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パルコのAI広告を見た時に湧き上がった忌避感と向き合う

「これ全部AI!?すごい!」と同時に沸き起こる否定的な感情


https://bijutsutecho.com/magazine/news/promotion/28034
記事を見た瞬間「すごい!これ全部AIなの?」の驚きと、同時に感情的な忌避感にメンタルがくしゃっとなってしまった。

仕事でもプライベートでもChatGPTは便利だなすごいなって思って日々使ってるのに画像の生成AIにはどうしても否定的な感情が湧いてしまう。まかりなりにも絵を描いたり制作をする人間の端くれとして本来存在しているさまざまなものを作る人々のことを考えて感情的に”否定”が湧きあがってきた

別記事でパルコの人は「結局AIと行ってもそれを使う人間の感性と能力が最も大切でありその点では通常の広告制作と本質的な違わないということを実感した」と書いてあったけれど、このAI画像を作るために使った素材はどこから来たんだろうかと考えたりしちゃった。その素材も全てこのプロジェクトのために、もしくはクリエイターが自前で用意してあったものなのだろうか。それとも世に出されている本来誰かが一から作り生み出した制作物を利用したんだろうか。

通常のクリエイティブと変わらないと書かれているけれど、とはいえ本来クリエイティブはファッションデザイナー、テキスタイル、日々体を作り続けているモデル、フォトグラファー、グラフィックデザイナー、ディズプレイ制作者などが名もなき素材として利用されているのであればそれは「AIは手段の一つ」であると言い切れるんだろうかとか

自分に対しても、古い人間の危機感からくる、新しいものへの忌避感。と一蹴したいものの、ハリウッドのストの記事を読んでいても、そうそう簡単なものじゃないんじゃないのかと思ってしまう。

確かにクリエイティブディレクターとしての仕事や発注者の仕事は生成AIを使おうが実際のモデル、デザイナー、テキスタイル職人などの協力を得て作ろうが同じことなのかもしれない

中の人が「アート性」という言葉を使っているというところからも、こういう議論?というか「AIでここまでできるようになった、ではクリエイティブとは?」というそもそもの問題提起も意図してる範囲なのかも、とは思う。感情的に避けていてもそこにその技術はもう存在しているんだから。

ムサビの学長が出した生成AIへのメッセージをもっぺん読み返そうか…

もちろん、私も生成AIを排除したり禁止するほうがいいとは思わない。けれど手放しで「すごいな〜!」とは思えない感情については勉強をしながらもう少しきちんと向き合いたいなと思っている。

画像だけじゃなくて生成AIについては数ヶ月どころか数週間・数日単位で状況も考え方も受け止められ方もぐるぐると変わっていくし。

半年前に出された武蔵野美術大学の学長メッセージを読み直しながらそんなことを考えていた
生成系人工知能(生成AI)についての学長からのメッセージ(掲載日:2023年5月11日(木))

この記事のヘッダー画像もDALL·Eで生成してもらったやつです。全然思った画像が出てこなくて笑っちゃった。


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