ自分は?

躾=虐待を正当化しようとする思考は連鎖する。 これに気が付いた人は、断ち切る為に結婚や出産を望まないこともある。 超少子高齢化時代の今、もしこれから子どもを増やしたいなら価値観や意識の改革、『子育て』だけではなく新しい時代の人間教育として『大人育て』を国や自治体、企業、団体、社会全体が真剣に取り組まなければならない。 しかし、誰の基準で? 一昨日のニュース。事件のことをどうこう言うつもりはないが、『恐怖を与えて言う事を聞かせた』洗脳事件の顛末をメディアがこぞって放送した

「虐待」はない。でも「不適切な対応」ならないと言える?

先日、お誘いをうけ『子育てフォーラム』というのに参加してきました。 テーマは子ども虐待の現状。 内容は自治体の取り組みや虐待の現状報告、虐待経験者の話など重くデリケートなもの。 どの範囲を虐待と呼ぶのか、虐待で受ける脳の損傷、虐待は連鎖するなど様々な話を聞きながら、猛烈なパワハラを至近距離で経験したことがあるが、確かに脳が壊れるだろうと大人の私でも感じたのを思い出した。 幼い子どもなら、あっけなく損傷してしまうだろう。 かつて日本には、躾と称して「言う事を聞かなけれ

私達は暗示の言葉で出来ている

以前、髪を切ってくれていた美容師さんがこんなことを言っていた。 『娘が生まれた時から妻にお願いしているんですよ、娘の前では僕の衣類や物を「汚い」とか「臭い」とか言わないで欲しいって』 彼曰く、たとえ臭いのが靴下でも、汚いのが食器だとしても、この言葉が刷り込まれると、『お父さん=汚い』『お父さん=臭い』になると言う。 なるほどね。 確かにそうかもしれない。 リーマ・レウバウ博士の『脳波の定量とニューロフィードバック』について説明した記事によれば、子ども達の脳波は発達に合

周りの人がいい人ばかりになる、おばあちゃんの呪文

友人と転職の話をしていた時、「どこで働いたって人間関係って色々あるものだからね」と話すと、友人の顔がパッと笑顔になった。 「それが、私は人間関係でイヤな思いをした事がないの。ホントに周りの人に恵まれているのよ!」 こんなこと自信満々に言う人に初めてだった。 でも、その笑顔を見たら納得。 そのステキな笑顔は、おばあちゃん譲りだそう。 悪意を持った人でも、イジワルをする気が起きないだろう。 こんな言霊を使いこなす彼女には、ネガティヴな人は近づけないような気もする。 ひ

母の日に「言わぬが花」を贈ったはなし

小学生の頃、「母の日」に初めて自分のお小遣いをかき集め、カーネーションを買いに行ったことがあった。 お花屋さんに並ぶ真っ赤なカーネーションの中に1つだけ目立つ真っ白な鉢。 レアだ!これにしよう‼︎ 母が喜ぶだろうと真っ白なカーネーションを買い、ワクワクしながら母に手渡した。 母は喜んだ!(ように見えた。) 大切に育ててくれた!!(ように見えた。) それから何年も経ち、何回目かの「母の日」が過ぎてから母は教えてくれた。 「白いカーネーションは亡くなったお母さんに贈

今は雨でも空は必ず晴れる

休日、電車の車窓から外を眺めながら息子が呟いた。 「なんだか夢みたい」 そうかもね、夢かもよ。 「もしかして、世界はこうなるんだよって見せてくれているのかも。 夢から覚めたら0歳で、これは成長している夢を見ているの」 私達の脳には未来の記憶があるという。 数ヶ月先、数年先、色々な説がある。 今晩はマーボー豆腐が食べたいなぁと思い立ち豆腐を買いに行くのも、もしかしたらマーボー豆腐を食べた未来の記憶がそうさせているのかもしれない。。。 時々こんな風に思う。 何か

お母さんはわかってない

先日の朝、6歳の息子が突然宣言した。 「オレもう鼻くそほじるの卒業したから!」 おお!「卒業おめでとう」  パチパチパチ 毎日一緒にいると、子どもの成長は過ぎてから気がつく事の方が多い。 そういえば、最近イヤイヤしなくなったね。 あら?この服小さくなったね。 なんてね。 でも「その日」が突然やってくることもある。 以前にも。。。 *** 息子が3、4才ぐらいの頃、思い通りにならなくて腹を立てると、酷くわめき散らし手がつけられなくなっていた時期があった。 当時を

大人だってほめられたい

子育てや部下の育成、人を育てるためには、『ほめる』『ほめない』様々な意見がある。 どちらが良いかはケースバイケースで、個人差もあるでしょうが、私的には「ほめない」がしっくりこない。 なにせ自分は、ほめられたかったし、 今だってほめられたい。 子ども時代、親が親戚や友人の子をほめるのを聞いたり、よその大人が自分の子をほめるのを見るたびに、どうして家の親は私の事をほめてくれないのだろうか? 謙遜なんかしてないで『ほめて欲しい』と思っていた。 「〇〇さん家の〇〇ちゃんは、

それは誰のためのダメ?

息子は裸足が大好き。 公園、河原、海、街中あちらこちらで踏み心地の良さそうな芝生や砂場を見つけるとすぐ靴を脱いでしまう。 我が家では私たち親もそれを良しとしているので、違和感を感じたことはなかった。 あれ?と思い始めたのは息子が公園で遊べる年齢になってから。 裸足で遊ぶ息子を見た周りの子ども達が「靴を脱ぎたい」と自分のママに言っているのを見かけるように。 これを結構な確率でママ達がダメだしする。 「足が汚れるからダメ」 「その足で靴を履いたら靴が汚れるからダメ」 「

手をつなごう

今年の春、息子と満開の桜の下を歩いた。 こうして手を繋いで歩けるのは、あとどれくらいだろうか。。。 息子が小学校に通い始めて2日目の朝。 学校の途中まで見送ろうと一緒に家を出ると「お母さん手を繋いで」と息子が甘えてきた。 もう小学生なのに。。。 「自転車を押していくから手は繋げないよ」と自転車を口実に1人で歩かせたものの、仕事中に息子の顔がよぎると後悔で頭がいっぱいになった。 自転車なんか置いて行けばよかったのに。 なんで手ぐらい繋いであげられなかったんだろう。

親孝行がしたいなら

遠く離れて暮らしていたおばあちゃんは、母にこう言っていた。 「親孝行の為に色々してくれなくていいよ。親孝行がしたいなら、自分の身の回りの人に親切にしなさい。そうすればめぐりめぐって私も身の回りの人に親切にしてもらえるから」 この話をする時の母は、いつも少し誇らしそうに見える。 私はこんな事を言うおばあちゃんが大好きで、もしもの時は『虫の知らせ』をして欲しいと小さな頃にお願いをしていた。 でも、一昨年おばあちゃんが亡くなった時に虫の知らせはなかった。 それどころか、危