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コーヒー・ブレイク

まずは彼に謝らなければいけない。僕は非常に個人的な憂鬱を抱えていて、一人でいるならばそれは僕だけが抱える時限爆弾なのだけれど、こと共同生活においては危険なホット・ポテトになるということに今更になって思い至った。僕がそのことに気づくまで彼もきっと憂鬱な時間を過ごしたことだろう。陰惨たる精神状況は感染する。悪いことを考えると悪いことが重なる。だからこそ僕たちは楽しく過ごさなければいけないのだ。何故僕は今更になってこんなことに気が付いたのか。ここに移り住む前の僕はそれは悲惨な暮らしぶりだった。冷たい玄関に壊れかけのベッドを取り付け、毎晩腰を痛めて、僕以外の誰かのことだけを考えていた。だがどうだ?僕が自分のことから目を背けて嘆いている間にも宿題は溜まっていく。そしていつの間にか僕は身動きがとりにくくなってしまった。その事に僕は今更になって気づいた!どうしてこんなことに?誰か教えてくれなかったのか?いいや、きっと皆言っていたはずだ。お前、沼に首まで浸かってしまっているぞ?なあ、それでいいのか?なのに僕は上の空で、遠くの空で入道雲が大きく育つのを見て、タバコをふかして僕だけの雲を作ろうとしていた。なんて間抜け面だ。ハ!ハ!あるいは皆そう笑っているかもしれない。仕方のないことだろう。僕の世界は全くもって小さく出来上がってしまって、肌から5㎝の距離にあるばかり。ああ、なんてことだ。待った、訂正線を引いてくれ。さっき「皆」と書いたところは消して、その下に「僕」と書くんだ。僕を笑っているのは僕だ。僕の世界には僕しかいないのだから。畜生、僕はなんて面をしてやがるんだ。ハ!ハ!ハ!*ため息*そんなわけで僕は、新しい場所に居ながら玄関にいるような気持ちで暗澹たる思いを巡らせていたのだけれど、彼が僕を盛り立ててくれて心に少し余裕が出来たので、色々思いついてきた。置き去りにした自分のことを少しでもやろうと思ったのだ。僕はああそうだ、コーヒーが欲しい。インスタントの苦くて濃い、胃が焼けるような奴だ。思えば昔の僕はそればかり飲んで後の時間はタバコを巻いて過ごしていた。部屋に帰ってさっそく湯を沸かして黒く濁った泥水をすすった。それが始まりだ。僕の心は飛び上がり、憂鬱な気持ちは雲散霧消、リズムが溢れて体が自然に動き出す。心臓がエイトビートを奏でて、手が膝の上のハイハットを打ち鳴らす。叫びたい気持ちが湧き出てくる!天啓、啓蒙!北風が憂鬱を吹き飛ばし、太陽が旅人を優しく照らす。僕に足りなかったのはああ、なんてことだ。ただ一杯のコーヒー?それが僕の悩みの全てだったとでも?手に持ったコーヒーがあきれ笑いに合わせてこぼれる。いいじゃないか。人生に思い悩んで、インスタントコーヒーで解決する。肌から5㎝のところで生きる僕には似合いの出来事だ。だけども胸の中にはさっきまでと違った風が吹いている。あるいはカフェインがもたらす覚醒作用か?ともかく気分は晴れた。何が起きたっていい。僕はコーヒーを持ってる!皆がせせら笑っている?いいさ、僕にはコーヒーがある!言葉になんの意味がある?意味なんかない!そうだ、僕はこれから意味のないことを悩んで、意味のないことで笑って、意味のない文章を書いて、意味のないことを叫ぼう!ハレルヤ!ヘウレカ!ジェロニモ!バンザイ!

そんなわけで僕は今、踊りながら暮らしている。

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