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連想の否定

僕たちの出会いは高校までさかのぼる。
文化祭の日のことだ。
僕はあまり賑やかなのが得意ではなかったから、校舎内の展示を見て回っていた。
ある教室の、パーテーションと展示物の迷路の先にいたのが彼女だ。
軽く会釈をすると、彼女も会釈を返した。
彼女が座る前の机には糸で綴じた小冊子があった。
小冊子の表紙にタイトルは無く、隅に小さく『ヒロコ』と書かれていた。
奇妙な詩集だった。
・ダイヤモンドにチェリー。・サンザシのコンクリート。・リアス式電球。
連想を否定するような、不思議な言葉がページいっぱいに広がっていた。
僕はその詩集を最後まで読み込んだ。
途中からは彼女の隣に座った。


僕たちはすぐに仲良くなった。
ヒロコは僕が思っていたほどミステリアスではなかった。
進路とか今日の運勢とか、恋とかに悩む、普通の女の子だった。
僕たちはやがて惹かれあった。
恋人同士のことをしたり、泣いたり笑ったりした。
ひとつだけ普通の恋人と違うことがあった。
・ウサギの長靴。・木星にアイマスク。・夢見るスニーカー。
僕たちはメールに乗せて、お互いに連想を否定する言葉を送りあっていた。
・香水スピーカー。・陽気な砂丘。・甘い卓上カレンダー。


僕たちは高校を卒業して、それぞれの道に進んだ。
関係は続いていた。
大学二年生のころ、喧嘩をして別れた。
理由は、なんだかくだらないものだった気がする。
僕たちの連想の否定もそこで止まった。
それからしばらく経った後のことだった。
やることをやりつくした9月の夏休みだ。
残暑が僕をおかしくしたのかもしれない。
携帯を開いて彼女にメールを送った。
・洗いたての腐葉土。
返事はすぐに返ってきた。
・アルミホイルの受難。
それからはまたヒロコと一緒に過ごした。
僕たちは何度も別れたし、何度も仲直りした。
連想の否定が僕らをつなげていた。


僕たちは社会人になった。
社会は僕たちを押しつぶし、工業機械に変えた。
毎日送りあっていたメールは、間を空け始めた。
そして、きっかけを待たずに、途切れた。
それでも僕はヒロコと関係を続けていた。
昔のようなきらめいた毎日ではなかった。
ただ、安寧だけが二人の間にあった。


昨日、彼女に花束を渡すつもりだった。
彼女と出会ってから10年が経っていた。
僕らは何度も別れているから、出会った日が唯一の記念日だった。
彼女は花束を受け取らなかった。
だから、懐の指輪も渡せなかった。
家で花束をほどいて花瓶に差していると、携帯電話が鳴った。
彼女からのメールだった。
・私たちの結婚。
しばらく考えてから、返信をした。
・僕たちと、またね。
それだけ送ると、ベッドに寝そべり目を閉じた。
これで、話はおしまい。

・苔むしたチーター。・鷹揚な山脈。・刺さるネクタイ。
・手のひらの鍾乳洞。・日焼けしたフクロウ。・燃えるようなユキヤナギ。
・高価なクリアファイル。・優しい針金。・したたる鉄球。
・僕の大嫌いなヒロコ。

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