あの曲とあの場所『Judee Sillと京王線』

「もういい大人なんだからさ」って、よく聞く言葉だけど考えてみたらあまり言われたことがない気がする。

でも、たとえ人から言われなくても、こんなに言われたことがあるような気がしてならないのは、ことあるごとに、その言葉の重さを自分自身に負わせているからなのかもしれない、と思った。

「もういい大人」だから我慢したことといえば、衝動買いをしないとか、マスクをしていたとしても、あくびをするときは口を覆うように気をつける、とかがあるけれど、一番は、感情的になること、だ。多分みんなそうしていると思うし、そういう人が多いおかげで曲がりなりにも社会が成り立っているのだと思う。

でも感情って、大人になったからってコントロールできるわけないじゃんねえ。仕事中とか、人と話しているときとか、仕事中とか、湧き上がる気持ちを抑えることができなくなって泣きだしてしまいそうなことは日々多々あるけれど、それはまた別の話で。

わたしはそんなとき、特にどうしても怒りや負の感情が抑えらないときは、Judee Sillの『Jesus was a cross maker』という曲を絶対に聴くようにしている。歌詞が英語なので残念ながら歌詞の深いところまで理解はできないのだけれど、歌い方、演奏、メロディ全てが怒りに震えながらも感情を表に出すまいと耐えているわたしを応援してくれるような曲だ。宗教的な歌詞が赦しを連想させるのかもしれない。でも本人の宗教的な意味はないとインタビューでの受け答えが残っているらしく、そんな解釈をされるなんて本人にとっては不本意かもしれないけれど、わたしは自分の気持ちを鎮めるためのこの曲に出会えて本当によかったと思う。


嫌なことがあったらこの曲を聴く、そういう習慣のおかげで、本当は気休めでこの曲と自分の気持ちに因果関係なんてまったくないかもしれないのに、聴けば落ちつくことができるようになった。けれど、もう餌はもらえないのに、ベルの音が鳴るとよだれが出てしまうパブロフの犬のような状態で、わたしのメンタルは保たれている。

悲しいことややりきれないこと、たくさんあるけれど、そういう気持ちの発散の手段をたくさん持つことをストレスコーピングというらしい。バッティングセンターやカラオケやともだちと飲みまくったりするのもいいけれど、すぐにイヤホンを装着し、自分だけで気持ちを落ちつかせることができる手段を持つこと。自分の機嫌は自分でとるしかないってわかって、少しずつ気楽に考えられるようになってきた。すごくいいこと言ってくれたどこかの誰か様に猛烈に感謝している。

ちなみに大学3、4年生のとき、前日にともだちと飲みすぎて3限すらも間に合わないことが確定しているのに乗った京王線が聖蹟桜ヶ丘付近の川を渡るときに、この曲が流れてきて、罪悪感が増すと同時に、赦されていくような気がしたのが、きっかけだった気がする。しょうもないなあ笑






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